-
トレンド 2007年11月27日 15時00分
大江戸線代々木駅に海に浮かぶボート出現!?
駅に水面が出現!?都営地下鉄大江戸線代々木駅の地下コンコースに水面に浮かぶ競技用ボートが現れた。2016年東京オリンピック招致を目指す都交通局が「TOEI STATION STADIUM」と題し、オリンピック種目29競技を大江戸線30駅で疑似体感できるよう展開中。代々木駅ではボート(Rowing)が展示されている。 水面はそれらしくペイントしたものだが、ボートは本物だ。そばで警備員が見張っており、価値ある展示であることがうかがえる。 ボート競技は国際基準2000メートル6レーンでそのスピードが競われる。1、2、4、8人乗りがあり、船体の舵をコントロールする舵手がいるか、いないかのバリエーションや、推進力になるオールについては大型1本で漕ぐ「スウィープ」と、小型2本で漕ぐ「スカル」がある。本紙読者にはボートというとモーターボート=競艇のほうが馴染みが深いかもしれないが、自力で漕ぐほうの話だ。 有名なのは早慶レガッタ。学生競技は、田中麗奈主演の映画「がんばっていきまっしょい」や人気ドラマ「愛という名のもとに」などで題材として取り上げられたことがある。 掲示されている説明によると、日本の五輪ボート競技への出場は1928年アムステルダム大会に始まる。84年ロサンゼルス大会では男子舵つきフォアが8位、2000年シドニー大会、04年アテネ大会では男子軽量級ダブルスカルが6位入賞を果たしている。 こう言っては失礼だが、マイナー競技にしてはメダルに届かないまでも健闘している。展示は12月2日まで。
-
レジャー 2007年11月27日 15時00分
オディール 母の無念晴らし阪神JF制覇へ
母の悔しさを晴らす。2007年の2歳女王を決定する「第59回阪神JF」(JpnI 芝1600m 12月2日)。ファンタジーSの快勝で一躍主役に躍り出たオディールが、絶好調を維持したまま大舞台に乗り出す。“GIハンター”安藤勝騎手を背に、このレースで2着に泣いた母キュンティア(1997年)の無念も晴らすつもりだ。 見事な末脚だった。前走のファンタジーS。4番人気の低評価を覆すパフォーマンスをオディールは見せた。 ハイラップで飛ばしたエイムアットビップの脚は直線に向いても鈍らない。だれもが逃げ切りと思った瞬間、外から猛然と追い上げたのがアンカツとオディールだった。 スタートしてすぐは横一線。そこからエイムアットが抑え切れない手応えで前に出た。4角ではその差10馬身。しかし、安藤勝はスタンドの盛り上がりをよそに、「残り1Fで差せると思った」と勝利を確信していた。 前々走のりんどう賞は出遅れてエイムアットの逃げ切りを許したが、安藤勝に鞍上がスイッチされると好スタートから即反撃。大きなお釣りをつけてリベンジに成功した。 「お母さん譲りだね」母キュンティアを英国のセールで発掘した橋口師は満足げに振り返る。その母は阪神JFの前身、97年の阪神3歳牝馬Sで2着している。繁殖に上がってからは病気のため、種付けできない年が続いた。治療の末、ようやく生まれたのがこのオディールだけに、母の無念を晴らそうと、意気込みは並々ならぬものがある。 中間は順調に乗り込まれている。「りんどう賞の後は疲れが出たけど、今はもうすっかり回復して元気いっぱい」と柴田助手。「このまま順調にいけば、自ずと結果は出ると思う」と相当な自信を見せた。 ダイワスカーレットにダイワメジャー、サンライズバッカスと今年GI(JpnI)を勝ちまくる安藤勝が今回も強い味方だ。「前走でいい感触をつかんでくれただろうし、まったく引っ掛からないので距離が延びても心配ない。本当に乗りやすい馬だから」と柴田助手は人馬に全幅の信頼を寄せている。 キャリアの浅い2歳戦。しかも、デリケートな牝馬の戦いでは何が起きるか分からない。このレースでも過去、何度も大本命が消えている。さてオディールは…。波乱の渦に飲み込まれず勝利をもぎ取れば、早くも来年の桜が見えてくる。
