社会
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社会 2011年02月10日 09時00分
愛知県西三河地方の伝説 「塩の道とも呼ばれた中馬街道」
江戸時代、中馬(ちゅうま)街道は別名「塩の道」と呼ばれ、三河湾や知多湾で採れた塩や海産物などを船で矢作川をさかのぼって足助に集め、足助から馬の背に乗せて信州へ運んだ道のことである。 中馬とは信州の農民が農閑期を利用して、自分の馬の背中に荷物をつけて運び、賃金を受け取る馬稼ぎのことをいう。特に飯田辺り中心に大勢いたが、愛知県豊田市稲武地区にも250頭の馬が飼われて、物資の運送をして暮らしていた。当時の稲武村は1日に馬子が何百人も往来するので、馬宿、問屋、飯屋、商店が建ち並び、中馬のために栄えた宿場町であった。 中馬には2種類あり、「つぎ馬」や「日戻り馬」というのは、宿場から次の宿場まで運び、馬宿には泊まらず、家から出て家に帰る。「通り馬」は名古屋〜塩尻に馬宿に泊まり重ねて直接運んでいた。 馬子は一人で4頭の馬を引いて運んでいた。信州への道はいくつもの峠を越えなければならないので苦労していた。山中では山賊が出没するため、大勢で群れて運んだという。 中馬街道は名古屋塩尻線とも呼ばれ、現在の国道153号になる。明治35(1902)年、中央本線の開通により、中津川から昼神温泉を経て、飯田に物資が配送されるようになり、中馬街道はその使命を終えた。 現在、江戸時代から続く足助の町並みでは、毎年2〜3月に「中馬のおひなさん」のイベントが開催される。中馬街道沿いに面した約140軒の商家や民家では、土雛・衣装雛を飾り展示され、多くの観光客で賑わう。(写真:「中馬のおひなさん」愛知県豊田市足助地区)(「三州の河の住人」皆月 斜 山口敏太郎事務所)参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou
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社会 2011年02月09日 16時00分
生保ビジネスの温床となる無料低額宿泊所
ある生保ビジネス業者が、公園で男性ホームレスに「住まいと、食事を与えるから来ないか」と誘う。ホームレスは喜んで業者の後をついて行くと、彼は千葉県の某市にある元建設業で使用していた宿泊施設に連れて行かれた。現在は業者が借り受け、無料低額宿泊所と称している。 ホームレスはそこで一部屋を与えられる。一部屋四畳半の部屋にはテレビも冷暖房も完備されていた。その後に業者はホームレスの住所をその場所に移し、住民票を取らせた。さらには決められた銀行に口座を開き、印鑑と通帳は業者に取り上げられる。 そして、市役所へ生活保護の申請に行く。業者の案内で生活保護は何の問題もなく認可されるのだ。毎月生活保護支給日になると業者は銀行へ行き、一人月12万円の支給の内、ホームレスには小遣いと称し2万円だけを渡し、残りは業者が取り上げる。その中には居住費、食費、光熱費等が含まれている。 生保ビジネス業者の中には、100名を超える人間を抱える業者も存在するという。俗に彼らは囲い屋とも呼ばれ、生保ビジネスの温床となっている。生保ビジネスの業者によって、ホームレスを住まわせる場所も異なっており、中には六畳一部屋の真ん中にトタン板で仕切りを作り、二部屋にして住ませている違法な例もあるという。これらのホームレスを住ませる宿舎は、業者の国への届け出で容易に開設できる。その家賃は各自治体で上限が決められおり、名古屋市などは上限が36000円と決められている。名目上これらの業者はNPO団体を装っている例が多い。また個人でも、この施設を開設することは可能だという。 これらの生保ビジネス業者は全国に存在すると思われるが、正確な数は把握されていない。大阪市だけでも30業者は存在していることが確認されている。 さらに食料事情もそれぞれ異なり、酷い場所では月に10キロの米を一袋配っておしまいという業者も存在する。この業者は安アパートを借りてホームレスを住ませていた。 ホームレスたちの多くは、朝から酒を飲み、一日の大半をテレビを見て過ごしているイメージが強いが、そのイメージ通りに公園にホームレスとして暮らすのが良いのか、或いはこのような場所に閉じ込められて暮らすのが良いのか、筆者には判断はつかないが、彼らは年齢的にも50歳を超えた者が多く、ハローワークに出向いて仕事を探す者もいないという。(藤原真)
