-
芸能 2016年07月11日 11時47分
ダウンタウン松本人志「なんで路チューするか意味がわからない」
NHKアナウンサーの路チュー報道に、ダウンタウンの松本人志が、「なんで路チューするか意味がわからない」とコメントした。 10日放送の「ワイドナショー」(フジテレビ)で松本は、「なんで路チューするか意味がわからない。オレ、路チューなんかしたことないし、したいとも思わない」とも。そんな松本の意見に、ゲストのみうらじゅんが、「野外が好きな人がもともといるんですよ」と語ると、松本は「でもそれって野外が好きなだけで、相手に対する配慮というか、愛はないと思うんですよね」と持論を展開した。 さらに、「車の中でそういうのを求められた人は愛されてないと思った方がいいですよ。僕、狩猟民族の考え方で、獲物を人に渡したくないっていうのがあるから。外でそういうのはしないんですよ。家で鍵をしめるタイプ」とも語った。
-
芸能 2016年07月11日 11時45分
いろんなものを“解禁”して生き残りに必死な浜崎あゆみ
歌手の浜崎あゆみが10日、東京・代々木競技場第1体育館で全国ツアーの東京公演を行ったことを各メディアが報じている。 各メディアによると、サプライズゲストとしてお笑いコンビ「トレンディエンジェル(トレエン)」と歌手のGACKTが登場。トレエンの斎藤司が替え歌をネタとするGACKTの「ANOTHER WORLD」を熱唱すると、GACKT本人が登場。GACKTも替え歌で“応戦”し1万4000人を沸かせたという。 「これまで、浜崎のライブでほかのタレントやアーティストがゲストで出演したことはほとんどなかった。今までは、本人のプライドが許さなかったと思われるが、少しでも報道の扱いを大きくしてもらおうという浜崎なりの気遣いがうかがえた」(レコード会社関係者) 今回のツアーは、一部の楽曲で観客のスマホ撮影を解禁するコンサートでは異例のファンサービス。また、ツアー前に発売されたアルバム「M(A)DE IN JAPAN」は初週の売り上げが約3万枚でオリコン初登場2位だったが、「ツアーまでに曲を覚えてほしい」という浜崎の意向で、収録曲がCD発売の1か月半前に定額制音楽配信サービス「AWA」で配信され話題になっていた。 「スマホでの撮影も、自分が行った海外のアーティストのライブで取り入れられているのを見て浜崎が提案。以前は、自分からファンにすり寄るようなサービスを仕掛けることはなかなかなかったが、CDも売れず、めぼしい話題もないだけに、これまでと違っていろんなものを“解禁”して生き残りを果たそうとしている」(芸能記者) 最近更新した自身の「インスタグラム」に「正直こわいけど、かっこ悪いかもだけど、傷つくかも知れないけど、、、その先にはきっと想像もしなかったような未だ見ぬ世界が広がってるはず」と書き込んだ浜崎だけに、試行錯誤しているようだ。
-
芸能 2016年07月11日 11時29分
ロンブー淳 選挙出口調査には協力せず
お笑いコンビ、ロンドンブーツ1号2号の田村淳が、10日自身のツイッターで出口調査に参加しなかったことを明かした。 淳は、参院選挙当日、「今日がどんなに暑い日になっても候補者を選んで投票に行こう!」と呼びかけるも、「出口調査には協力しませんでした…選挙速報や時間毎の投票率の情報は、投票率アップに繋がらないと思ったからです」とコメント。また、淳は、「投票時間終了の後に聞ければよい情報だと思います」とも綴った。
-
-
芸能 2016年07月11日 11時22分
ウーマンラッシュアワー村本が与野党に苦言「どっちもモヤモヤ」
