日本人プロレスラーとしては、アントニオ猪木氏、藤波辰爾に続く3人目の快挙。レガシー部門では“日本プロレスの父”故・力道山氏も殿堂入りを果たしている。
1989年4月に東京ドームでデビューしたライガー氏は、1991年に新日本と、後にWWEが買収したWCWが業務提携したことから、アメリカWCWマットにも幾度となく参戦。ブライアン・ピルマンを破って第2代WCW世界ライトヘビー級王者となり、全米にその名をとどろかせた。
1990年4月に新日本、全日本、WWEの3団体が共催した『日米レスリングサミット』で、ライガー氏はWWEのビンス・マクマホン現会長の真横から入場し、それを見つめるビンス会長の姿が専門誌に掲載され話題となった。当時は全身コスチュームや、ツノが生えたマスクが珍しい時代だっただけに目立っていたのだ。
日本、アメリカ、ヨーロッパ、メキシコとワールドワイドな活躍が評価され、2015年には新日本プロレスに所属する身ながら、WWEのファームブランドNXTにVIP待遇で異例の参戦。この試合は今でもWWEの配信サイトで見られる。その直後に新日本からWWEへの大量移籍が起こったこともあり、両団体の交流は途絶えたが、今回、ライガー氏が殿堂入りしたのは大きい。WWEを通じて「ニュージャパン」を世界に広められる。
新型コロナウイルスの感染拡大予防のため、4月に予定されている表彰セレモニーについては、開催が流動的。何とかライガー氏のスピーチは実現してほしい。
(どら増田)