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芸能 2015年12月23日 17時00分
鈴木砂羽の離婚のウラでまだ生きていた東原亜希のデスブログ
フジ系ドラマ『オトナ女子』に出演中の鈴木砂羽がブチギレ騒動を起こしていると先ごろ、話題になった。 ドラマは男に振り回される3人のアラフォー女性が夢をかなえるため奮闘する物語。主演は篠原涼子で、共演は吉瀬美智子と鈴木砂羽だ。 「衣装が気に入らない鈴木がスタイリストに激怒したり、撮影時間が押して、本番前の控室で“いつまで待たせるんだよ”と怒鳴ったり、現場でいくつもブチギレ事件を起こしていると、女性誌に報じられたのです」(芸能ライター) 後日、鈴木は自身のインスタグラムで、「やー! うるさい! このギョーザ野郎! であります。週刊誌さまが何やらまたワタクシのことを書いて下さいました。こりゃー、一言で言うと『マジ、ない!』ですね」と否定したが、ブチギレ報道当初、今年8月の年下俳優との離婚後に、このドラマの撮影に入ったことが影響しているとの見方もあった。 離婚の影響は分からないが、鈴木の離婚に関してはネット上でこんなことも話題になった。 「インスタの否定コメントで餃子が出てきましたが、鈴木は大の餃子好き。実は東原亜希の8月1日付のブログで『一年ぶりくらいに餃子が美味しい〜! って感激。餃子ってこんなに美味しかったんだね。笑』と書かれ、8月15日に鈴木は離婚。久々にデスブログ復活と注目されたのです」(同) 少し懐かしい東原のデスブログだが、最近また破壊力を増しているようだ。 「12月4日付けのブログで米アウトドアブランド『ノース・フェイス』のおむつ入れを紹介。数日後に同社の共同創業者ダグラス・トンプキンス氏が事故死し、ネットユーザーを震撼させたのです」(同) デスブログは生きていた!?
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芸能 2015年12月23日 15時54分
早くも“セレブ妻”じゃなくなりそうな道端ジェシカ
昨年12月29日に結婚した、F1ドライバーのジェンソン・バトンとモデルの道端ジェシカが離婚を決意したことを、複数の英国のメディアが報じた。 報道をまとめると、バトンのスポークスマンが各メディアに対し、「ジェンソンとジェシカは別れることになったが、とても友好的な関係にある。(2人以外でこの決定に)関わった人物はいない」と明かしたという。 2人は2008年から交際をスタートさせ、昨年末にハワイのマウイ島で挙式。しかし、その後、バトンはF1レーサーとして世界を転戦していることもあり、「結婚する前ほど一緒に過ごすことができないでいる」と明かし、日本でモデルとして活動するジェシカとの間に生活のすれ違いがあることをうかがわせていた。 「交際している間にも2人はすれ違いで何度か破局していた。結婚すればすれ違いになることは最初から2人とも分かっていたようだが、周囲の反対を押し切り結婚。その結果が“スピード離婚”だったようだ」(女性誌記者) バトンとジェシカは今年8月、南仏でのバカンス中に強盗に逢い、大切な婚約指輪など約5800万円相当の被害に遭ったと報道された。その後、一部でジェシカがバトンとは別の男性と親密デートをしていたことが報じられただけに、その男性が“新恋人”の可能性もありそうだが…。 「ジェシカといえば、イベントに呼んでも“リップサービス”がまったくないことで有名。バトンとのことを聞きたくて報道陣が集まっているのに、いつも笑ってごまかすだけ。バトンと離婚して“セレブ妻”じゃなくなれば、イベントに呼ばれることも激減するだろう」(芸能記者) バトンとジェシカが離婚問題についてどうコメントするかが注目される。
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芸能 2015年12月23日 15時47分
芸能界10大ニュース2015 その3 周りは誰も納得していない“甘い汁”を吸った日テレ・上重アナの処遇