-
レジャー 2007年11月27日 15時00分
阪神JF 雪辱に燃えるスピード上位エイムアットビップ
前哨戦のファンタジーSではライバル・オディールに0秒2差で後塵を拝したエイムアットビップ。しかし、一級品のスピードは見せた。あとはそれをいかに制御するか。まさに鞍上・福永騎手の腕の見せどころだ。 「アストンマーチャンチックな競馬が合うタイプ。だから無理に控えるレースをするのもどうかなって思う。でも、今度は坂のある阪神。距離も延びるのでやはり考えて乗らなければいけない」 福永が語るようにスピードの絶対値はスプリンターズSを制した3歳牝馬にも負けはしない。ただし、マーチャンがそうだったように牝馬特有のか細い神経を同時に抱えるのも事実。 前走でも前半こそ、折り合っていたが3角手前からハミを噛んで行く気になると馬任せで先頭へと躍り出た。しかし、これが結果として裏目に出てゴール前で失速。無理をしてでも抑える…これが阪神マイル克服のカギであることは担当の平木厩務員も承知している。 「スピードを生かす競馬が一番合うんだろう。でも、4走前は3番手から伸びてきている。決して抑えが利かないタイプはないんだ」 ファンタジーSを教訓にした抑える競馬。折り合って直線まで脚をためることができれば…待望のビッグタイトルが見えてくる。
-
-
レジャー 2007年11月27日 15時00分
引退の危機に陥ったことも… 高知のリーディングジョッキー・赤岡修次騎手に迫った
10年ぶりに思い出の大舞台へ。「どん底」からはい上がった男が仁川のターフで魅せる。 12月1日(土)、2日(日)にJRA阪神競馬場で実施される「第21回ワールドスーパージョッキーズシリーズ(WSJS)」に、地方競馬代表として出場する赤岡修次騎手(高知・工藤英厩舎)は「4年くらい前に、本気でジョッキーを辞めようと考えていた」という。 昨2006年に初めて高知リーディングを獲得。今年も絶好調で現在182勝を挙げ、リーディング争いでは2位に72勝差をつける独走態勢に入った。8月には地方競馬通算1000勝を達成、いまや高知ナンバーワンの座を不動のものにしようとしている。その赤岡騎手がなぜ引退の危機に陥ったのか。 デビュー翌年にNARグランプリの優秀新人騎手賞を受賞し、早々と頭角を現した。1997年には桜花賞TRの4歳牝馬特別(現フィリーズレビュー)でJRAにも挑戦。順風満帆だった騎手生活に暗雲が立ち込めたのは4年目のことだった。 「レース中に大ケガして、その後5年は足に違和感があって追えないし、大スランプ。騎乗馬も減って、どん底だった」 そんななか、長いトンネルから救い出してくれたのはベテランの西川敏騎手だった。「オープン馬を回してくれたり、西川さんが『辞めるな』と言ってくれなければ本当に辞めていた」心機一転、騎手であり続けることを選択した赤岡騎手に、そっぽを向きかけた運命の女神は再び微笑んだ。 阪神へ向け、「10年前は『乗れてよかった』で終わったけど、それなりに実績も挙げている今は恥ずかしいレースはしたくない。スタートはヒケを取らないと思う」と気合十分。真骨頂である抜群のスタートセンスを生かした「逃げ」で世界を魅了する。
-
レジャー 2007年11月26日 15時00分
ジャパンC アドマイヤムーンが有終V