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社会 2011年02月09日 10時00分
内閣府が性暴力・DVの相談電話を開設
内閣府 男女共同参画局は、2011年2月8日(火)午前10時〜3月27日(日)午後10時まで、パープルダイヤル(性暴力・DV相談電話)を開設する。 平成21年度の配偶者暴力相談支援センターにおける配偶者からの暴力に関する相談は7万件を超え、被害は深刻になっている。内閣府の調査によると、20歳以上の女性のうち、配偶者から何度も暴力を受けたことがある人は10.8%、異性から無理やりに性交されたことがある人は7.3%に上る。一方で、そのうち5割から6割の人が、被害をどこにも相談できず一人で悩み苦しんでいるという。こうした現状を踏まえ、相談窓口を多くの人に周知し、どこにも相談できず一人で苦しむ被害者を減らすことを目的として、配偶者暴力と性暴力の被害者に対する原則24時間無料の電話相談を緊急かつ集中的に実施することになった。 なお、パープルダイヤルは、原則24時間いつでも相談可能で、男性からの相談、外国語(6か国語)の相談も対応しており、匿名での相談も受け付けている。【パープルダイヤル -性暴力・DV相談電話- 概要】電話番号 0120-941-826対象 配偶者などからの暴力の被害に関する相談、性暴力の被害に関する相談(※)開設期間 平成23年2月8日(火)午前10時〜3月27日(日)午後10時相談時間 (1)女性相談者((2)を除く)向け 24時間対応(2)1年以内に強姦等の性暴力被害にあった女性相談者向け 24時間対応(3)男性相談者向け 平日:午前11時〜午後11時、土日祝日:正午〜午後11時(4)外国人相談者向け 午前9時〜午後9時対応言語:英語、タガログ語、タイ語、中国語、韓国語、スペイン語
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社会 2011年02月09日 09時00分
現代は結婚自由競争主義社会である!
ぼくは20年ほどブライダル情報誌関係で仕事をして、恋愛や結婚について調べることが多いのですが、現代ではほとんどお見合いという形態はなくなってしまっています。『国立社会保障人口問題研究所』が、恋愛結婚とお見合い結婚を対比させたデータによると、<昭和5〜14年>恋愛結婚13.6% お見合い結婚69.0%<昭和20〜24年>恋愛結婚33.1% お見合い結婚53.9%<昭和40〜44年>恋愛結婚48.7% お見合い結婚44.9% と、戦前である昭和初期の恋愛結婚は、わずか13.6%しかなかったのですが、昭和40〜44年(1965〜69年)あたりで恋愛結婚とお見合い結婚が逆転します。 さらに見てみましょう。 <昭和60〜64年>恋愛結婚80.2% お見合い結婚17.7%<平成12年〜16年>恋愛結婚87.2% お見合い結婚6.2% と、お見合い結婚はわずかに6.2%と激減。まるで絶滅寸前。 つまり、いまや結婚はほぼ、恋愛でないとできないに近い状態といえそうです。 すると…、恋愛が苦手な人はほぼ結婚できないに等しいという、恋愛不器用人間にはちょっと悲しくも苦しい時代がきてしまったということです。 昔なら、恋愛が苦手という人でも、親や上司、近所の仲人好きな人たちが、相手を探してきてくれたのですが、いまや恋愛という【自由競争】に勝たないと、なかなか結婚できない時代のようです。 お見合い結婚が結婚の中心であった時代は、共同体が相手を探してくれる【結婚社会主義】であったと考えることもできます。 つまり、昔の日本はお見合いという形で、親や世間が結婚相手を用意して分配してくれる【結婚社会主義】。 しかし近代の日本人は【結婚社会主義】ではなく、【結婚自由競争主義】となったようです。 