今年4月、「週刊文春」(文芸春秋)が、日本テレビの上重聡アナウンサーが総合司会を務める日本テレビ系情報番組「スッキリ!」のスポンサー企業から無償での“利益供与”を受けていたことを報じた。 同誌によると、上重アナは同局の就業規則違反となるマイカー通勤を複数回行ったというが、乗っていたのは英国産の高級車・ベントレー。そのベントレーの所有者は同番組のスポンサー企業である靴の小売メーカーABCマートの元会長・三木正浩氏が代表を務める資産管理会社。 さらに、上重アナの自宅は数多くの芸能人が住むことでも知られる都内の高級住宅街にそびえ建つタワーマンションの最上階だが、その購入資金1.7億円は三木氏が無利息で融資。その行為は社員就業規則で懲戒事由に当たる、「スポンサーとの癒着行為」にあたるものだった。 上重アナは3月末から同番組の総合司会に就任したばかり。報道を受け、上重アナは同局を通してマスコミ各社にファクスで「プライベートな交友関係であり、会社や仕事について特別な便宜を図っていただいたことは一切ありません」などとコメントを発表。その後、番組内で謝罪したのだが…。 「上層部の“大甘裁定”に局内の至る所から不満の声があがった。上重本人もまったく悪いと思っておらず、降板を申し出るという考えは頭になかったようだ。その後、同誌でかつて甲子園で死闘を繰り広げたプロ野球・ソフトバンクの松坂大輔投手から贈られた“友情ボール”を売却していたことも報じられ、局内では総スカン。ABCマート以外の同番組のスポンサーも激怒したが、日テレがなんとか収めた。ともに司会を務める加藤浩次も納得しておらず、その件をネタに上重をたびたびいじっている」(日テレ関係者) 8月には甲子園のシーズンに合わせ、PL学園のエースとして活躍した自身の激闘をつづった著書を発売するも、“不祥事”のせいでまったく宣伝活動ができず。先日発表された「好きな男性アナウンサーランキング」では、日テレ勢が上位を席巻する中、昨年2位から5位に大きく順位を下げただけに、司会の座は決して安泰ではなさそうだ。
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芸能 2015年12月23日 15時40分
芸能人女性の落とし方(50)〜福原遥こと、まいんちゃんとハイタッチ〜
モデルで女優の福原遥が、来年1月から放送されるテレビドラマ『僕と私の、ひらパー姉さん』(ABCテレビ)にて初のヒロインを務めることがわかった。福原といえば2013年に終了した料理番組『クッキンアイドル アイ!マイ!まいん!』(Eテレ)に出演し、全国的な知名度を獲得。それ以降は福原=まいんちゃんという呼び名が定着していった。 「『まいんちゃん』と呼んでいただけるのは、私にとって嬉しいことです。ですが、これから女優を目指していきたいという思いがあるので、お芝居でイメージをがらっと変えられるといいなと思います」(※1) あるインタビューで福原はこのように語った。ブレイクした人間の宿命として、代表作のイメージは何年経とうが背負い続けることとなる。彼女は、どこへ行っても子役時代の“まいんちゃん”と呼ばれてしまうそんな現実に、焦りがあったのかもしれない。そして福原はこの夏、子役事務所から大手事務所の研音に移籍し、女優として本格的な活動を開始した。 だがここに来るまで、彼女の人生は決して順風満帆というわけではなかった。ティーンファッション誌のモデル時代は、仲間からハイタッチを無視されるなどの心無い仕打ちを受けたこともある。その瞬間を捉えたメイキング映像は、瞬く間にネット上で拡散され、世間を賑わせた。それは表紙撮影の時だった。他のモデル達がハイタッチする中、福原もモデル仲間とハイタッチを求めたところ、相手は、まるで福原がその場所に存在していないかのように、彼女を無視した。そのため福原は、深い悲しみの表情をカメラの前で見せることとなった。 だがそのエピソードにこそ、彼女を落とす糸口がある。その事件以降、ハイタッチを誰よりも求める体質になったであろう彼女は、こちらが手を掲げれば、“この人は私の存在を認識してくれているんだ!”と満面の笑みでタッチしてくれるに違いない。 そこでまず我々が行うことは、ハイタッチする側の手に接着剤を付けること。そして「ヘェェェーーイ!」と勢いよくタッチして、ぴったりと手と手が密着したら、その後は、気まずさをごまかすために、そのままフォークダンスへ移行する。その際、フラッシュモブのエキストラを雇って、偶然居合わせた設定の周辺の男女が、皆、フォークダンスする台本にしておけば、その場で福原とダンスしていても不自然さはなくなる。あとはその状態で太ももを高く上げながら、ただひたすらに前進していけば、2人は永遠に結ばれたまま、どこまでも駆け抜けていくことができるだろう。(文・柴田慕伊)【参考】※1:モデルプレス2015年9月1日インタビュー