春のグランプリホースが王座を奪還!「第27回ジャパンC」(GI 東京芝2400m 25日)は、5番人気のアドマイヤムーンが好位から鋭く抜け出して快勝。天皇賞惨敗のうっぷんを見事に晴らした。断然1番人気に支持されたメイショウサムソンは惜しくも3着。2着には距離延長で真価を発揮したポップロックが入った。 レースは大方の予想を裏切ってチョウサンが後続を引っ張り、テンの2F目を除いては9F通過までラップはすべて12秒台というジャパンCらしからぬ落ち着いた流れになった。 岩田騎手はアドマイヤムーンを先行馬の後ろにスッとつけると、やや行きたがる愛馬をなだめ、折り合いに専念。直線インから鮮やかに抜け出し、馬場の真ん中から猛追してくるポップロック、メイショウサムソンをアタマ+クビ差振り切った。 このレースぶり。ちょっと前に見た記憶があるようなないような…。そう、直線に入ったところで各馬がゴチャつくなか、内からスイスイとヴィクトリーロードを突き進んだ天皇賞・秋のサムソンである。今日はまさに、“目には目を”といわんばかりの絵に描いたようなリベンジ走だった。 ところが、意外だったのは大仕事をやってのけた岩田のセリフ。開口一番、「頭の中が真っ白です」と、まるで1番人気で惨敗したかのようなコメント。もっとも、今日の騎乗は決して自分で納得いくものではなかった。「スタートしてすぐ、内からポップと(コスモ)バルクが上がって行ったから、ガーッと行きたがってしまった。だから、息も入っていないし…」第三者から映る目とは違い、薄氷の勝利だったことを明かした。 それは「ただただ、馬が強かったです」のひと言にすべてが集約されていた。天皇賞・秋は直線で受けた不利で不完全燃焼…プレッシャーも想像を絶するものがあったに違いない。「微妙な差だったけど、勝ててうれしい」目に涙を浮かばせ、時折、言葉を詰まらせながら静かに喜びをかみ締めていた。 一方、松田博師も、天皇賞・秋の悔しい思いがあっただけに、感無量の様子。「今日はいつもよりゲートが良かったし、ペースが緩くていい位置も取れた。勝つときは何もかもうまくいくものだと思った。直線抜け出してきたときは『(抜け出すのが)早すぎる』と思ったけど、よく持ちこたえてくれた」 気になる今後については、「引退させて、体力が回復したら(種牡馬になるため)北海道へ戻す」とダーレーJF代表の高橋力氏。今日の勝利で国内最強の称号を取り戻しただけに、引退するにはまだ早すぎるという意見もあるが、「当初は天皇賞・秋で引退させるつもりだった。ただ、ああいうアクシデントがあって6着に終わってしまったので、悪い印象のまま引退させたくなかった」と説明した。 サムソンとの再対決を有馬記念で望むファンからすれば、この引退は何とも残念なところだが、これも将来を見据えた陣営の勇気ある決断。今は亡きエンドスウィープの後継種牡馬として、これからの活躍が期待される。
-
-
芸能 2007年11月26日 15時00分
「ホリプロ タレントスカウトキャラバン」グランプリに中学3年の足立梨花さん
深田恭子、石原さとみらを輩出した「第32回ホリプロスカウトキャラバン」の決選大会25日、都内で行われ、5万1923人の応募者の中から、三重県在住の中学3年生・足立梨花さん(15)がグランプリに輝いた。 「うれしいです。いろいろな仕事ができるタレントになりたい」と壇上で涙を流した足立さんは、地元の公立中に通い、夏までソフトテニス部で活動していた。身長160cm、スリーサイズはB79W56H85で、審査員が絶賛した愛くるしい笑顔が印象的。もともと芸能界に興味があり、父から応募を勧められたという。 来年3月の中学卒業後に上京し、モデルを含めマルチな活動を予定している。
-
レジャー 2007年11月26日 15時00分
先週の新馬勝ち馬(京都)
