社会
-
社会 2011年01月26日 14時00分
「地デジ化」に泣く企業
いよいよ、本年度7月24日にテレビのアナログ放送は終了し、デジタル放送に完全移行する。 デジタル化完全移行まで約半年。総務省の調査では地デジの普及率は8割超まで達し、現状であれば目標であるアナログ停波には問題ないとの旨が報告されているが、様々なメディアにおいて「実際には想像以上のデジタル難民、テレビ難民が生じる」との分析・評論がなされており、対策が迫られている。 また、総務省の調査・発表やAVメディア等に関する考察において述べられているのは、基本的には一般家庭・各世帯ごとにおいての話であり、企業やサービス施設においてどういった影響が出るのかを述べている所が非常に少ない。 デジタル放送への移行に伴って、アナログテレビの買い替えを余儀なくされる事で悲鳴を上げている事業、その一つが「宿泊施設」である。 特に、観光事業やリゾート事業が衰退し悪戦苦闘している宿泊施設等においては、宿泊施設としての運営ですら日々綱渡りの様な修羅場である中、ここに来て各部屋ごとのテレビを買い替える作業はほぼ不可能に近いという。 チューナーを取り付けるという形にしても、部屋が50あったら50と、尋常ではない規模の設備投資と作業が要される事になる。 また、地デジ以降の為にはテレビの買い替えだけではなく、まずデジタル放送に対応したアンテナの工事も必要だ。だがしかし、現状維持ですら厳しいこのご時世においては、その為の予算を捻出する余裕がないのだ。 筆者自身も年末年始にかけての取材の中で、千葉と茨城、栃木の山村における宿泊施設を五箇所程利用したが、その施設の全てが地デジへの対応が出来ていない状態であった。 ただでさえ、折からの不況によって零細宿泊施設は次々と廃業に追い込まれる中、CM等で流れる「地デジの準備お願いしまーす」といった、地デジ推進キャンペーンはまるで泣きっ面に蜂どころではない、国をあげての嫌がらせの様に聞こえてくるという。 訪ねた旅館の一つでは、今後、宿泊客が部屋においてテレビが見れない状態もある程度覚悟し、デジタル化移行への対応はなんとかロビーや食堂等、人が多く集まる場所を優先した形で対応していくという対策を講じている所もあった。 もしかするとアナログ停波に伴って、近い将来、泊った旅館の部屋でテレビが見れないといったケースが珍しくなくなる可能性が多いにありそうだ。
-
社会 2011年01月26日 11時30分
ブラック企業に続いて現れるのは“ブラック大学”!?
書籍、並びに映画『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』によって有名になった、「ブラック企業」なる呼称であるが、この不景気の時勢によって、「ブラック大学」もまた生まれつつあるという。 大学のジャンルや分野によって、その内容も様々であるが、いくつかの例を紹介しよう。<もはや教育機関としてのスタイルから逸脱> TVやワイドショーにおいて教授等がコメンテーターとして使われる機会は多い。また、教授として文化人として番組にレギュラーを持っている方も存在する。 そして、メディアに露出する機会が多くなれば多くなるほど大学にとっては大きな宣伝となるのは至極であり、大学側は教授のマスコミでの仕事を後押しする形になるのは自然な流れであろう。 ところが、これがエスカレートすることによって、教授は最早名ばかりの広告塔となり、全く授業には出て来れない。大学側もまるで芸能事務の如くテレビ業界や出版関係を奔走し、生徒の教育よりも大学関係者のプロモートに力を入れるばかりで肝心の教育がスカスカになっているといったブラック大学が少なからず存在する。 「あの有名な人が教えてくれる大学」「あの人が居る大学だから」という観点で大学を選んでしまうのは非常に危険だ。<講師&生徒の落ちこぼれの吐きだめ状態のブラック大学> 芸能や芸術に関係した大学に多いパターンであるが、試験等のハードルを徹底的に低く、間口を広くする事で、生徒集めに力を入れている大学は多い。 