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レジャー 2015年12月23日 15時23分
キャバ嬢が生まれる瞬間(76)〜クリスマスを店で過ごしたかった女〜
私はクリスマスというイベントが昔から恐怖でしかなかった。毎年、12月24日の3か月くらい前になると、今年は誰と過ごすのだろうと、漠然とした不安が襲い掛かってくる。とにかく1人で過ごすのが嫌で嫌で仕方がなかった。 どちらかというと誕生日よりもクリスマスの方が嫌いで、その瞬間に女が1人でいるっていうのは世界から自分の存在が否定されているような気がしてた。私が男に生まれていたらここまでの気持ちになることはならなかっただろう。だからいつも女友達を無理矢理誘って飲みに行ったり、カラオケに行ったりすることが多かった。 あと急いで冬に男と仲良くなろうとしても、クリスマスはデート代やプレゼント代がかかるとわかっている男が多いから、直前に別れを切り出されたり、キャンセルさせることもある。その時の絶望ったらない。ほかには、普通のアルバイトをしてた年もあった。その時はコンビニで働いていたのだけど、次々とカップルが来店してくるから、すごく惨めな気持ちだったな。 それで色々考えた上で、私が働きはじめたのが、キャバクラだった。キャバクラならクリスマスに出勤するのはよくあることだし、何よりお客さんが私のために会いに来てくれるから、孤独の隙間を埋めることができる。それどころかお客さんからプレゼントまで貰えることがあるのだから、とてもうれしい。 もちろん好きな人とクリスマスを過ごすのが一番なんだろうけど、いつもタイミングが悪くて、冬は恋人がいなかった。だから彼氏が出来るまでは、毎年キャバクラで働いて過ごそうと思ってます。(取材/構成・篠田エレナ)
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芸能 2015年12月23日 15時11分
梨花、ハワイでの子育て生活を公開「素晴らしくいいスクールに出会うことが出来た」
タレントの梨花が22日、都内で行われた「米ハワイ州観光局 スタイル親善大使就任記者発表会」に出席した。 10月に2年間のハワイ移住を発表し、現在家族とハワイで暮らしている梨花はこの日、ハワイを意識したというセクシーなドレスで登場し、ハワイの魅力を熱弁。「今まではハワイというところに観光で行っていたんですけど、実際に生活をさせてもらって5か月。ハワイにいると自分がリセットされ、落ち着けます」とにっこり。 ハワイで印象的なのはやはり夕日だといい、自身で撮ったという夕日の写真なども会場でスクリーンを使って公開。「これを見るとその日あったことを全部忘れられるんです」とすっかりハワイに惚れ込んでしまった様子。 4歳の長男とのハワイ生活も紹介し、「ハワイという国(州、以下同)は人にとても優しい国。子供を教育するにも環境がすごくいい。スローライフやのびのびとした空気感だけでなく、アカデミックもしっかりしていて、息子にとっても素晴らしくいいスクールに出会うことができました」とコメント。 「ハワイを好きな方は多いけど、わたしもその一人。そこにいるだけでいろんな気持ちがリセットされ、気持ちのパワーチャージができる。みんなが好きな国だって言うのを改めて実感できました。人も温かいし、今の環境に感謝しています」と充実の表情で語っていた。(取材・文:名鹿祥史)
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ミステリー 2015年12月23日 14時36分
ハリファックスの切りつけ屋は実在したのか?(4)