3日間開催で組まれた新場は5鞍。なかでも、注目は25日(日)の芝1800mで3連複21万2090円の片棒を担いだドリームアビール(牡、父メジロブライト、母コスモプルミエ=栗東・松元茂厩舎)だ。 道中は中団に位置取ると、直線では狭いインをこじ開け、アメイジングベガとの叩き合いを半馬身差制した。勝ち時計は1分50秒4(良)。 ブービー人気にも、「それ以上走ると思っていた。内の悪いところでもひるまず伸びてくれた」と金折騎手は父メジロブライド譲りの強靭な末脚と根性をべた褒め。角居厩舎の評判馬で1番人気に支持されたシンボリクリスエス産駒シャンパンファイト(4着)を下したことからも、今後が楽しみな好素材だ。
-
レジャー 2007年11月26日 15時00分
JCダート ヴァーミリアンがレコードV
2007年の最強ダート馬はヴァーミリアン。外国招待馬3頭、地方代表馬1頭が参戦した「第8回ジャパンCダート」(GI ダ2100m)は24日、東京競馬場で行われ、単勝1番人気のヴァーミリアン(武豊騎手)が直線豪快に抜け出し優勝。2分6秒7(良)とレコードで花を添えた。1馬身4分の1差の2着にはフィールドルージュ、さらに3馬身半差の3着にはサンライズバッカスが入った。 武豊騎手はクロフネ(01年)、タイムパラドックス(04年)、カネヒキリ(05年)に次いで4勝目。石坂師は昨年のアロンダイトに続く2連覇と記録ずくめだった。 「(見ての通り)いやあ、強いなぁと思いました」と満面に笑みを浮かべる武豊騎手。「あわてて先頭に立たないように、その点だけ気をつけた。今まで万全の状態で使ったことがなかったが、ようやく本格化した」と喜びを爆発させた。 次走は、07年の総決算「東京大賞典」(JpnI 大井2000m 12月29日)で有終の美を狙う。
-
レジャー 2007年11月26日 15時00分
先週の新馬勝ち馬(東京)
25日(日)の芝1800m戦は、単勝1.9倍の断然人気に支持されたラヴドシャンクシー(父ファルブラヴ、母シャンクシー=美浦・堀厩舎)が好位から抜け出して快勝した。勝ち時計は1分53秒8(良)。 4着までがクビ+クビ+クビの大接戦を、最後は力でねじ伏せた。騎乗した武豊騎手は「追ってからの反応がすごく良かった。かなり行きたがる気性だって聞いていたけど、レースでは折り合いがしっかりついた」と着差以上の好内容に満面の笑み。次走は未定だが、「ストライドが大きくて身のこなしのいい馬。かなり素質が高そうです」と“天才”のジャッジも上々で、今後も目が離せない。 「ケイコに乗った感じでは、使ってからと思っていた。まさか勝てるとは…」。24日(土)のダ1600m戦で田中勝騎手の予想に反して優勝したのが、ゴールデンハッチ(牡、父ブライアンズタイム、母タガノキャンディ=美浦・二ノ宮厩舎)だ。 1馬身4分の1差突き放す完勝で、勝ちタイムは1分40秒4(良)だった。前半は無理せず、後方から。「直線で外に出したら反応良く伸びてくれた」と振り返る田中勝騎手。「実戦タイプだね。癖のない素直な馬で、これからまだ良くなる」と終始ご機嫌だった。芝は未知数で、今後の課題となる。 同日の芝1600m戦は、外国産馬のダノンバッカス(牡、父Dubai Destination、母Lady Bankes=栗東・小崎厩舎)が、1番人気に違わぬ強さを見せて優勝した。勝ちタイムは1分39秒0(良)。 スタートと同時にサッと好位に付け、最後も危なげなく抜け出し1馬身半差の完勝。センスが良く、豊かな将来性が感じられた。「素直で乗りやすく、根性もある」とペリエ騎手も合格点を与えた。 一方、小崎師は「目立った時計は出ていなかったが、実戦で変わると思った」と期待通りの内容にご満悦。「まだ、馬っ気を出したり、他の馬にちょっかいを出したり、幼いけど力はある」とキッパリ。「距離は延びても大丈夫」と今後の活躍に胸を躍らせていた。 23日(金)のダ1400m戦(牝馬限定)は、単勝13番人気のシュンカジョウ(父アフリート、母フブキジョウ=美浦・小西厩舎)が優勝。