当時17歳の少年が、人質の乗客1人を殺した。同年に発生した豊川市主婦殺人事件、岡山金属バット母親殺害事件の犯人と同年代で「キレる17歳」と形容されるようになり、後の改正少年法の成立(2000年)のきっかけとなった事件でもある。
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実は「西鉄バスジャック事件」からさかのぼること25年、1975(昭和50)年には同じく17歳少年によるハイジャック事件が発生している。それが「17歳高校生ハイジャック事件」である。
夏休みシーズンに入った1975年7月28日午後4時41分。羽田発札幌行きの全日空便が宮城県松島沖の上空でハイジャックされた。
犯人とみられる男は、機長室のドアを強くノックし、手をポケットに入れたまま「俺はハイジャックだ!」と叫んだ。
男はまだあどけなさが残る少年のようで、機長はギョッとしたという。そして男は「ハワイへ行け!」と叫んだ。
搭乗便は国内線だ。「燃料がない」と機長が返答すると犯人の男は激高したが、声は荒らげたものの凶器らしきものはいっこうに出てこないため、機長は犯人の男が凶器を持っていないと察し、「燃料を補給するため羽田へ戻る」と犯人に伝えた。
ハイジャック発生の連絡を受けて羽田空港には、大勢の警察官が待ち構えていた。機長は犯人に「まずは乗客を降ろしてくれ」と要請し、「ハワイへは行けない」と伝えた。行き先をハワイから沖縄へ変更すると、犯人は要件をのんだ。
そのやりとりの最中、警察官7人が航空機内に潜入。機長が「ジュースを飲みたい」とフライトアテンダントに伝え、ジュースが機長室へ運び込まれるタイミングで、警察官7人が犯人を取り押さえ、午後6時ごろに無事に解決した。幸いにも怪我人はいなかった。
犯人は神奈川県に住む当時17歳の高校生。一見普通の高校生だったが、小学生の頃に両親が離婚。以来、精神がすさむようになり、お金をためて北海道へ行こうとしたが、飛行機に乗った後、突然「ハワイに行きたい」と思い立ち、ハイジャックを実行したという。
完全な気まぐれによる犯行。スケジュールが大幅に狂った乗客はカンカンに怒り「なんと身勝手なヤツなんだ」と声を上げていたという。
文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)