すると、お見合い結婚がほぼなくなった現代社会に生きる独身者は、結婚の前に【恋愛自由競争】に参加して相手を見つけない限り、結婚のチャンスが限りなく少なくなってくるということになります。 厚労省の調査によると、30代未婚者のうち4〜5人に1人は処女もしくは童貞であるといいますから、こういった人の中には【恋愛自由競争】というレースに参加すること自体をあきらめてしまった人もいるかもしれません。 はたして親や上司など、共同体から結婚相手を分配されるお見合い結婚という【結婚社会主義】がいいのか、恋愛結婚という【結婚自由競争主義】がいいのかはわかりませんが、少なくとも現代社会は『モテない独身男女』『恋愛がうまくこなせない独身男女』にとって、お相手探しが大変な時代であるといえましょう。(巨椋修(おぐらおさむ) 山口敏太郎事務所)参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou/※グラフは「第13回出生動向基本調査/国立社会保障・人口問題研究所」より
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社会 2011年02月07日 17時30分
嫉妬の犠牲者を嫉妬深い弁財天に祀る駒留八幡神社
東京都世田谷区上馬にある駒留八幡神社には、悲しい伝承がある。戦国時代の世田谷城主・吉良頼康の側室・常盤姫の悲劇である。 駒留八幡神社は、東急田園都市線駒沢大学駅と東急世田谷線若林駅の間に位置する。どちらの駅からも環七通りを歩いていくことになるが、神社は環七通りから少し奥まった場所にある。周囲はマンションなど建物で囲まれているが、神社は広い。境内社も三峯神社、菅原神社、榛名神社、駒留稲荷神社、戦没者慰霊殿と数多く存在する。緑も多く、世田谷区が選定した「せたがや百景」にも入っている。 駒留八幡神社の祭神は天照大神と応神天皇である。鎌倉時代に領主であった北条左近太郎入道成願が八幡大神の勧請に際して、成願は自分の乗った馬(駒)が留まったところに社殿を造営したことから「駒留八幡」と称するようになったと伝えられている。 常盤姫の悲劇は戦国時代の物語である。当時の関東は後北条氏(小田原北条氏)が席巻していた。吉良氏は室町幕府将軍・足利家の一門で、「吉良殿様」「世田谷御所」と呼ばれる名門であったが、実力は後北条氏が圧倒的に上であった。 頼康は北条氏綱の娘と政略結婚し、後北条氏は名門・吉良氏の縁戚となることで、自らの権威付けに利用した。頼康は権威に見合った実権はなく、自身が武将として戦場で活躍したという記録も見当たらない。戦国時代劇に登場する足利義昭のようなイメージである。 そのような屈折したところもある頼康が一目惚れした女性が、奥沢城主・大平出羽守の娘・常盤姫であった。頼康は常盤姫を側室にし、寵愛した。それを他の側室が妬み、常盤姫が美男の家臣と不義密通していると讒言した。子ども向けの紙芝居などでは不義密通を使えないためか、讒言の内容は常盤姫が白鷺に手紙を付けて城の秘密を外部に漏らしたなどとアレンジされている。 度重なる讒言を本気にした頼康によって、常盤姫は自害させられた。逃亡中に追い詰められて自害したとする説や、追っ手に殺害されたとする説もある。常盤は死の直前に飼っていた白鷺の脚に無実を訴える遺書を結びつけ、実家の奥沢城に向けて放った。しかし、白鷺は実家に辿り着くことなく、途中で息絶えた。狩をしていた頼康に射殺されたとの説もある。白鷺の血の痕からは一本の草が生え、鷺に似た白い可憐な花を咲かせるようになった。これがサギソウで、世田谷区の花になっている。 常盤姫は自害した当時、頼康の子どもを身ごもっていた。この死産した子どもも合祀されたことから、駒留八幡神社は若宮神社とも呼ばれるようになった。 駒留八幡神社には常盤姫を祀る常盤弁財天(弁才天)もある。一説には常盤姫は怨霊となって人々に祟ったために祀ったともいわれる。江戸時代に入ると弁財天は嫉妬深いという俗信が発生した。その弁財天として、嫉妬の犠牲者である常盤姫が祀られることは皮肉である。 常盤弁財天は神社の奥にあり、背後にはマンションが迫る。池の中にある浮島形式であるが、人口池の水は干上がっており、それが常盤姫の無念を強く感じさせていた。(林田力)