お笑いコンビ、ウーマンラッシュアワーの村本大輔が、自身のツイッターで、与野党を批判した。 村本は自身のツイッターで、「与党はメインの憲法改正を堂々と言ってくれない」と批判。そして、「野党は安倍政権はダメしか言わず対案を話さない」とコメント。“どっちもモヤモヤ”として、「こんな夜は吉沢明歩ちゃんしかないな」とも綴った。 さらに村本は、「選挙のことばかりツイートしてるとプロフィール脱原発とか安保法案みたいな人からフォローされる。なんか怖いからフォローやめてください」ともコメントしている。 村本大輔は7月4日に放送された「AbemaPrime(アベマプライム)」で、「今までに一度も選挙に行ったことがない」などと発言していた。
-
アイドル 2016年07月11日 11時16分
ベイビーレイズJAPAN、初の海外ライブにてJAPAN旋風! 「また、フランスでライブしたい!」
ベイビーレイズJAPANが、フランス・パリで開催されている『Japan Expo』に出演。フランスに「JAPAN旋風」を巻き起こした。 今回が、ベイビーレイズJAPANにとって初の海外ライブ。集まった現地のフランスやヨーロッパ各国のファンたち総勢4,000人が、初めてのベイビーレイズJAPANの生ライブに熱狂。 オープニングでベイビーレイズJAPANの紹介映像が流れると、会場は一気にヒートアップ。1曲目から挨拶代わりとなるノリノリのナンバー、「虎虎タイガー!!」でステージと客席が一体となるパフォーマンスを披露すると、3曲目にはNHK連続テレビ小説「あまちゃん」の挿入歌として有名な「暦の上ではディセンバー」を披露し、会場は大盛り上がり。 MCではメンバー、一人ひとりがフランス語で自己紹介。大矢梨華子が「リコピンと呼んでください」とフランス語で呼びかけると、「リコピーン!」と大きな声が返ってくる。 5曲目の「Baby Kiss」では、リーダーの傳谷英里香が定番となった曲中の萌セリフをフランス語で披露。傳谷が甘い声で「あなたたち最高」と発すると、会場に押し寄せたフランスやヨーロッパ各国の男性ファンのみならず、女性ファンまでもがそのかわいさの虜となった。かわいらしい楽曲「ストレス」を続けた後、『Japan Expo』が日本の漫画やアニメも多く出展されていることにちなみ、同タイトルのアニメエンディングテーマである「ベイビーステップ」をしっとりと歌い上げた。 センターの林愛夏が、初めてフランスに来た感想を「フランスに来るのが楽しみ過ぎて、フランス語の歌を覚えてきました」と「夢見るシャンソン人形」を1フレーズ披露。このサプライズ的なサービスに現地の観客から大きな歓声が上がる。 その後も、ベイビーレイズJAPANのデビュー曲「ベイビーレイズ」、ファン人気の高い「夜明けBrand New Days」などアップテンポなナンバーで攻め立て、ラストは、多幸感の溢れる人気曲「SMILE」で客席との一体感を演出し、全力渾身のライブは幕を閉じた。 日本から訪れたファンだけでなく、現地のフランスやヨーロッパ各国の観客も彼女たちの“かわいらしさ”と“熱苦しさ”で熱狂させたベイビーレイズJAPAN。 ライブ後、傳谷は「初海外のライブがフランスでとても幸せでした! 初めてなのにも関わらず、たくさん声援送ってくださって、盛り上がってくださって、アウェイかと不安に思っていたので、驚きと喜びでいっぱいです! 一緒に歌ってくれたり、ベビレの楽曲を予習までしてくださった方もいて。Japan Expoは、色々な国から、日本文化を愛してくださる方が集まっているので、みんなとても温かく、優しかったです。またフランスでライブしたいと強く思いました! merci! Je vous aime tous.」とコメントした。
-
-
芸能 2016年07月11日 11時11分
高橋真麻、交際相手との年内結婚を否定「焦っていないです」
