荒川弘はファンタジー漫画『鋼の錬金術師』(ハガレン)で一躍人気漫画家となったが、『銀の匙』はハガレンとは全く異なるジャンルの作品である。『銀の匙』は実在の帯広農業高等学校をモデルとし、農家以外には馴染みが薄い農業高校の生活を描く。酪農を中心とした農業知識も作品には満載である。農家出身で農業高校卒という荒川の実体験を反映している。
主人公のキャラクターも対照的である。ハガレンの主人公エドワード・エルリックは背が低いというコンプレックスはあるものの、自分の考えと目的を持ち、自分に自信がある存在であった。これに対して八軒勇吾は実家から離れられればいいというだけで全寮制の高校に入学し、将来の目的は持っていない。
主人公の対照性も加わって『銀の匙』は幾人のキャラクターの絵柄以外には、ハガレンと同一作者であることを感じさせない作品になった。最近では初連載作品が代表作であり、唯一の連載作品という漫画家も増えている中で、荒川の引き出しの豊富さは注目に値する。
『銀の匙』では脇を固める同級生が個性的で、主人公は巻き込まれ型である。同級生は皆、明確な目的を持って農業高校に入学し、農業の将来についても一家言持っている。将来性のない斜陽産業とも酷評される国内農業であるが、『銀の匙』に登場するような学生達が存在するならば、まだまだ農業に希望を抱くことができる。
北海道の学校を舞台とし、個性的な学生や教師が動物を相手に学園生活を送る展開は佐々木倫子の『動物のお医者さん』に重なる。しかし、動物の死を避けた『動物のお医者さん』に対し、『銀の匙』は最初から家畜を食用と捉えるなど農業の現実に即している。この巻でも登場人物の獣医に獣医の素質を「殺せるかどうか」と語らせており、死を直視することで命の尊さを浮かび上がらせた。
(林田力)