第二次世界大戦前の1938年11月、カナダのハリファックスで若い女性のふたりづれが暗がりで鋭利な刃物を持つ男に襲撃され、命からがら逃げ出すという事件が起きた。その数日後、別の若い女性が同じように襲われ、九死に一生を得た。新聞は「ハリファックスの切りつけ屋」と名づけて恐怖を煽り、人々は姿なき襲撃者におびえ、警察の対応は後手後手に回った。やがて住民は自警団を結成して夜間の巡回を始めたが、襲撃犯と誤認された男性や少年が自警団や酔っぱらいから暴行を受けるといった二次被害も発生し、当時のハリファックスは集団パニックを引き起こしたかのような有様だったとされる。 そのため、地元警察はイギリスのロンドン警視庁へ応援を依頼し、犯罪捜査の経験を積んだ警部らを招聘した。警部らが到着したその日も襲撃事件が発生し、さっそく捜査に着手するとともに、これまでと同様に辛くも逃げ延びた被害者から詳しい事情を聞いた。その結果、驚くべき背景が明らかとなり、事件は急転直下の解決をみたのである。 まず29日夜に発生したふたつの襲撃事件においては、被害者とされた女性がふたりとも自作自演の狂言であることを自白した。さらに、当夜に再び襲撃を受けたと主張していた女性は、別の襲撃事件についても狂言を自白し、それから翌日までには被害者の半数以上が自作自演を告白したのである。 事件解決を受けた地元紙は「ハリファックスの恐怖は終わった」とトップに掲げ、さらに「半ば狂気の野生の眼をした男が夜な夜なうろつき、無力な女性を襲っていたという説は粉砕された」と、他人事のように報じた。 結局、襲撃を受けたとされる女性のうち5名が逮捕され、その4名に有罪判決が下った。しかし、襲撃狂言を自作自演するに至った動機や、それぞれの女性たちが共謀していたのか、あるいは単なる模倣犯にすぎないのかなどといった、事件の詳細についてはいまだに明らかとなっていない。また、当時の時代背景もあってか、狂言を演じた女性たちの精神状態については、医学的な検査も行われなかったようだ。 なによりも謎めいているのは、なぜ突発的に狂言自傷事件が発生し、数日の間に広まって模倣犯あるいは共謀犯を生み出し、数万人が暮らす都市をパニックへ陥れたのか、その要因が全くわからないということだ。 まさに、現代社会のミステリーといえよう。(了)
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スポーツ 2015年12月23日 13時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈格闘技を超えた人間ドラマ〉
大みそかの地上波テレビで初めて本格的な格闘技番組が放送されたのは、2001年の『猪木ボンバイエ』だった。猪木軍vsK-1軍の対抗戦を目玉とし、PRIDEの母体であるドリームステージエンターテインメント(DSE)が運営するという、当時の日本格闘界が大同団結した一大イベントであった。 当初、この大会の目玉とされたのは小川直也だった。前年にはPRIDEで佐竹雅昭を破るなど、総合格闘技界の日本人エースとしてファンや関係者からの期待は大きく、プロレスにおいては猪木の直弟子でもあり、猪木軍の大将となるのは当然のことと思われた。 しかし、これを小川が拒否したことで、大会自体の雲行きが怪しくなる。 「交渉にあたったK-1石井和義館長の8000万円のファイトマネー提示に対し、小川は1億円を要求。これが決裂の要因とされたが、それ以前に当時の小川は『強さを競うなら柔道時代にやった』と総合格闘技自体に興味を示していなかった」(格闘技ライター) さらには副将格の藤田和之も、タイでの合宿練習中にアキレス腱断絶の大けがを負ってしまう。同年9月に藤田が敗れたミルコ・クロコップへのリベンジマッチは、当然ながら不可能となり、カード編成は一からの見直しを余儀なくされた。 また、小川と藤田を欠いたことで、猪木軍はまともなメンバーが揃うかすら危ぶまれてたが、なんとか藤田の代役は、新日本プロレスの先輩にあたる永田裕志に決まった。 しかし、これをメーンイベントとすることには各所から難色が示される。 「大会を中継するTBSとしては、新日=テレビ朝日の色が付いている永田を主役にするのは面白くない。猪木事務所にしても、新日所属選手の永田ではマネジメント料が発生せず、ギャラの高いメーンには自分たちの子飼いを出したかったのです」(テレビ関係者) そこで抜擢されたのが安田忠夫であった。