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その他 2007年10月10日 15時00分
「アキバ探検隊」メイドさんのボディーガード直撃
秋葉原の街頭では大勢のメイドさんがPRチラシを配っている。周囲はアキバ系が目立つが、夜はタチの悪い客も少なくない。トラブルを未然に防ぐため、遠目からメイドさんを見守る“ボディーガード”が登場している。 夜8時すぎのJR秋葉原駅電気街口。チラシを配るメイドさんから距離を置いた後方、スーツ姿の男性がずーっと立っているのが気になった。メイドさんを気にしている様子だが近づく気配はない。最近こうした光景をよく見かける。 足裏メイドリフレ「キューティーリラックス」(千代田区外神田1-16-10ニュー秋葉原センター2F奥)では、店長自らが不定期に見回りをしている。 「夜間だけでなく土日祝日の日中なども怪しい人がいますね。女の子がトラブルに巻き込まれないように、やや距離を置いて見守っています。ただ、お客さんなのか不審人物なのか線引きが難しいんですよ。話し込んでいたら近付いて『ご案内いたしますか?』と話しかけます」と店長。 同店メイドのすずさんは「夜は気軽に話し掛けてくる酔っ払いが多いですね。『お店どこなの』『一緒に写真撮ろうよ』としつこくされると困ります。若い人は『メアド教えて』『どっか行こうよ』とナンパめいた感じですね」と街頭でのやりとりを打ち明ける。 秋葉原では昨年秋以降メイドさんが襲われる事件が相次いだ。ストーカー行為や“お触り強行”に悩む店もあり、所轄の警視庁万世橋署は今年6月、防犯指導のためメイド喫茶店長らを集めて防犯連絡会を開いた。店側にも自主的な防犯態勢が求められているわけだ。 某店メイドさんは「派手なカラーシャツのチンピラに絡まれたことがあります。だれも助けてくれなくて怖かった」と話す。ドラマを地でいくアキバ系の「電車男」化が待たれる。
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レジャー 2007年10月10日 15時00分
秋華賞(JpnI 京都芝2000m 14日) ダービー馬ウオッカがラスト1冠に全力投球
壮大な夢はお預けとなった。ウオッカはその悔しさをぶつけるため、この秋は国内3戦に全力投球する。 「秋はオーナーから3戦と言われている。この後はジャパンCから有馬記念に向かいます」角居師は胸を張り、そう言い切った。 春は64年ぶりに牝馬のダービー馬に輝いた。自らの底力で手にした3歳日本一の座。それをさらに輝くものにするため、秋はフランス・凱旋門賞に挑戦する予定だった。しかし好事魔多し。栗東での調整中、右トモの蹄球炎を発症してしまい、渡仏は幻に終わった。 気持ちの切り替えは早かった。脚部不安が分かると角居師はすぐさま秋華賞へと照準を変更。夏場をじっくり調整にあててきた。乗り運動には師自らまたがるなど、丹念にスキのない仕上げを施してきた。 「いい感じできています。これなら、楽しみですね」じょう舌はいらない。簡潔に師は自信を表明した。 栗東CWコースで3頭併せを敢行した3日の1週前追い切りは、その言葉通り、軽快で力強かった。闘志をジッと内に秘めながら、ゴールを迎えた。 村山助手は言う。「併せ馬で前に出るとスイッチが入ってしまうので、そのあたりに気をつけて四位(騎手)さんも乗っていた。宝塚記念は壁をつくれず折り合いに苦労したけど、今の雰囲気なら大丈夫でしょう。直前はコースに入らず、坂路でやるつもりです」 太めも、緩みもない。ひと夏を順調に過ごし、左の筋肉が勝っていたトモのバランスも良くなったという。あとは、味付け程度の調整で十分のようだ。 凱旋門賞の夢は来年以降に持ち越されたが、3歳牝馬としてJC、有馬記念を勝てばそれもとんでもない快挙になる。しかし、ウオッカにはその前にやらなくてはならない仕事がある。 3歳牝馬に残された最後の1冠を手にすること。桜花賞はダイワスカーレットに敗れ、オークスは出走しなかった。ウオッカのダービーにとどまらず、スプリンターズSもアストンマーチャンが制するなど、史上まれに見るハイレベルといわれる今年の3歳牝馬。同世代の女の戦いにもきっちりケリをつけ、ウオッカは最高峰をにらむ。