大番狂わせを演じた。勝ちタイムは1分28秒2(良)。 先行馬群から抜け出し、1馬身4分3差突き放した内容は、フロックといわせない強さだった。「単勝100倍(1万2040円)ですか?でも、お母さんも新馬勝ちしているんですよ」とは田辺騎手。過小評価に首を傾げていた表情が印象的だった。 「性格が素直で気持ちも前向き。4角で前が詰まったけど、また伸びてきた」と評価。芝の適性については、「タイプ的にはダート馬だと思う」と話していた。 同日の芝1400m戦は評判馬のスワンキーポーチ(牝、父アグネスタキオン、母チャッターボックス=美浦・鈴木康厩舎)が期待に違わぬ強さを見せつけて優勝。ついに神秘のベールを脱いだ。勝ちタイムは1分24秒0(良)。 坂を上がって先行集団から抜け出すと、一気に後続を置き去りにして4馬身差突き放すベストパフォーマンスだ。しかも、「初めてのレースだから物見をして、モタモタしていた」と話す横山典騎手。それでこの圧勝劇だから恐れいる。「動きが素軽く、パワフル。折り合いの心配がないから距離が延びても大丈夫」前途は洋々としている。
-
-
芸能 2007年11月26日 15時00分
ポップ・ロックバンド「PILOT」初来日独占インタビュー
1970年代中盤、軽快なメロディーに青春の甘酸っぱい詩を乗せた数々のヒット曲で人気を博した4人組ポップ・ロックバンド、PILOT。解散から30年を経て、ついに今年、創設メンバーのデイヴィッド・ペイトン(リード・ボーカル、ベース)とスチュアート・トッシュ(ドラムス、パーカッション、ボーカル)を中心に再結成し、待望の初来日を果たした。2人に再結成のいきさつと今後の活動の展望を聞いた。 −−昨夜のコンサートはすばらしかったです。あなた方のヒット曲が生で聴ける日が来るなんて、夢のようでした。ところで、どんなきっかけで、日本で再結成ライブを行うことになったのですか? デイヴィッド・ペイトン(以下DP)「今回来日したのは、ファンのみんなが呼んでくれたからだ。数年前から日本でPILOTのライブをして欲しいというリクエストが高まり、プロモーターを探していた。それを知った(会場兼招聘元の)クラブチッタ側が呼んでくれた。いろんな条件が合って、実現できた」 −−サポートのケリー・ブラウン(ギター)とケニー・ハッチソン(キーボード)はオリジナルに限りなく近い音を再現できていたと思いますが、オリジナルのギタリストであるイアン・ベアンソンが今回の来日に参加できなかった理由を教えてください。 DP「物理的に、輸送の問題があった。彼はスペイン在住なので、一緒に練習するのが大変なんだ。また、彼が他のツアーに参加していたという、スケジュール上の問題もあった」 −−ケリーとケニーはどういういきさつで今回のサポートに入ることになったのですか? DP「彼らがPILOTに入って2年になるね。それ以前から僕らはとても多くのライブで共演してきた。彼らはPILOTの音楽を敬愛しているし、それを再現する技量も持っている」 −−初めて訪れた日本の印象はいかがですか? DP「いいところだろうと期待していたが、予想以上にすばらしい。特に人々が皆礼儀正しい。それに、日本のファンは、とても感情表現が豊かで、喜びがストレートに伝わってくる。日本に来られて本当に良かった。クラブチッタのスタッフも皆プロフェッショナルで、行き届いているのがうれしいね」 −−日本食や日本酒も気に入ったとか。 DP「来日初日に、日本酒をしこたま飲み過ぎてしまった(笑)」 スチュアート・トッシュ(以下ST)「実はその時ワインも飲んだんだよ。日本酒の前にね」 DP「日本食も、きのう焼き鳥や手羽先を食べたが、すごく気に入った」 −−スチュアートは10ccとして来日して以来12年ぶりですが、その時と比べて、どうですか? ST「過去3回10ccで来て、今回がPILOTとして初めてだけど、曲が終わるごとにファンが拍手して声をかけてくれて、今回が最高にいい時間をすごしているよ。