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東京・日本橋 高島屋&三越による百貨店バトル

 江戸時代から日本の商業の中心地として栄えてきた東京・日本橋エリア。1990年代のバブル崩壊とともに衰退し利用者は減少していたが、最近は大手百貨店を中心に再び注目が集まっているという。一体、日本橋で今、何が起きているのだろうか。

 まず、日本橋が隆盛し、衰退するまでの歴史を振り返ろう。

 1603年に江戸幕府を開いた徳川家康が、五街道の起点を日本橋としたことで、江戸と日本の「へそ」的存在になり、日本橋は商業・経済・金融・物流の中心地となった。さらに江戸三座の内、中村座と市村座が日本橋に誕生し、娯楽も集まる。その日本橋で大きく躍進したのが三越の前身、伊勢(三重県)発祥の呉服店「越後屋」だった。京都創業の「高島屋」も1900年に東京進出し、1933年に日本橋店を開業し躍進した。

 「東急百貨店も含めこれらの百貨店は、戦後、世界第2位となる日本経済の成長とともに飛躍的に売り上げを伸ばし、日本を代表する百貨店となっていくのです」(商業コンサルタント)

 しかし、1990年代のバブル崩壊とともに日本橋の勢いも後退する。1998年の東急日本橋店の閉店は、日本橋の商業地としての衰退を決定づける象徴的な出来事となってしまった。

 さらにインターネット通販の発展によって、百貨店はさらに厳しくなる。

 「特に百貨店の売上の主力となる婦人服は、ネット通販の攻勢で大苦戦。そして、ネットの勢いはほかの物販などにもジワジワと浸透し、百貨店全体の売上を脅かしたのです」(小売業関係者)

 日本橋の低迷が長く続き危機感を抱いたのが三越を傘下にする三井グループで、日本の再生を目指し三井不動産が日本橋の再開発に動き出した。大規模商業施設「コレド日本橋」や「コレド室町」を建設。コンセプトは衣食住のマッチング。さらにシニア層に頼っていた日本橋を、若者層にも拡大させる方針をとった。

 「住施設や映画館の設置、深夜帯営業の飲食店を増加させました。その結果、これまで欠けていた客層の掘り起こしに成功したのです」(商店街関係者)

 この流れに呼応するように、高島屋も31階建ての高層タワーの地下1階〜地上7階に、飲食店が4割を占めるショッピングセンター型の新館を今年9月開業させた。

 「新館は周辺のオフィス街で働くサラリーマンやOLとともに、急ピッチで増加する湾岸タワーマンションの住民を取り込む試みです。食料品店や雑貨店など、一部の店舗は平日午前7時半から開店し、朝食やランチなどの需要にも応えます」(商業アナリスト)

 さらに、老舗百貨店の三越日本橋本店が今年10月にリニューアルオープンした。

 「専門知識を備えたスタッフが顧客の相談に乗り、顧客が欲しい商品を一緒に探してくれる『コンシェルジュ』を90人配置。これまで高額の買い物をするシニア得意客へのサービスを、一般の顧客にまで広げたのです。各フロアにコンシェルジュを配置し、百貨店の強みである接客力を生かし、新規客の来店を促そうと狙うものです」(同)

 現在、この両者による百貨店バトルが勃発。それにより、日本橋エリアはさらに活性化し、現在注目を集める結果となった。

 ただ、百貨店にとっての共通の敵は、やはりインターネット通販だ。これは時代の流れで、物販はアマゾンなどのネット通販に顧客を奪われている。

 「両百貨店に共通するのは、実際に店頭に足を運ばないと目的が成就できないものに比重を置いたということです。高島屋は、食べることはネットではできないため、新館の半分を世界でも指折りの食を提供する飲食店にした。一方、三越はコンシェルジェを大量に配置したことでサービス力を大幅に強化したのです」(経営コンサルタント)

 2017年度の売上高は、三越日本橋店が1553億円で対前年比5.9%マイナスだったが、今回の改装で三越は100億の増収を目指す。一方、高島屋は全体の売上が2017年度9496億円だったが、2022年度には1兆330億円の営業収益を見込む。

 「今回の高島屋の新館には114のテナントが入り、そのテナント料のみで200億円の収益を見込むという新形態を導入しています。高島屋はこれで収益が上がれば本館のリニュアールにも手をつけたいと攻めの姿勢を見せています」(経営アナリスト)

 高島屋の新館、三越日本橋店の両者のバトルが勃発したことで盛り上がる日本橋。今回、高島屋ほどのリニューアルには至っていない三越が、今後さらなる変貌に期待を持てることを考えれば、日本橋の未来は明るいのかもしれない。

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