フリーアナウンサーの高橋真麻が9日、都内で行われた「みんなではぐくむ♪ニッポンの食」イベントセレモニーに出席。イベント後の囲み取材で交際している一般企業に勤める年上男性との結婚についてコメントを求められると、「年内ゴールインはないです」と近々での結婚を否定。「焦らず、一生のことなので」と両親から助言をもらったといい、「(わたしも)犬がいるので、そんなに焦っていないです」と照れ笑いを見せた。 交際を通じ、「一人飯の回数は減りました」という高橋。料理が得意でよく相手にも手料理を振る舞っているといい、「スパゲティとか鍋とか…仕事が終わってからぱっと作れるものを作ってあげています。そんなにたくさん食べる人じゃないですけど」と交際相手との近況を笑顔で報告。「いつどうかなるかわからないし、振られるということもあるかもわかりませんから」と今後の展開については慎重な態度で、「わたしがいろんなことをぺらぺらしゃべるのもあんまりよくないので」と最後は相手を気遣った。 イベントは日本の食をテーマとしたもので、高橋は食に絡めて幼少期を嬉しそうに述懐。父で俳優の高橋英樹との思い出話も披露し「父も料理が好き。スパゲティを作ってくれたり、そばうちも上手。マメなんです。わたしも一番最初に習った料理は父からの目玉焼きでした」と明かすと、「幼少期(のわたし)は食いしん坊。小さい頃から離乳食を親が食べさせていて、それで終わりよって言われても『もっともっと』って」と自身の食いしん坊エピソードを披露。初公開だという1982年頃の父との思い出写真も持参し、幼少の自分をあやす父の姿に「今見るとイクメンですね」と感想を述べていた。(取材・文:名鹿祥史)
-
芸能 2016年07月11日 11時00分
超スピード当選でも先行き不安なSPEED・今井絵理子氏
10日に投開票が行われた参院選で、自民党から目玉候補の1人として比例代表で立候補した、ダンス・ボーカルグループ「SPEED」の今井絵理子氏が開票直後に超スピードで当選確実となり、各メディアが大々的に報じている。 報道をまとめると、今井は午後8時9分にNHKが当確を報じると、その約10分後に長男の礼夢(らいむ)君と両親とともに都内の事務所に姿を見せた。 今井は「お母さんが選挙に当選しますように」と礼夢君が書いた絵馬を手に、「福祉と子どもたちの支援から始めたい。具体的には待機児童と子どもたちの貧困です」と意気込み。初の選挙戦を勝利で飾り、「私の心の中には、ある音楽が流れています。SPEEDの『Starting Over』です。選挙戦は終わりましたが、これからが始まり。新たなスタートラインに立たせていただきます」と晴れやかな表情を見せたというのだが…。 「もともと、所属事務所におうかがいを立てないうちに突っ走って出馬を表明。そのため、所属事務所は選挙戦にはまったく協力せず、SPEEDのメンバーも応援に駆けつけなかった。今井本人は、今後も音楽活動を並行させるつもりのようだが、真面目に議員活動をすればそんな時間はないはず。政治的にはまったく無知で、このままだと、6年間議員とし何もできないだろう」(永田町関係者) 沖縄出身の今井。本来ならば、沖縄の米軍基地問題は避けられないはずだが、選挙中はその問題に関する発言はほとんどなし。 毎回、選挙特番では候補者にズバズバ切り込むジャーナリストの池上彰氏とのやりとりがテレビ東京の選挙特番で中継。池上氏から基地問題について聞かれた今井は、「12歳からずっと東京ですから…これから勉強します」と回答。池上氏は「米軍基地問題については最低限認識した上で立候補されたものと思っていましたから…驚きました」とあきれ顔だった。 議員として勉強することは山ほどありそうだ。
-
芸能 2016年07月10日 18時00分
歌謡(うた)のマドンナ 山口瑠美 岩国市出身の美人歌手は、おじさま好き! 「日本酒が好き過ぎて、きき酒師の資格を取りました」
