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田中角栄「名勝負物語」 第二番 福田赳夫(4)

 昭和47年(1972年)6月17日、佐藤栄作首相退陣声明をもって“開禁”されたことになる「角福総裁選」ではあったが、すでに田中角栄の水面下での動きは激しいものだった。5月9日夜の東京・柳橋の料亭「いな垣」での事実上の田中派旗揚げも、またその一つであった。筆者はのちに、当時の田中秘書だった早坂茂三(のちに政治評論家)から、迫真に満ちた模様を次のように聞いている。

 「その後の多数派工作をにらめば、核になる田中派としての“数”が問題だ。あの夜、私は『いな垣』の玄関隣にある帳場で部屋を暗くし、電話を前にして障子をほんの少し開け、入ってくる佐藤派衆参議員の名前をチェックした。議員が到着するたびに、目白の自宅にいるオヤジに電話で名前を報告する。オヤジは向こうで佐藤派議員の名簿を前に、私の報告した名前に赤エンピツで○印を付けている。最後の議員の名前を告げると、オヤジは言ったナ。『ご苦労だった。よし、予定通りだ』と。集まったのは81人だった。佐藤派は102人だったことから、福田支持は21人と読み切った」

 この「いな垣」の謀議を、福田自身は知るよしもなかったのだった。
 しかし、正式に退陣声明を出す前のこうした露骨な動きを知れば、佐藤が烈火の如く怒ることのほか、どちらに付くか様子見の他派議員による田中自身への不信感に直結しかねない。ために、じつは「いな垣」の謀議は抜け道をつくっていた。田中の政治行動は、常にまず最善手を指し、次善の策、三善の策まで用意する、万全の策をほどこしていたのが特徴だった。田中のご意見番的存在だった木村武雄がこの集まりの旗を振った形とし、仮にこの謀議がバレても田中自身の意向ではなかったとしたのである。「いな垣」での予約は、木村武雄名だった。

 この木村は戦前は大陸浪人、その頃からチエ者で時に大ボラ、ラッパも吹くことから「元帥」の異名もあり、建設大臣などを歴任したいわば“大物議員”である。筆者は「角福総裁選」に決着がついたあと、この木村に自宅でインタビューをしている。一重の着物に兵児帯をぐるりと巻き、次のように大いに“自賛”したものだった。
「じつは不利だった総裁選で田中を勝たせることができたのは石原莞爾から学んだ戦略だったのだ。作戦は、いわば二段構えで臨むということで、まず佐藤派内の田中支持者を増やす一方で、ライバルの福田クンを外堀から包囲していくというやり方だった。図星だったナ」

 石原莞爾とは、かつて日本軍の満州占領における“立役者”で、独自の戦争理論を持っていた戦略家である。大陸浪人だった木村は戦時中、この石原に大きな影響を受け、総裁選という戦争に“援用”したということのようであった。

★遮二無二の「田中多数派工作」
「いな垣」で自信を得た田中は、その後、一気に多数派工作に拍車をかけた。6月2日には、盟友の大平正芳の支持を取り付け、大平も総裁選に出ることで福田支持者を分散させる一方、「角福」の決選投票になった場合はもとより田中支持に回ることを確約させた。

 その一方で、無派閥議員に影響力のある「ズル正」「道中師」の異名もあった“策士”川島正次郎を引き込み、やがての天下取りを夢見る中曽根康弘の協力も取り付けた。出馬をチラつかせていた中曽根は、突然の出馬辞退を表明したが、時にこんな声も飛んだ。

 「田中は7億円で中曽根派を買収、中曽根がやがて総裁選に出るときは支援するとの“密約”もあったようだ」
 次いで、何かと「金権政治打破」の声を上げる三木武夫も説得、田中内閣ができた場合は「清新にして実行力ある政治をやる」「日中国交正常化へ努力する」などの“確認事項”を取り交わし、三木は総裁選に出馬するものの大平同様、決選投票になった場合は田中支持で同意したのだった。

 ここに事実上の田中・大平・中曽根・三木の「4派連合」が成立し、参院議員の取り込みも拍車をかけていたことから、7月5日の総裁選ではメディア各社は「田中圧勝」を予測した。

 「4派連合」を成立させた田中は余裕も見せ始めた。それまで福田の世話になっていた議員が、「迷っている」と田中のもとを訪れると、田中はその議員に言ったものである。「友情は友情だ。オレに遠慮はいらん。福田君の力になってあげなさい」と。余裕があるからと言えばそれまでで、こうした対応で相手をコロッと参らせてしまうのも「田中流」なのだ。

 さて、一方の福田はと言うと、「劣勢」を尻目に、しかし一縷の望みは崩さなかった。なぜなら、退陣声明をした直後の佐藤首相が、田中、福田を前にして、こう言ったからだった。

「君たちは“息子の争い”だ。どちらが1位になっても、(決選投票では)2位が1位に協力するのが好ましい」
 福田はこれを了としたが、もとより田中は聞き流した。福田は三木が出馬することになる第1回投票で佐藤の影響力にも期待し、接戦ながら自分が1位になる可能性を読んでいたことにほかならなかった。
(文中敬称略/この項つづく)

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小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材49年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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