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レジャー 2007年10月10日 15時00分
秋華賞(JpnI 京都芝2000m 14日) ダイワスカーレット 春とは別馬 樫断念の無念晴らす
本当のナンバーワンはワタシ!そう言いたげな強さだった。前哨戦のローズSを完勝してみせたダイワスカーレット。 引っ掛かり気味に先頭を奪うと、そのまま後続に一度も影を踏ませなかった。上がり3Fは例によって33秒6の鋭さ。逃げながら、ラストをこの時計でまとめられては後続はまったく太刀打ちできない。 「体質が強くなった結果、ローズSではああいう競馬ができた」と松田国師は振り返った。春は桜花賞を制したものの、強い調教を課すと体温が上がる弱さに悩まされていた。シーズン最後とぎりぎりの仕上げにかかったオークスも熱発で取り消している。 「まだ強いケイコに耐えられなかったんだね。負荷をかけるとすぐ38度5分まで上がっていた。でも、ひと夏越してそれがすっかり解消された」ふっくらした馬体、迫力ある大きなフットワーク。同じ栗毛の兄、ダイワメジャーを彷彿させる攻撃的な先行力が身についた。 春はウオッカがダービーを勝ち3歳牝馬ナンバーワンの座に就いた。しかし、そのウオッカを完成手前だった桜花賞でねじ伏せたのはこのスカーレットだ。 だが、松田国師はこう言って気を引き締めた。「ウオッカはもちろん夏場に力をつけた馬もいる。簡単に勝てるメンバーじゃない」と。油断は禁物。最後の最後までハードに攻め抜く“マツクニ流”で最後の一冠を獲りにいく。
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レジャー 2007年10月10日 15時00分
遠い記憶 羽田競馬場の歴史(3)
さて、前回は旧羽田競馬場から新羽田競馬場への移り行きを記した。 現在の羽田空港の南東部、A滑走路の先端あたりにリニューアルオープンした新競馬場の経営は東京府畜産奨励会があたった。 当時、日本一の競馬場といわれた羽田競馬は、春秋2回の競馬が開催され、全国から卓越した馬が集まった。その盛況ぶりは周辺の目黒競馬場や、根岸競馬場を凌ぐほどだったという。 新競馬場での最初の開催は1932(昭和7)年7月3日から5日にかけて行われ、55万4229円の売上を記録している。さらに、34年(昭和9年)7月の開催で売上は初めて100万円の大台を突破、その後も地方競馬では全国一の盛況が続いた。 しかし、当時の日本(大日本帝国)は31(昭和6)年の満州事変を機に、33(昭和8)年、国際連盟を脱退。軍事政権の下、第2次世界大戦への道を歩んでいく。そして、日中戦争の勃発に伴い立法された軍馬資源保護法の施行によって、羽田競馬は37(昭和12)年限りで廃止、翌38(昭和13)年に廃場へと追い込まれた。 跡地は日本特殊鋼株式会社の用地となり、その一部には高射砲陣地が設けられた。 こうして幕を閉じた羽田競馬だが、わずか10年余りの歴史とはいえ、日本で最初の少年騎手学校がつくられるなど、日本競馬の発展の過程で果たした役割は大きい。 ※参考文献=大井競馬の歩み/大田区の近代文化財/写真でみる郷土のうつりかわり/地方競馬史第一巻(1972年 地方競馬全国協会)、
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ミステリー 2007年10月09日 15時00分
謎の吸血サークルを追跡