−−山口県岩国市のシンボル・錦帯橋の近くで育った山口瑠美。子供の頃の憧れの存在は、アイドル歌手でも女性演歌歌手でもなく、何とも渋い人物だった。 「石原裕次郎さんです。初恋の人で、今も大ファン。3歳の頃、当時放送していた『西部警察』を、私はラジカセをテレビの前に持っていって“みんな静かにしてね”と言って、裕次郎さんの歌を録音していたそうです。『暴れん坊将軍』の松平健さんも好きでしたし、おじさま好みのおませさんだったんですね(笑)」 −−「全国美空ひばりコンクール」でグランプリに輝いたのをきっかけに、都はるみなど数々の歌手を育てたことで知られる作曲家・市川昭介氏の門下生となり、15歳で上京。'99年に『音頭水戸黄門〜あゝ人生に涙あり』でデビュー。しかし、所属事務所などの態勢が整わず、並行してOLとして働くことになったという。 「ウェブ制作会社でアルバイトをしながら、週末に歌手の仕事を入れていました。最初は雑用係として入ったんですが、いつの間にか制作の仕事をやるようになって、最終的にはシステム会社で企業サイトなどを本格的に作っていました(笑)」 −−二足の草鞋は、歌手活動が軌道に乗るまで約5年も続いたという。 「でも、その頃に培った技術で、今も公式サイトやファンクラブ会報などを全部自分で作っています。だからムダなことは何もなかったと思いますね(笑)」 −−デビューから17年。最近は『雨の錦帯橋』『呼子舟唄』『夕顔の坂』と、切ない曲調にのせて悲しい恋を歌い上げる楽曲が好調だ。加えて評判が高いのが、以前、発表した『長編歌謡物語』シリーズだという。 「歴史上の人物を題材に、歌とセリフと語りで構成しながらすべて1人で演じる作品です。忠臣蔵の赤垣源蔵、土佐藩主の山内一豊、将棋の阪田三吉などを題材にしたものを発表しました。長いものだと15分に及ぶものもあるんですよ」 −−スポットライトの中で熱演する彼女の姿に、誰もが息を呑み、物語の世界に引き込まれるそうだ。 「お客様は涙を流してくださったり、食い入るように聴いてくださいます。歌にジャンルの垣根はなくて、心を震わせる作品を作っていけば、世代を超えて響くものだと信じています」 −−そんな彼女、大の日本酒好きとしても知られる。あまりの好きさに、一昨年に『日本酒きき酒師』の資格を取得したほどだ。 「お仕事で全国各地へ行く先々で、いろんな地酒をいただいたのですが、一口飲んで“美味しい”としか言えなくて、うまく表現できないのがもどかしくて。そんな時に、この資格講座を受けたんです」 −−どんなことについて勉強したのか? 「お酒の製法、味や香りの種類、ラベル表記の意味など。味わいの違いを学ぶテイスティングの時間もあったんですけど、口に含んで味わうだけなんです。資格を取れる上に日本酒をたくさん飲めると期待していたのは大きな間違いでした(笑)。きき酒師の大きな役割は、日本酒とお料理のよい組み合わせを提案すること。例えば“さっぱりした生酒には、白身魚が合いますね”とか、“意外とチーズに合う日本酒もありますよ”とか。ワインのソムリエのような役割です。一緒に受講していた皆さんは、飲食店や旅館など、仕事でお酒に関わる方ばかりでした」 −−日本酒好きが高じて取得した資格だったが、これが意外な仕事の広がりを見せることに。地元・岩国のケーブルテレビが制作する、酒蔵を巡る番組のナビゲーターに抜擢されたのだ。 「酒蔵の杜氏さんと対談したり、試飲させていただいて味の特徴を紹介したり。資格のおかげで仕事の幅が広がりました。好きなものを、きちんと体系的に勉強することの大事さを実感しています。それは、歌の道にも通じるものがありますね」 −−物腰の柔らかいしゃべり口調とは裏腹に、酒には相当強いようだ。 「特に強くもないですけど…弱くはないと思います(笑)。男性とお付き合いするなら、絶対条件は“私よりお酒が強い人”ですね。決して乱れることなく、大人の飲み方ができる人。まったく飲まない男性とは、たぶん出会わないんじゃないですかね(笑)」 −−彼女は、ボイストレーニングに加えて、体のトレーニングも欠かさないという。 「年明けからジムでパーソナルトレーナーをつけて、筋トレと有酸素運動と食事制限をみっちりやりました。