きのうは、わざわざロサンゼルスから駆けつけてくれた日本人ファンもいて、とてもうれしかった」 −−デイヴィッド、昔の話を聞かせてください。PILOTはアラン・パーソンズ・プロジェクトに参加する形で発展的に解散しましたが、当時、あなたが中心となって他のバンドを結成するとか、ソロで独立するプランはなかったのですか? DP「80年にソロ・アルバムをレコーディングしたけれど、発売されなかった。解散の一番の原因は、やはりマネジメントが最悪だった。アラン・パーソンズとは、僕らがEMIと契約した時に会社が提示した10人のプロデューサーから彼を選んで以来の関係だ。ソロに関しては、今まさに活動しているところだよ」 −−イアンたちとキーツ(Keats)というグループを結成したこともありましたが、アルバム1枚で終わってしまったのはなぜでしょう? DP「キーツはアランの相棒のエリック・ウルフソンの構想でできたバンドで、グループ名の由来はハムステッドにあったレストランの名前だった。僕らはレコーディング後、よくそこで打ち合わせや食事をした。でも、僕らはほかにもそれぞれ仕事があって、キーツに集中できなかったので長続きしなかったんだ」 −−曲作りについてお聞きします。あなたの書く詞はどれもまるでラブレターのように感じられますが、これらはどういう時に思いつくのですか? DP「妻に向けて書いている。ほかの女の人のために書いたら妻に殺される(笑)」 −−ビリー・ライアルと何曲か共作していますが、あなたにとってビリーはどういう存在でしたか? DP「実際には2人で曲を合作することはなかった。彼はよきライバルで、互いに曲を書いては相手に聴かせ、聴かされた方はもっといい曲を書くというように、切磋琢磨しあったよ」 −−スチュアートにとっては? ST「彼とはデイヴィッドを通じて知り合った。とても才能があった」 −−今後、英国で凱旋ツアーを行う可能性は? DP「難しいな。英国で『ジャニュアリー』『マジック』はヒット曲として有名だけれど、それを歌ったPILOTの名は知られていない。コンサートをやっても、お客が入らないだろうね。僕らはむしろ豪州で人気で、8月に参加したオムニバス・ショーでは7回の公演で10万人を動員した。豪では『ジャニュアリー』は11週連続1位を記録しているんだ。ビートルズもできなかった記録だよ」 −−それはすごい!影響を受けたミュージシャンを教えてください。 DP「大勢いるけど、やはりビートルズだね」 ST「ビートルズと、ビーチボーイズ。彼らのハーモニーが好きだった。ドラマーではバディー・リッチ、リンゴ・スターだね。息子のザック・スターキーもいいね。あとホリーズのボビー・エリオット」 −−PILOT名義の好きな曲を挙げてください。 DP「『マジック』は外せないな。うーん、『ライブラリー・ドア』『ユー・アー・マイ・ナンバーワン』『トゥー・ユー・アローン』かな」 ST「『ハード・イット・オール・ビフォア』『ジャニュアリー』」 −−ニュー・アルバム『フェロー・マン(Fellow Man)』が出たばかりですが、どんなコンセプトの作品ですか? DP「タイトルは仲間という意味で、豪州ツアー中に思いついた。人類の将来に対し、僕が抱いている疑問『これからどうなっていくのだろうか』ということをコンセプトに曲を書いた」 −−来年また日本でライブをやってくれますか? DP「ぜひやりたいな。次は東京だけでなく、他の都市も回りたいね」 一夜限りの日本公演とあって、補助席まで出る盛況ぶり。バンド発祥の地エディンバラの位置をタイトルにしたインスト曲で開演。