吸血鬼・ドラキュラ伯爵。闇夜にまぎれ若い女性の首筋に噛み付き生き血を吸う化け物。西洋のいわゆる怪談の一つとして世界的有名である。おそらくNMRの読者の方ならば知らない人はいないはずだ。なんと我々編集部では「自分はドラキュラ家の末裔だ」と称し、都内某所で人間の生き血を啜るサークルの存在を確認。定期的なイベントで若い男女が集まり血を分け合い、そのまま飲んでいるというのだ!今回NMRではこの狂気の団体の実態に迫ってた。 人の生き血を啜る。考えるだけで吐き気を催す異常な欲求を満たすために都内某所で定期的にイベントを開いているサークルがある。あえてサークル名は伏せておくが「私たちはドラキュラの末裔」と自ら称する若い男女が十数人。繁華街の片隅にあるバーを貸切り、狂気の宴を繰り広げているという。我々NMR編集部ではこの狂気のサークルが催すイベントに実際に参加したことがある3人の女性の接触に成功した。まずは彼女たちの衝撃の体験談を聞こう。 まずはキリリとした瞳が印象的なMさん(26)。彼女は3年前からほぼ毎回イベントに参加し自ら率先して血液を口から体内に摂取している。 「このサークルに参加する前にインターネットの掲示板で知り合った3人の人たちで集まって血を飲んでいました。そんな小さなグループが集まってこのサークルができたんです。やっぱり自分の血を飲んでもしょうがない。若い男の子の血が私は好きです。ただ、サークルのルールで自分の血を飲んだ人の血は飲まない事になっています」なんとも具体的なコメントに衝撃を受ける編集部だが、Kさん(21)の証言はさらに狂気を増している。「生理が来たころから満月が近づくと血が飲みたくて飲みたくてしょうがなくなるんです。一回のイベントで飲む血の量は300mlくらい。100mlを3回に分けて飲みます。血は注射器で採取し、間に強いお酒を飲みながら朝までかけてそれだけの量を飲みます。血を飲んだ後のSEXは最高に素晴らしいです」 また、最近知人の男性に誘われこの会に参加したY(20)さんは「一番最初にサークルに参加した時には入会の儀式があり自分がドラキュラの末裔であることを誓わされます。まずはサークルの男性から首に噛み付かれます。そしてその後、小さなグラスに入った血を一気に飲まされます。飲んですぐは気持ちが悪いのですが他人の血が自分の体に染み渡ってゆく感覚はまるで新しい自分に生まれ変わるみたいな感覚」 3人とも自分のしている行為に悔恨の情はまったくない。むしろサークルを語るときの目は血液を飲んでいる時の光悦感を思い出してか目が少し虚ろになるほどだった。 おなじみNMRのご意見番柳タカシ氏に話を聞く。 「実は人の血を愛飲する団体はアメリカに多数存在し時に行き過ぎた行為が事件となりマスコミをにぎわしています。日本ではそれこそ少数の奇特な人間の集まりだったのですがインターネットの出現が彼らの距離を縮めました。彼らはまるで新興宗教のように自分たちの行いを儀式化し血を飲む行為を最も神聖な行為と考えています。ただ、ある一部の研究では血を飲むという欲求は性的リビドーの一種だと断言する研究者もいます」 アメリカで血飲はアブノーマルな行為として比較的多くの人が知っているという。柳氏の話によるとそれらのサークルには若い男女が集まり血を飲み体を合わせる。つまり無軌道な性の宴も同時に行われているのだ。 「最近ではアメリカでもそれらの団体は非常に問題視されています。HIVです。血を飲むと言う行為はもちろん、血液を採取する時に使う針を使いまわししたり、不特定多数の人間と性交をしていれば危険な病気が蔓延する事は目に見えていますから…ちなみに日本では資格のない人間が針を使うことも基本的には違法行為。一刻も早くそのようなイベントは中止にすべきです」 柳氏の指摘通りこの団体には多くの問題がありそうだ。私たちはそのサークルに場所を提供し自身も血液を愛飲するとされるマダムXへの接触を試みたが、一切ノーコメント。日本に上陸した「バンパイアクライシス」の真相に近づく事はできなかった。 しかし、私たちのすぐとなりで「ドラキュラもどき」が血に飢えている事は確かなようだ。NMRでは今後もこの最も危険な遊戯を徹底的に調査してゆく。
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スポーツ 2007年10月09日 15時00分
新日本プロレス 棚橋弘至が永田裕志を破って新王者に。フェロモン王者の誕生だ!