体重は7キロ落ちて、今まで着ていた服がブカブカになりました(笑)。今も暇さえあれば走ってます」 −−着物で見えないのが残念だが、その下には鍛え上げたボディーが隠されている。体型を保つのと同時に、歌手には体力も必要なのだ。 「機会があったら、ウエストの細いドレスとか着てみたいですね。ただ、体を絞ったら胸やお尻も小さくなってしまって、下着もブカブカに…。これは想定外でした(笑)」 −−演歌の世界とお酒は相性もよい。日本酒と着物の似合う美人演歌歌手として、今後の夢を聞いてみた。 「ぜひお酒のCMに出たいです。中でも、かつて石原裕次郎さんが出演されていた『松竹梅』のCMに出るのが夢です(笑)。裕次郎さんのように、色気のある飲み方ができるようになりたいですね」やまぐち・るみ=1980年1月14日、山口県岩国市出身。幼い頃から数々の歌謡大会で優勝し、'99年にテイチクエンタテインメントより『音頭水戸黄門〜あゝ人生に涙あり』でデビュー。特技は小唄名取、日舞名取。'13年から岩国市の観光大使を務めている。『夕顔の坂』は、テイチクエンタテインメントより発売中。
-
スポーツ 2016年07月10日 16時00分
東京五輪「ビーチバレー」閑散 客寄せに浅尾美和も木村沙織も“引っ張り出せ”の声
東京五輪で、東京ベイゾーン西側の潮風公園(品川区)が会場となるビーチバレー。同公園は臨海副都心の最大規模を誇り、レインボーブリッジを一望できる。しかし、「会場がデカ過ぎて、お客さんが埋まらないのではないか?」という“悲鳴”が上がっているのだ。 「五輪競技は、競技者人口の多いものと、観戦者人口の多いもので大きく二つに分けられます。世界的に見てビーチバレーは後者なのですが、日本の場合は状況が違うのです」(TV局員) 日本は主催国なので当然、出場権がある。世界ランキングでは、女子は5位、男子は14位(FIVB発表)で弱くはない。特に女子はメダルを狙える位置にあるが、これまで日本のビーチバレー会場を埋め尽くしてきたのは“カメラ小僧”たち。一方で、純粋な競技ファンは極めて少なく、強さが観客増に直結していないという。 「今さらですが、浅尾美和(30)の存在は大きかった。彼女のおかげでビーチバレーは市民権を得て、会場へもお客さんを集めてくれましたからね」(体協詰め記者) その浅尾が現役を退き、20歳の坂口佳穂など“ポスト浅尾”と呼ばれるアイドル候補も出てはいるが、まだ集客には結びついていない。そうなると、大きく造り過ぎたビーチバレーの会場をどう埋めるか、が新たな課題となるのだ。 「海外からの観戦者はある程度見込めるでしょうが、逆に自国の試合に空席が出る可能性がある。浅尾の現役復帰は無理としても、たとえば指導者で呼び戻すのも手でしょう。バレーボールからも人気選手、例えば、東京五輪の時には引退している可能性が高い木村沙織を引っ張り出すなどの対策も、検討しなければならない」(同) 今から日本ビーチバレーのレベルの高さを訴えたとしても手遅れだろう。“サオリン&アサノ”を呼んでの「爆乳バレー」「Vゾーンバレー」なら、是非とも行ってみたい。
-
-
その他 2016年07月10日 15時00分
【幻の兵器】回転翼を備えた「カ号観測機」は日本陸軍の組織的な病根の深さでほとんど活躍できず
砲兵の重要な役割に、観測射撃という戦術がある。観測射撃とは、射撃を実施する砲兵自身が直接目標を確認、照準することなく、あらかじめ任意の地点に進出していた観測兵が目標を確認、砲兵を指示誘導して攻撃する方法で、間接射撃とも呼ばれる。もちろん、砲兵は敵に姿を見せることなく射撃を行うため、原理的には反撃を受けることなく一方的に射撃を加えることが可能となる。 ただし、観測射撃を行うためには観測兵が目標を確認する必要があり、当然ながら観測兵には可能な限り広い視界と大きな視程を確保することが要求された。