会場は40〜50代中心、当時のアイドル的人気とは裏腹に、男性ファンが約8割という印象。PILOTの代名詞ともいえるハンドクラップが随所で飛び出す観客の好反応に、終始笑顔を絶やさないデイヴィッド。曲目は、日本で出たシングル全曲を含め、4枚のアルバムからまんべんなくセレクト。新曲「Fellow Man」などデイヴィッドのソロからも選び抜かれた全22曲。第2部ラストの大ヒット曲「Magic」では総立ち。「32年、この日を待っていました」と涙するファンの姿もそこここに見られた。 なお、翌18日には雑誌「ストレンジ・デイズ」の通巻100号記念イベントでトリを務め、11曲を演奏。1曲目から総立ちだった。[第1部]55°North 3°WestYou'reDevotionPennyInMyPocketDoMeGoodGoldmineTheSearchOverTheMoonSmokin'Drinkin'IWonderJanuary[第2部]You'reMyNo.1LovelyLadySmileGetUpAndGoCanadaIWantDon'tSpeakLoudlyFellowManNoTiesNoStringsCallMeRoundMagic[アンコール]LibraryDoorJustASmile(11月17日、川崎・クラブチッタ) デイヴィッド・トムソン・ペイトン 1949年10月29日、エディンバラ生まれ。ビリー・ライアル(キーボード)、スチュアート・トッシュとともにPILOTを結成、間もなくイアン・ベアンソン(ギター)も加わり、74年6月レコードデビュー。アルバム4枚を残し解散後はアラン・パーソンズ・プロジェクトを主な活動の場としつつ、キャメル、エルトン・ジョン、リック・ウェイクマンらのステージ・サポートで活躍。90年代以降は地元スコットランドを主な拠点に音楽活動を行っている。2002年にベアンソンと過去のアルバムを再録音した『ブルー・ヨンダー』を発表。今月、4枚目のソロ・アルバム『フェロー・マン』が出た。 スチュアート・マクベス・トッシュ 1947年9月26日、アバディーン生まれ。サード・アルバム録音後の76年7月にPILOT脱退、翌年5月10ccに加入。解散後はミュージカルの世界に軸足を移し、現在ではライフワークといっていいほどの比重を占めている。なお、77年10月に初来日、93年と95年にも再結成10ccとして来日公演を行っている。
-
レジャー
確定GI秋華賞 アドマイヤキッス激変
2006年10月13日 15時00分
-
芸能
みのもんた 参院選出馬!?
2006年10月12日 15時00分
-
レジャー
GI秋華賞追い切り速報 春の実績馬を脅かす不気味な存在 究極の上がり馬 サンドリオン絶好
2006年10月11日 15時00分
-
スポーツ
大みそか参戦ほぼ決定 芸能人対決 金子賢vs押尾学
2006年10月10日 15時00分
-
レジャー
GII毎日王冠 テレグノシス花道V
2006年10月07日 15時00分
-
レジャー
アイルランドT キンシャサノキセキ断然
2006年10月06日 15時00分
-
芸能
よしお兄さん、だいすけお兄さんの結婚を祝福「直接聞きました」 パパとしての喜びを語る
1999年11月13日 11時50分
-
芸能
マギー司郎「童貞は舞台に立たせない」
1990年12月15日 12時55分
-
芸能
中居正広がクレカ被害、詐欺師に対し「可哀想」
1990年11月15日 11時21分
-
芸能
a
1980年09月26日 22時06分
-
芸能
a
1970年09月27日 12時20分
-
芸能
a
1970年09月26日 22時43分
-
芸能
a
1970年09月26日 22時28分
-
芸能
a
1970年09月26日 22時10分