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社会 2011年02月04日 16時00分
小池晃氏擁立の革新都政をつくる会は歌でも勝負
4月に投開票される東京都知事選で、日本共産党系の政治団体「革新都政をつくる会」が、前参院議員の小池晃・共産党政策委員長を擁立する方針と3日に報道された。 同日、東京都江東区で開催された「革新都・区政をめざす江東連絡会」主催の「2011春 東京を変える 都民のための都政を江東区民の集い」において、中山伸・革新都政をつくる会事務局長は正式発表前ということで候補者を明らかにしなかったが、報道内容を否定することもなかった。 中山氏は候補者の条件として「都政、国政問題での立ち位置が明確で、論戦力、政治力があり、知名度とともに幅広い共同拡大の要となる人」などを挙げた。中山氏は、この条件から「皆さんにも候補者のイメージが浮かぶでしょう」と語った。 小池氏は、テレビの討論番組や記者会見などで党の顔として知名度は高い。また、昨年の参議院議員選挙では落選したものの、「小池晃さんを応援する市民勝手連」が立ち上がるなど共産党組織外からも支持を広げた。この実績などから「共同拡大の要」と想定しているに見られる。 「江東区民の集い」では、労働組合や弁護士、市民団体、都議会議員など各界からリレートークがなされたが、寸劇や合唱など楽しめるパフォーマンスがあったことも特徴である。圧巻は都知事選の応援歌「明日をこの手に」で、会場全体で唱和された。「明日をこの手に」は橋本のぶよ氏が作詞・作曲した曲である。 「革新都政をつくる会」の出発点である美濃部亮吉氏の都知事選でも「おはよう東京」という応援歌があった。「おはよう東京」では「革新の希望にあふれる私の東京」と、明るい希望を高らかに歌い上げられていた。これに対し「明日をこの手に」は、「住みつづけるために」「くらしを守る」など、深刻な現実を踏まえて東京を変えようという決意の歌になっている。応援歌を活用して幅広い層に浸透できるか、選挙手法にも注目である。(林田力)
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社会 2011年02月03日 17時00分
愛知県岡崎市発! 受験生の「トイレの神様」
学問の神様として知られる菅原道真公を祀った岩津天満宮(愛知県岡崎市岩津町)は受験シーズンになると、遠方からも多くの参拝者が訪れる。多くの受験生たちは絵馬に「第1志望の学校に合格できますように」と合格祈願し、境内の絵馬掛け所に奉納する。昨今では「内定がとれますように」と、就職活動中の大学生が書いた絵馬も見られる。受験シーズンには絵馬の奉納枚数は約2万枚になる。 岩津天満宮は通称「岩津天神」、「芭蕉天満宮」とも呼ばれており、宝暦9年(1759)に信光明寺第22代の一誉が、伊豆国の芭蕉天神ないし、相模国の荏柄天神を愛知県岡崎市に勧請した。毎月15、16、22日には進学祈願大祭が行われる。 今年、岩津天満宮の境内にある高さ1m、幅80cmの小さな神社が注目を浴びている。この神社は「厠(かわや)神社」といい、2008年頃に参拝者用トイレを整備した際、トイレの入り口付近に建立された。厠(便所)は大事な場で、古くから厠の神様の信仰が各地にあり、まさに「トイレの神様」である。2010年、植村花菜の『トイレの神様』がヒットした影響で、問い合わせも増え、厠神社へ受験生以外の参拝者も目立っている。 祭神は木華開耶姫命(このはなさくやひめ)、埴安姫神(はにやすひめのかみ)、弥都波能売神(みずはのめのかみ)のいずれも女性の神様が祀られている。ご利益は子授けや安産が有るが、「べっぴんさん」になれるかどうかは定かではない。(写真:「岩津天満宮内厠神社」愛知県岡崎市岩津町字東山53)(「三州の河の住人」皆月 斜 山口敏太郎事務所)参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou
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社会 2011年02月02日 16時00分
凶悪化する老人たち