そのため、観測兵は戦場においてもっとも標高が高く、遮蔽物の少ない地点を占めようと試みるわけだが、究極的には目標上空から観測することが理想とされた。既に19世紀末には水素気球が軍事利用されており、気球に観測兵を載せて空高く浮遊させたのである。 気球による観測は砲撃の命中精度をいちじるしく向上させ、第一次世界大戦において全盛期を迎えた。だが、気球は航空機による攻撃に対して全く無力で、周辺に対空火器を配置したり戦闘機の護衛をつけてもなお、敵航空機によって大きな損害を出している。その他、気球で観測するためにはかさばる気嚢と危険な水素ガスを取り扱わねばならず、運用性という点では多くの問題を抱えていた。しかも、航空機による観測が一般的に行われるようになったため、第一次世界大戦後は気球による観測がすっかり時代遅れになった。 日本陸軍も早くから観測用気球に注目しており、日露戦争時の旅順攻略戦や第一次世界大戦の青島要塞攻略戦において気球を使用するなど研究に務めていた。だが、日露戦争では気球が効果を発揮しなかった上、第一次世界大戦以降は陸軍航空の中心が飛行機へ移ったことから、飛行連隊が1925年に設立された後は気球に関する研究も下火になった。もちろん、これはこれで時代の流れに即した軍の近代化といえるのだが、砲兵の側には気球の有効性を認める人々が多数存在しており、昭和初期に気球隊は砲兵の管轄となって、気球連隊が1936年に創設されている。 紆余曲折はあったものの、ともあれ日本陸軍砲兵は独自の航空観測隊を指揮下に収め、部隊の運用方法や新型観測機材の研究に着手した。そして1938年には新型観測気球を制式化するとともに(九八式気球)、観測用オートジャイロの研究開発を開始している。観測精度の問題から、着弾観測を実施する際には静止していることが望ましく、砲兵にしてみれば飛行機よりも気球の方がはるかに安定した観測拠点となりえたのである。 オートジャイロとは推進用エンジンとは別個に無動力の回転翼(例外もある)を備えた航空機で、前進することによって回転翼が風圧で回転しはじめ、やがては回転翼の生み出す揚力によって飛翔するという仕組みだ。動力回転翼を備えているヘリコプターとは異なり、垂直上昇及び下降、空中停止はできないものの、離着陸に必要な空き地が固定翼機に比べて非常に小さく、空中における機動性にも富んでいる。実際、向かい風状態ではほとんど空中に静止することも可能で、またヘリコプターと異なって操縦感覚も固定翼機に近いという利点があった。 砲兵の研究に先立ち、日本陸軍は学芸技術奨励寄付金によって1933年にアメリカケレット社のK-3オートジャイロを2機入手し、研究していた。ただし、研究中の事故で全て失われてしまい、オートジャイロ研究は1939年に陸軍航空本部が同じケレット社からKD-1Aを輸入するまで途絶える。とはいえ、そのKD-1Aも翌40年には破損してしまったため、破損機体は砲兵隊へ譲渡された。 砲兵隊は破壊された機体の修理を萱場製作所(現KYB)へ依頼するとともに、同社でのコピー生産を決意した。損傷機の修理(再生)は比較的順調に進み、発注からわずか半年ほどの1941年には完成、実用審査の上で翌42年にはカ号観測機として採用された。また、カ号という名称は観測の略が由来とされている。カ号には空冷倒立エンジン装備の一型と空冷エンジン装備の二型があるものの、空冷倒立エンジンには問題が多く、もっぱら二型が生産された。量産が始まった1943年から敗戦までには合計98機が完成したとされるが、引渡し前に空爆で失われたり、エンジンが間に合わなかった機体も少なくないため、部隊へ配備されたのは30機程度とされている。 また、たとえオートジャイロといっても防御火器があるわけでもなく、また備えていたとしても空中防御力は気球と同レベルであり、敵機に発見されたらひとたまりもなく撃墜されてしまうことは明らかだった。実際、数がそろった1944年の段階では観測機を運用する戦場もなく、日本本土で訓練や研究に使われていたようである。