駒留八幡神社は、東急田園都市線駒沢大学駅と東急世田谷線若林駅の間に位置する。どちらの駅からも環七通りを歩いていくことになるが、神社は環七通りから少し奥まった場所にある。周囲はマンションなど建物で囲まれているが、神社は広い。境内社も三峯神社、菅原神社、榛名神社、駒留稲荷神社、戦没者慰霊殿と数多く存在する。緑も多く、世田谷区が選定した「せたがや百景」にも入っている。
駒留八幡神社の祭神は天照大神と応神天皇である。鎌倉時代に領主であった北条左近太郎入道成願が八幡大神の勧請に際して、成願は自分の乗った馬(駒)が留まったところに社殿を造営したことから「駒留八幡」と称するようになったと伝えられている。
常盤姫の悲劇は戦国時代の物語である。当時の関東は後北条氏(小田原北条氏)が席巻していた。吉良氏は室町幕府将軍・足利家の一門で、「吉良殿様」「世田谷御所」と呼ばれる名門であったが、実力は後北条氏が圧倒的に上であった。
頼康は北条氏綱の娘と政略結婚し、後北条氏は名門・吉良氏の縁戚となることで、自らの権威付けに利用した。頼康は権威に見合った実権はなく、自身が武将として戦場で活躍したという記録も見当たらない。戦国時代劇に登場する足利義昭のようなイメージである。
そのような屈折したところもある頼康が一目惚れした女性が、奥沢城主・大平出羽守の娘・常盤姫であった。頼康は常盤姫を側室にし、寵愛した。それを他の側室が妬み、常盤姫が美男の家臣と不義密通していると讒言した。子ども向けの紙芝居などでは不義密通を使えないためか、讒言の内容は常盤姫が白鷺に手紙を付けて城の秘密を外部に漏らしたなどとアレンジされている。
度重なる讒言を本気にした頼康によって、常盤姫は自害させられた。逃亡中に追い詰められて自害したとする説や、追っ手に殺害されたとする説もある。常盤は死の直前に飼っていた白鷺の脚に無実を訴える遺書を結びつけ、実家の奥沢城に向けて放った。しかし、白鷺は実家に辿り着くことなく、途中で息絶えた。狩をしていた頼康に射殺されたとの説もある。白鷺の血の痕からは一本の草が生え、鷺に似た白い可憐な花を咲かせるようになった。これがサギソウで、世田谷区の花になっている。
常盤姫は自害した当時、頼康の子どもを身ごもっていた。この死産した子どもも合祀されたことから、駒留八幡神社は若宮神社とも呼ばれるようになった。
駒留八幡神社には常盤姫を祀る常盤弁財天(弁才天)もある。一説には常盤姫は怨霊となって人々に祟ったために祀ったともいわれる。江戸時代に入ると弁財天は嫉妬深いという俗信が発生した。その弁財天として、嫉妬の犠牲者である常盤姫が祀られることは皮肉である。
常盤弁財天は神社の奥にあり、背後にはマンションが迫る。池の中にある浮島形式であるが、人口池の水は干上がっており、それが常盤姫の無念を強く感じさせていた。
(林田力)