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元横浜・高木氏、戦力外直後に守道さんから中日入り直接オファー? 故人との感動秘話にファンも「初めて知りました」

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高木守道さん(写真は監督時代)

 プロ野球解説者の高木豊氏(元大洋・横浜他)が23日、自身のユーチューブチャンネルに動画を投稿。急性心不全のため今月17日にこの世を去った、元プロ野球選手・監督の高木守道さんに言及した。

 大洋・横浜(1981-1993)、日本ハム(1994)の2球団でプレーした高木豊氏と、中日(1960-1980)一筋で現役を全うし監督も2度(1992-1995、2012-2013)務めた高木守道さん。この両者は現役の期間や所属球団は被っていないが、高木豊氏は同じ苗字、そして同じセカンドを守っていたこともあり、よく「守道さんですか?」と間違えられていたという。

 動画内で高木豊氏は、現役時代の1993年オフにあった高木守道さんとの秘話を披露。同年オフ、高木氏はそれまで所属していた横浜を戦力外となりその後日本ハムへ移籍するが、実はこの当時中日からも声がかかっていたことを告白。

 また、この際に当時監督を務めていた高木守道さんからも「直接電話をいただいた」といい、「『お前どうするんだ?』って言われて、『いや、まだ分かりません』って…」と、移籍先に悩む胸中を吐露したという。

 すると、高木守道さんは「君もいい大人なんだから、うちに絶対来てほしいとは言わない。君の判断で野球人生を全うしてくれればいい」と一言。しかし、その後に続けて「ただ、うちは迎え入れる体制だけは整えておくから、その時が来たら遠慮なく言ってくれ」と、高木豊氏が望むなら中日側は受け入れる用意があると言ってくれたという。

 「今思えば高木(守道)さんって、人をすごく尊重してくれてる方だった」と、高木守道さんとのやりとりを振り返った高木氏。「亡くなったって聞いた時、『縁があった人だったな』と思ってすごく悲しい思いをしましたね」と故人を惜しんでいた。

 今回の動画を受け、ネット上のファンからは「守道さんが豊さんに電話かけてたのは初めて知りました」、「わざわざ直電するって守道さんは相当豊さんが欲しかったんですね」、「同姓・同ポジションだったから、守道さんも特別気にかけてくれてたんでしょうね」といった反応が寄せられている。

 高木豊氏を含め、数々の球界関係者が哀悼の意を表している高木守道さん。各報道によると、中日は球団主導で追悼セレモニーを行うことを検討しており、オープン戦を追悼試合とすることやファンに向けた献花台を設置することを考えていると伝えられている。

文 / 柴田雅人

記事内の引用について
高木豊氏の公式ユーチューブチャンネルより
https://www.youtube.com/channel/UCgr5CkgytiVfdnk4C0M42nQ

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