ところが、戦局の悪化と共に潜水艦による輸送船の被害が急増し、日本陸軍も対潜護衛艦艇を整備する必要に迫られていたため、陸軍特殊船(舟艇母船)として飛行甲板を備えていたあきつ丸で運用することが考えられた。ちょうどその頃、カ号機と同様に滑走距離の極めて短い三式連絡機が実用段階に至っており、これらの機体ならば飛行甲板が小さくて航空設備の貧弱なあきつ丸でも発着艦が可能とされたのだ。 試験の結果、あきつ丸には三式連絡機を搭載することとなったが、カ号機は日本本土沿岸の対馬海峡で対潜任務に着くこととなった。とはいえ、対潜作戦においてカ号機がどの程度の効果を発揮したのかは不明確であり、現在でも兵器としての評価は極めて困難である。ただし、カ号機は日本陸軍の抱えていた組織的な病根の深さを示す存在として、兵器としての能力以前に極めて大きな問題を抱えていたといえるだろう。 カ号機の開発が始まった1938年には、陸軍航空本部が地上軍に密接して「弾着観測」や偵察、連絡等を主任務とした九八式直協偵察機の原型機が完成しており、わざわざ砲兵独自の機材を開発する意味があったかどうか疑問なのである。おまけに、砲兵隊はカ号機の開発と並行してテ号という飛行機を開発しており、そればかりか、ほぼ同時期に航空本部は前述の三式連絡機を開発しているのだ。あまつさえ、ライセンス生産を見越してフィーゼラーFi156観測連絡機をドイツから輸入しているのだから、観測機に対する開発意欲はいささか常軌を逸していたとさえいえる。 つまり、1941年の段階で日本陸軍は砲兵がカ号とテ号の開発を進め、航空本部が三式観測機の開発とドイツからの輸入を試みるという、同一目的の兵器が四種類も乱立していたことになる。しかも、わずか三年前に観測機が開発されていたというのに、である。そもそも、砲兵が独自の観測機を開発、整備すること自体がいささかぜいたくといえ、航空隊と緊密に連携を取って作戦時に協調するのが本来の姿ではなかったろうか。 (隔週日曜日に掲載)■カ号観測機データローター折畳時全長:6.680m(一型)全幅:3.02m全幅:10.60m(停止したローター含む)全高:3.10mローター回転直径:12.2m自重:750kg全備重量:1,170kgエンジン: 一型:神戸製鋼所製 アルグス As 10C 空冷倒立V型8気筒 240 hp/2000 rpm(離昇出力) 200 hp(公称出力) 二型:神戸製鋼所製 ジャコブス L-4MA-7 空冷星型7気筒 245 hp/2200 rpm(離昇出力)速度:165km/h航続距離:360km武装:60kg爆雷×1乗員:2名(爆装時は1名)*記事一部修正しました
-
レジャー
GI秋華賞追い切り速報 春の実績馬を脅かす不気味な存在 究極の上がり馬 サンドリオン絶好
2006年10月11日 15時00分
-
スポーツ
大みそか参戦ほぼ決定 芸能人対決 金子賢vs押尾学
2006年10月10日 15時00分
-
レジャー
GII毎日王冠 テレグノシス花道V
2006年10月07日 15時00分
-
レジャー
アイルランドT キンシャサノキセキ断然
2006年10月06日 15時00分
-
芸能
よしお兄さん、だいすけお兄さんの結婚を祝福「直接聞きました」 パパとしての喜びを語る
1999年11月13日 11時50分
-
芸能
マギー司郎「童貞は舞台に立たせない」
1990年12月15日 12時55分
-
芸能
中居正広がクレカ被害、詐欺師に対し「可哀想」
1990年11月15日 11時21分
-
芸能
a
1980年09月26日 22時06分
-
芸能
a
1970年09月27日 12時20分
-
芸能
a
1970年09月26日 22時43分
-
芸能
a
1970年09月26日 22時28分
-
芸能
a
1970年09月26日 22時10分