マスコミはよく「年々凶悪化する少年犯罪」と報道します。しかし、現実にはここ40年間の間に、少年凶悪犯罪も一般凶悪犯罪も激減しており、なんと平成22年の殺人事件の認知件数は、2年連続で戦後最少という結果でした。昔に比べれば犯罪の少ない国に、日本はなっているようです。 ただ…。 少年凶悪犯罪や一般凶悪犯罪が激減しているのはいいのですが…、高齢者、つまり老人による殺人などの凶悪犯罪が年々増えてしまっているんですよ。 現実では「キレる若者が増えている…」のではなく「キレる老人が増えている」のです。 こう書くと、必ず「それは若者の数が減っているだけなのでは…?」という意見が出てくるのですが、年代別での殺人発生率で計算しても、20〜40代の検挙者は減っているのに、60代は増えているのです。 警察庁が65歳以上の殺人検挙者に、なぜ殺してしまったのかという【原因】を調べたところ、・1位【憤怒】・2位【介護・看病疲れ】・3位【怨恨】・4位【生活困窮】 と、なったそうなんです。2位の【介護・看病疲れ】というのは、おそらく自分の親や、自分の配偶者に対する疲れだと推測され、また4位の【生活困窮】はお年寄りになっての困窮となると、なんだか可哀想な気もするんですが、1位【憤怒】、3位【恨み】というのは、ちょっと怖いですね。 思えば、いまの65〜70歳の人たちが10代後半や20代そこそこだった頃は、日本の犯罪史上もっとも少年による殺人事件が多かった時代だったり、(団塊の世代といわれた)中学を卒業したばかりの若者が「金の卵」などといわれて集団就職で都会に出てきたり、あるいは学生運動が盛んだったりして、ある意味エネルギーに溢れていた世代でした。 このエネルギーは、「エコノミック・アニマル」と外国に揶揄されるような働きぶりをみせ、日本を世界2位の経済大国に導く一方、ひとつ間違えば殺人や強姦といった凶悪犯罪に向かうことも多かったようです。 現代、この老人たちのエネルギーは、殺人とまではいかなくても、電車内での暴力行為にも表れています。 平成22年上半期に日本民営鉄道協会が発表した、全国の大手私鉄16社の駅や車内で起きた、駅員や乗務員を殴るなどの暴力行為の加害者年代のデータを書き出してみましょう。 ・10代 3% ・20代 14% ・30代 18% ・40代 22% ・50代 10% ・60代 23% ・不明 10% と、実はこのように60代が一番多いわけです。 電車内や駅の暴力事件だけではありません。万引き犯についても、高齢者が問題となっているのです。 警察庁の調べによると、ここ5年ほどの間に少年や若年層の万引き犯は減少しているそうなのですが、65歳以上の万引き犯が、ここ20年間増加の一途をたどり、調査を開始した1986年以降もっとも多くなってしまっているというのです。 万引きというと軽く聞こえるかも知れませんが、万引きは窃盗犯罪なのです。 殺人や暴力、窃盗という犯罪行為をやってしまう高齢者が増加しているのは、なんとも残念なことですが、当然、刑務所の中もいまや老人たちが増加しています。 平成20年度の『犯罪白書』では、「高齢犯罪者の実態と処遇」という特集をまとめていますが、そこには高齢犯罪者の増加が著しいことと同時に、一般刑法犯検挙人員では,高齢の女子の検挙人員は男子の半数近くいることなどが書かれており、 「今後、高齢犯罪者の増加を抑えていかなければ、『団塊の世代』が高齢に達するとともに、現在よりもはるかに多数の高齢新受刑者が生まれるおそれがある」 とも書かれております。 そして団塊の世代が高齢に達したいま、「凶悪化する若者たち」ではなく「凶悪化する老人たち」という新たな社会問題が生まれてきているようです。 凶悪化し、荒れる老人たちに対し、大人しい若者世代が、取り締まったり、保護したり、指導しなければならないという、ややこしい時代がきているのかもしれませんね。(巨椋修(おぐらおさむ (山口敏太郎事務所))参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou/
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社会 2011年02月02日 13時30分
身勝手な人類の一員としてペットを飼うということ(3)