大相撲時代は孝乃富士の四股名で活躍し、北勝海や北尾、寺尾、小錦らと並んで“花のサンパチ組”と称され、小結まで昇進した。 28歳で廃業して新日へ入団。プロレスラーとしても大成を期待されたが、生来の無気力、練習嫌い、バクチ好きなど素行の悪さから、中堅どころに甘んじていた。 '01年には心機一転、猪木事務所入りして総合格闘家に転向。デビュー戦こそ佐竹に判定勝ちを収めたものの、2戦目にはレネ・ローゼのハイキックで壮絶なKO負けを喫している。 一方、相手のジェロム・レ・バンナは総合初挑戦とはいえ、その草分けであるケン・シャムロックの下で練習を積み、K-1四天王の実績からも将来を嘱望されていた。もちろん下馬評はバンナ一色。 「試合に期待できない分、他のところで盛り上げなければと、離婚で母方にいた娘まで引っ張り出して試合会場に招くなど、安田が負けた後の演出のことばかりを考えていました」(同) だが、試合は予想外の展開を見せる。安田はバンナの牽制の右ジャブに構うことなく、真正面から体ごとぶちかましていくと、その勢いのままグラウンドへとなだれ込む。 ただ突っ込むだけなので、安田がバンナの上になる場面もあったが、実戦でのグラウンド経験がないために、たまたま袈裟固めの体勢に入っても極めることができない。セコンドの指示を受けマウントへ移行しようにも、動きに隙が出て解けてしまう。スタンドに戻っても安田の突進の前に、バンナはどうしても下がることが多くなり、そこからパンチを放ってもダメージを与えられない。 そんな中、安田が一世一代の根性を見せる。コーナーに詰まり上から浴びせられるピンチを、バンナの腰にしがみついて耐えると、2Rに入り何度目かの体当たりで上になったところで、がむしゃらに覆いかぶさっていく。力任せに腕を喉元に差し込んでギロチンチョークの形をつくると、同時に密着した安田の体がバンナの口をふさぎ、ここでついにバンナがタップした。 技術は拙く、格でも劣っていたが、根性一本で勝ち名乗りを上げた安田。リングに駆け上がって祝福する娘を肩に担ぐその姿は、格闘技を超えたヒューマンドラマであった。
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社会 2015年12月23日 10時00分
世の中おかしな事だらけ 三橋貴明の『マスコミに騙されるな!』 第155回 単位労働コスト
中国の「単位労働コスト」が日本を上回ったことが話題になっている。「単位労働コスト」とは何だろうか。 その前に、歴史の話をしなければならない。 イギリスの植民地と化す前のインドは、世界屈指の綿製品の製造大国であった。インド産綿製品は欧州にも輸出され、大いに消費者に売れた。特に、国民が羊毛を中心とした衣料品しか知らなかったイギリスにおいて、着心地が良いインド産綿製品は爆発的な人気を呼ぶことになる。インド産綿製品は、メーンの出荷港がカルカッタだったこともあり、「キャラコ」と呼ばれていた。 国内の衣料品市場をインド製品に席巻されたイギリス側は「保護貿易」に走った。イギリス政府は1700年と1720年の2度にわたり、インド産の綿布の輸入を制限、禁止するキャラコ禁止法を成立させる。 まずは1700年に「イギリス国内の繊維業者を保護」することを目的に一部の綿布の輸入が禁止され、さらに1720年には再輸出用を除くすべての綿布の輸入が禁止されてしまったのである。 イギリスは国内において綿製品生産に向けた大々的な設備投資、技術開発投資を行った。すなわち、産業革命である。綿製品の生産性向上を目的に、イギリスではさまざまな技術が開発され、最終的には1785年に蒸気機関を動力とした力織機をエドモンド・カートライトが発明。同国の綿布生産に関する生産性は、劇的に高まった。 機械化により大量生産が可能となり、当たり前の話としてイギリス製綿布の値段は下がっていった。結果的に、イギリスは綿製品の市場でインドとの競争に勝つことが可能な価格競争力を手に入れたのだ。 イギリスは機械で大量生産される綿製品を、自国市場はもちろんのこと、インド市場にも輸出していった。しかもイギリスは、かつての自分たちは「保護貿易」で自国の綿製品市場を守ったにもかかわらず、インドには「自由貿易」を要求。ムガール帝国に圧力をかけ、イギリス製綿製品について掛けられていた5%の関税を撤廃させた。 