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猪木、タイガー、ホーガン、オースチン、ロックまで…WWEでコールし続けたフィンケル氏逝去

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ハワード・フィンケル氏

 WWWF、WWF、WWEと、世界一のプロレス団体になる過程をリングアナウンサーとして、リング上からスーパースターのコールをしながら見続けたハワード・フィンケル氏が、米国時間16日に逝去した。まだ69歳の若さだった。WWEでは、2009年に殿堂入りしているフィンケル氏を日本時間18日に世界配信された主力ブランドのスマックダウンの冒頭で追悼している。

 フィンケル氏がリングアナとしてデビューしたのは、1975年のこと。まだ、現在のビンス・マクマホンの父親であるビンス・マクマホン・シニアが代表を務めていた時代だ。1977年からはMSG(マディソン・スクエア・ガーデン)定期戦のリングアナを担当。メインリングアナとして、ブルーノ・サンマルチノ、ボブ・バックランド、ハルク・ホーガン、アンドレ・ザ・ジャイアント、ブレット・ハート、ショーン・マイケルズ、ジ・アンダーテイカー、ストーンコールド・スティーブ・オースチン、ザ・ロック(俳優のドウェイン・ジョンソン)ら、WWWFからWWEの3代に渡って活躍してきたスーパースターはもちろん、新日本プロレスと提携していた際には、新日本勢がWWFマットに参戦していたため、アントニオ猪木、坂口征二、藤波辰巳(当時)、長州力、キラー・カーン、タイガーマスクら日本人選手もコールしており、その名調子はテレビ朝日系列『ワールドプロレスリング』を通じて、日本のファンにも知られる存在だった。

 WWEでは2002年までメインリングアナを務めていたが、後年はリリアン・ガルシアら後輩のリングアナとリング内外で抗争を繰り広げるなど、WWEの時代の変化にもしっかりと対応していたのが印象的。クリス・ジェリコと結託してヒール転向した時は多くのファンを驚かせている。リングアナ勇退後はWWEのパブリケーション業務を担当していたという。
 まだ若いだけに、もう一度あの名調子を聞きたかった。
合掌。

※一部敬称略
(どら増田・写真©2020 WWE, Inc. All Rights Reserved.)

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