僕は猫アレルギー体質だが、かなりの年月を猫と暮らしてきた。猫アレルギーの主な症状は、皮膚が腫れたり痒くなったり、くしゃみや鼻水が出たり、あるいは喘息を持っている場合に発作を誘発したりもして、危険だ。今は喘息の薬を飲んでいるから、症状が出ることはそうそうない。しかし薬が切れてしまうと、猫に接することはできないだろう。 幼稚園児の頃に、知人宅で飼われていた猫と遊んでいたら、目の周りがぶくぶく腫れてきて、驚いた親が病院に連れていき、猫アレルギーであることが発覚した。けれども何年かして何故か症状が出なかったので、治ったのだろうということで、知人宅から預かった猫を飼うようになったのである。 しかし大人になってから喘息を発症した際に受けた検査結果で、治ってなどいないことを知った。ハウスダストや花粉などもアレルゲンになっているため、猫に近づかなければ大丈夫というわけではない。そもそも喘息発作が初めて起きたのは、猫のいない場所だった。他の人の衣服に猫の毛が付着してることもあるから、根本的には防ぎようがない側面もある。 2005年に花粉症の発症を苦にした石原都知事が、スギの伐採を命じたことがあった。花粉症になる人は増加傾向にあり、動物アレルギーも同様に増えていると思われる。現代人がアレルギーになりやすいのは、環境が清潔すぎるからとの説もある。確かに昔に比べて何かといえば除菌をするので、抵抗力が奪われてしまったようには感じられる。とはいえ、いったん失くしてしまった力を取り戻すのは、簡単なことではない。 前回の終わりに「身勝手なのはペットを捨てる飼い主だけではなく、何もしてやれない人類そのものであり、皆で罪を背負っていくべきだ」と書いた。これは僕自身がアレルギーを抱えながらも猫と暮らさざるを得ない宿命に、業を感じ取ったせいでもある。だから別に誰もが動物を飼わねばならないなんてことはないけれど、飼い主を敵視するようなことはやめてほしいとの思いがある。 前回の文章を読んだ方から「ペットを飼う」という表現が好きになれないという意見があったけれど、言われてみればその通りだと思う。人間のエゴのために動物を飼うのではなく、僕らは動物の世話係に過ぎない。主体は人間ではなく動物の側なのだ。動物は人間と共に暮らしてくれている。だから僕らは彼らの世話を怠ってはならない。 また「人類の罪」という言葉に「お前は新世界の神にでもなったつもりか」と拒否反応を示す方もいた。もちろん僕は神ではない。だから動物の命をみだりに奪う権利もない。アレルギーや住環境などの都合で同居できないケースも多いけれど、そもそも僕らは同じ地球で一緒に暮らしてきた仲間なんだ。宇宙の片隅で肩寄せ合いながら、どうにか仲良くやっていきたいものである。(工藤伸一)身勝手な人類の一員としてペットを飼うということ(1)http://npn.co.jp/article/detail/07021667/身勝手な人類の一員としてペットを飼うということ(2)http://npn.co.jp/article/detail/24793928/
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社会 2011年02月01日 13時30分
“プロレス界のお騒がせ男”ザ・グレート・サスケがまたも… 住宅ローン未払いで支払い命令
覆面制作費未払いで裁判ざたを起こしたたばかりのザ・グレート・サスケ(みちのくプロレス社長)に、またもトラブル発生。 今度は住宅ローンを返済しなかったとして、債権回収会社がサスケに、貸付金など約1400万円の支払いを求めた訴訟を起こし、1月31日、その裁判が開かれた。 97年4月、サスケは住宅金融公庫から2660万円の貸付を受けたが、元金約1792万円しか支払わなかったという。 サスケは「物件は3000万円を超すもので、競売で8割程度の落札価格だったとしても、抵当権の実行後に債務が残るとは到底思えない」と主張したが、盛岡地裁は「そうした事実は認められない」などと退けた。 野上誠一裁判官は「ローン残金の有無について争っていないため、原告の請求が認められる」として、請求通りの支払いをサスケに命じた。 相次ぐトラブルに、“プロレス界のお騒がせ男”の異名は不動のものになりそうだ。