関税という盾を奪われたインド側は、イギリスから押し寄せる安価で大量の綿製品になすすべもなく、国内の手工業的な綿布生産が、大げさでも何でもなく「壊滅的」な状況に陥ってしまう。それまで綿工業で繁栄を極めていたダッカ、スラート、ムルシダバードなどの街は貧困化の一途をたどり、当時のイギリスのインド総督が、 「この窮乏たるや商業史上にほとんど類例を見ない。木綿布工たちの骨はインドの平原を白くしている」 と表現するに至ったのである。 この“歴史的事実”を読み、一つ、不審に感じた点はないだろうか。 イギリス産綿製品がインド市場で売れていったのは事実だが、理由はインド産よりも「安価」だったためである。ということは、イギリスの人件費はインドよりも安かったのか。もちろん、そんなことはない。 人件費が高いイギリスの綿製品がインド産よりも安くなってしまった理由は、イギリスの方が「生産性」が高いためである。製品一単位当たりの労働コスト、すなわち単位労働コストは、人件費のみで決定されるわけではない。 例えば、イギリスの工員一人当たりの給与水準が月額20万円、インドが5万円だったとしよう。人件費のみを比べると、イギリスの方が労働者一人当たりで4倍ものコストが掛かってしまう。ところが、イギリスは産業革命により大量生産が可能となり、労働者一人でひと月に1000枚の綿製品を生産できたとしよう。対するインドは、手工業的な生産であるため、どれだけ頑張っても労働者一人当たり、ひと月に100枚しか生産できない。 この場合、月あたりで見たイギリスの単位労働コストは、綿製品1枚当たり200円だ。それに対し、インドは500円。単位労働コストで見ると、インドで生産する方が「高くつく」という話になってしまうわけだ。生産者一人当たりの生産量、すなわち生産性の違いは、人件費以上に製品の価格競争力に決定的な影響を与えるのだ。 現在、「世界の工場」といわれた中国の人件費が上昇を続けている。反対側で、日本の「グローバル」から見た人件費は、実質賃金低下や円安で下がった。 結果的に、冒頭で書いた通り、日中の単位労働コストが接近し、ついに「逆転」してしまった。 SMBC日興証券の試算によると、日中のドル建て単位労働コストは、1995年時点では日本が中国の3倍を超えていたとのことである。その後、'13年に中国の単位労働コストが日本を逆転。'14年以降も、差が埋まるどころか、むしろ開きつつある。すなわち、中国で生産をする方が、日本で生産するよりも「高くつく」時代に入っているのだ。 ちなみに中国の人件費は年に1割程度の上昇が続いているが、JETRO=日本貿易振興機構によると、工員の平均月給は北京で566ドル(約7万円)、上海で474ドルとのことである。日本は2000ドル超であるため、賃金だけを見ればわが国の方が不利だが、生産性を加味した単位労働コストで見ると、中国の方が高いというのが現実なのだ。 決定的に重要なのは、単位労働コストは“人件費のみでは決まらない”という点になる。すなわち、生産性の違いにより、単位労働コストは変わってくるのである。 今後、わが国は生産年齢人口対総人口比率の低下により、人件費は上昇せざるを得ない。そうであったとしても、設備投資、人材投資、技術開発投資、そして公共投資という四投資により生産性を高めれば、単位労働コストで諸外国に優位な立場に立つことは可能なのだ。 単純に「安い賃金」を求め、企業が続々と外国に雇用を移していくのでは、国民が貧困化し、将来的に日本は発展途上国と化す。 それに対し、今後の日本企業が生産性向上により単位労働コストを押し下げる投資を拡大すれば、「国民が豊かになる日本」と「グローバルな価格競争力強化」を両立することは可能という真実を、今こそ日本国民は理解しなければならない。みつはし たかあき(経済評論家・作家)1969年、熊本県生まれ。外資系企業を経て、中小企業診断士として独立。現在、気鋭の経済評論家として、分かりやすい経済評論が人気を集めている。
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レジャー 2015年12月23日 09時00分
名古屋グランプリ(JpnII、名古屋ダート2500メートル、23日)藤川京子のクロスカウンター予想!