新日本プロレスのエース“フェロモンボディ”棚橋弘至が第二次政権を発足させた。 これまで使用していた白いロングスパッツから一転、ストロングスタイルの象徴、黒いショートタイツで登場した棚橋。「この方がセクシーだから」。フェロモン全開の棚橋は黄色い声援を味方につけて躍動した。 試合は30分を超える激闘となった。グラウンドの攻防で静かな立ち上がりだったが、10分過ぎに場外で永田の垂直落下式ブレンバスター、顔面へのジャンピングニーと非常な攻撃を立て続けに被弾してスイッチが入った棚橋。 反撃のエルボーをたたき込みスリングブレイド。間髪入れずジャーマンスープレックスでブン投げたが、逆にナガタロック2で返されてしまった。一進一退の攻防。終盤にはエクスプロイダー、バックドロップを立て続けに食らいグロッキー状態に陥ったが、ドラゴンスープレックスで逆襲した。 最後は伝家の宝刀ハイフライフロー3連発で3カウント奪取。ゴング前こそ野太い「ナガタ」コールに会場を支配されたが、終わってみれば会場全体が黄色い「タナハシ」コールに包まれていた。 実に31分5秒の熱戦を制し、半年ぶりに王座に返り咲いた棚橋。試合後は「すべてオレが何とかする」とファンに約束した。さらにブロック・レスナーが持ち逃げしてしまったことから現在はカート・アングルが所持する3代目ベルトについても言及。「レスナーとの闘いをつくったのはオレ。取り返すのもオレだと思う」。IWGPのベルト統一構想が視野にあることも明らかにした。
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スポーツ 2007年10月09日 15時00分
全日本プロレス 川田利明が佐々木健介を場外失神KO。3冠奪取に向けて大デモンストレーション
全日本プロレス新シリーズが8日、東京・後楽園ホールで開幕。全日プロ「創立35周年記念大会」(18日、国立代々木競技場第2体育館)で3冠王座に挑戦する川田利明が、王者・佐々木健介を失神KO。前回の対戦で失神させられた借りを返して王者を追い詰めた。 渕正信&太陽ケアと組み、山口竜志&中嶋勝彦&健介組と6人タッグで対戦した川田。9・29博多大会で場外北斗ボムで失神KOされた借りを返すべく、この日は健介と逆水平合戦を展開。28分過ぎには、試合そっちのけで健介にジャンピングハイキックを2発連発で放ち場外に落とすと、さらに場外で顔面蹴りを見舞って失神KO。リベンジに成功した。また、パートナーのケアがTKO34thで山口をマットに沈め試合にも勝利した。 試合後、トリオを組んだ渕が「川田は絶好調だね」と太鼓判を押したが、当の川田は「見ての通り。ちょっとは借りを返した」とだけコメントすると控室に消えていった。 見事復活の狼煙(のろし)を上げた“デンジャラスK”は、前哨戦で王者を追い込み、6度目の3冠王座奪還に向けて弾みをつけた。
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スポーツ 2007年10月09日 15時00分
新日本プロレス 後藤洋央紀が師匠・天山広吉を破ってIWGP次期挑戦者に名乗り
天山広吉との一騎打ちに臨んだ後藤洋央紀は師匠超えを果たし、IWGP獲りに名乗りを挙げた。 天山の激しいヘッドバッドで額を割られて大流血した後藤だったが、粘り強く戦い、最後は狂牛病のごとくフラフラになった天山を昇天でマットに沈めた。天山超えを果たした後藤は「新日のトップを長く張ってきた割にはだらしねえ」と元師匠を一蹴。すでにその目は新日プロでの天下取りに向けられていた。 後藤はメーンの永田VS棚橋によるIWGPヘビー級選手権をリングサイドでジッと観戦していたが、激戦を制した棚橋の勝利者インタビュー中に乱入すると王者に対戦要求。棚橋がその呼び掛けに応じると「認めたな。みなさん聞きましたか」とまんまと次期挑戦権を手中に収めた。 メキシコ凱旋から連勝重ね、師匠超えを果たして、ついにはIWGPヘビー挑戦権までも実質的に手にした後藤の勢いはとどまることを知らず。このまま一気に頂点を極めることができるか。
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スポーツ 2007年10月09日 15時00分
新日本プロレス 曙がミラノコレクションATを子ども扱いで376秒殺
曙は圧倒的な体格差を武器にミラノコレクションATを376秒殺した。 マスクド64に扮するまな息子をセコンドに引き連れて入場した曙は、予告していた300秒殺こそ逃したが、「事前に練習していた」というボノロックで勝利。「ポテチ作戦」で増量して臨んだミラノをあざ笑うかのように、ミラノ必殺のパラダイスロックをフューチャーした新技で圧倒的な力を誇示してみせた。あまりの力の差に物足りなかったのか、曙は憮然とした表情でノーコメントのまま控え室に消えた。
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スポーツ 2007年10月09日 15時00分
新日本プロレス 真壁刀義がレジェンド狩りを宣言
GBHの“キングコング”真壁刀義が越中詩郎を撃破した。 越中はヒップアタックで奇襲してきたが、ヘッドバットの応酬で勝ると、あとは独壇場。戦前に予告していたSM凌辱刑とまではいかなかったが、チェーンを使いでん部を攻撃するなどやりたい放題。最後は伝家の宝刀キングコングニードロップで侍の息の根を止めた。 試合後は「これが現実。レジェンドだか、サマーメモリーズだか知らねーけど、一番勢いのある越中がこのざま。次は蝶野、長州、オマエら首洗って待ってろ」と豪語。“新レジェンドハンター”と化した真壁は蝶野、長州にケンカ状を吹っかけていた。
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