1982年に巨人に入団し、1990年ごろから正捕手として出場機会を増やした村田氏。2000年には日本シリーズで優秀選手賞を獲得する活躍も見せていたが、翌2001年は同年に入団したばかりの阿部に開幕からレギュラーの座を奪われてしまった。
この世代交代の経緯について、村田氏は「開幕の2、3日前に原さんに呼ばれて、『村田すまん、開幕は阿部でいく』と言われて『えっ?』みたいな」と、当時の原辰徳一軍ヘッドコーチ(現巨人監督)から直接開幕戦では使わない旨を告げられたと告白。
続けて、「『何でですか』って聞いたら、『チームが阿部でいくからだ』って(言われた)」と、自身より阿部が優先された理由については明確な回答が得られなかったことも明かした。
お役御免と言わんばかりの通告にもめげず、「開幕は阿部でも、終わってみたら俺の方が試合(に)出てたらええんや」とレギュラー奪還を目指していたという村田氏。しかし、「4月に練習してたら、長嶋監督から『お前何やってんの?もういいだろ』って(言われた)」と、開幕後には長嶋茂雄監督(現巨人終身名誉監督)からも“肩たたき”を受けたという。
その後翌5月から出場機会が激減したことを受け、8月ごろに「もう参りました。ユニフォームを脱がせていただきます」と原ヘッドに報告したという村田氏。プロ15年目、37歳での決断だったが、「まだ体元気だったし、まだまだできると思ってましたよ」と未練が残る状態での報告だったと述べていた。
今回の動画を受け、ネット上のファンからは「去年までのレギュラーに対して『もういいだろ』ってシビアすぎる」、「長嶋さんがそんな陰険なこと言ってたなんてなんか信じられないけどなあ」、「首脳陣もそれだけ阿部を評価してたってことか、まあ実際に凄かったんだけども…」、「ほぼ強制的な世代交代、そりゃ色々と思うところがあるよな」、「辞めさせられそうな空気なのに何でいるんだろうっていう、ミスターの天然発言だったんじゃないの?」といった反応が寄せられている。
首脳陣の意向により、苦渋の決断を下すこととなった村田氏。ただ、半ば強引に“干して”しまったことに球団側も思うところがあったのか、村田氏は2001年の引退後巨人で計15年(2002-2003,2006-2018)コーチとして登用され続け、退団後も『日本テレビ』や『スポーツ報知』(報知新聞社)といった、巨人の親会社である『読売新聞グループ本社』の関連メディアで野球解説を行っている。
文 / 柴田雅人
記事内の引用について
高木豊氏の公式ユーチューブチャンネルより
https://www.youtube.com/channel/UCgr5CkgytiVfdnk4C0M42nQ