23日は、名古屋競馬場で名古屋グランプリG2が行なわれます。私もイベントに参加していますので近くの人は、見に来て下さいね。 さて、予想の方は毎年と言っていい程JRAから参戦して来る馬達だけで勝敗が決まっています。でも、今年は名古屋競馬場の砂が全面入れ替えで砂がフカフカで、同じ馬が走っても2秒位時計が掛かっています。そして、先週もさらに砂を補充しているので、先行馬は深い砂で苦戦するかもしれません。今年に限っては、地方馬が馬券に絡む可能性が出てきました。 2500mの長い距離なので、先攻するエーシンモアオバーとニホンピロアワーズが深い砂で、スタミナ切れを起こせばピースフルリバティ、ゴールドゼウス、馬券に絡む可能性があると思います。殆どの馬券は、JRA組の中だけで馬券が売れていくと思いますので久しぶりに地方馬が絡めばよい配当が見込めます。 また、夕方から弱い雨が降るかもしれない予報も出ているので馬場状態もチェックして欲しい。この場合はJRA組のBOXでよろしいかと思います。(11)◎アムールブリエ(5)○カゼノコ(1)▲ソリタリーキング(3)△エーシンモアオバー(10)△ニホンピロアワーズ(4)△ゴールドゼウス(8)△ピースフルリバティ3連単フォーメーション1着(1)(5)(11)2着(1)(5)(11)3着(1)(3)(4)(5)(8)(10)(11)※出馬表などのデータは、必ず公式発表のものと照合し確認してください。
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レジャー
GI秋華賞 藍子 キス&キッス軸
2006年10月14日 15時00分
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レジャー
確定GI秋華賞 アドマイヤキッス激変
2006年10月13日 15時00分
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芸能
みのもんた 参院選出馬!?
2006年10月12日 15時00分
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レジャー
GI秋華賞追い切り速報 春の実績馬を脅かす不気味な存在 究極の上がり馬 サンドリオン絶好
2006年10月11日 15時00分
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スポーツ
大みそか参戦ほぼ決定 芸能人対決 金子賢vs押尾学
2006年10月10日 15時00分
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レジャー
GII毎日王冠 テレグノシス花道V
2006年10月07日 15時00分
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レジャー
アイルランドT キンシャサノキセキ断然
2006年10月06日 15時00分
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よしお兄さん、だいすけお兄さんの結婚を祝福「直接聞きました」 パパとしての喜びを語る
1999年11月13日 11時50分
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マギー司郎「童貞は舞台に立たせない」
1990年12月15日 12時55分
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中居正広がクレカ被害、詐欺師に対し「可哀想」
1990年11月15日 11時21分
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1980年09月26日 22時06分
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1970年09月27日 12時20分
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1970年09月26日 22時43分
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1970年09月26日 22時28分
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1970年09月26日 22時10分