そして、特にそうした大学において教鞭を振るっているのはクリエイターの落ちこぼればかりといった大学は既に数多く存在しているという。 つまり、本業で食べていけなくなってしまった為に、とりあえず大学での教育にシフトして、アルバイト感覚で食いつないでいるといった講師が溢れているケースは珍しくないのだそうだ。 そして、そうした講師たちの中には学歴や自身のキャリアにおけるコンプレックスによってか、人間的に驚く程に屈折したタイプもおり、パワハラ等の嫌がらせは当たり前といった状態が往々にしてあるのだという。こうなってくると大学は、本業で挫折した人間=講師と、学歴社会からドロップアウトした人間=生徒によるダメ人間のサラダボウル状態となってしまい、そうした環境が影響して、結果的に教える側も教わる側も社会の落ちこぼれの集まりの様な状態へと変貌していくのだという。 大学全入時代と言われる今日。「ブラック企業」と同様に“入りやすい大学”には裏がある。学生諸子は受験に際して、大学の広告やイメージ戦略の裏を探る鋭い視点を持って臨まなければ後々想像もしなかった痛い目を見る事になるだろう。
-
社会 2011年01月26日 10時00分
政治家への夢あきらめません! 全日本プロレス・西村修が文京区議選に出馬表明!
全日本プロレスの所属レスラーである西村修(39)が、1月24日、今年4月に行なわれる統一地方選挙(17日告示、24日投開票)で、東京・文京区議選に国民新党公認として出馬することを表明した。西村は昨年末に出馬を決意、先週に同党代表の亀井静香氏と会談し、了承されたもの。 西村は昨年7月の参議院選に同党の比例代表から立候補するも落選した。それでも、政治家への夢は捨てられなかった。文京区は西村にとって、まさしく地元で、「生まれ育ち、プロレスの聖地である後楽園ホールのある文京区から福祉、医療、教育面での充実を図りたい」と意欲を見せた。 プロレスラーが国政選挙に出馬する例は少なくはない。そのなかで、馳浩氏(現衆議院議員)が衆議院及び参議院に、アントニオ猪木、大仁田厚、神取忍(繰り上げ当選)が参議院に当選している。地方ではザ・グレート・サスケ(岩手県議)、若松市政(現北海道芦別市議)らが当選した例がある。だが、東京23区の区議選に出馬するのは異例。西村が当選すれば、史上初の区会議員プロレスラー誕生となる。 西村にはがん(後腹膜腫瘍)を克服した強じんな精神力で、選挙戦を戦い抜いてほしいものである。(最強プロレスサイトBATTLENET/ミカエル・コバタ)
-
-
社会 2011年01月25日 13時00分
「伊達直人現象」は単なる流行で終わるのか
全国に広がる「伊達直人現象」は、昨年12月25日に群馬県前橋市の児童養護施設に、伊達直人を名乗る人物からランドセル10個(金額30万円相当)が贈られた行為が、その始まりでした。その行為を皮切りとして、一時は毎日のように日本国中の児童養護施設続に、伊達直人を名乗る人物からランドセルや文具、さらには米などの食料も贈られました。 皆さんがまず疑問に思う「伊達直人」という名前ですが、彼は漫画『タイガーマスク』の主人公の名前でした。彼自身が児童養護施設で成長し、漫画の中では自分が育った児童養護施設に対して、さまざまな寄付をしていた姿がありました。 特にアニメ『タイガーマスク』のエンティングでの自分の半生を振り返るシーンは、見ている者に主人公の苦労が伝わるような内容でした。 児童養護施設については、筆者が以前書いた記事の内容を読んでいただければおわかりいただけると思いますが、施設の子どもたちの多くは、幼い頃から苦労をしてきています。 全国の伊達直人からの贈り物の中に、ある贈り主が同封した手紙の内容の一節には「強く生きてください」という言葉が添えてありました。まさにこの言葉の重みが、強く我々に突き刺さる内容でした。 児童養護施設の子どもたちに、社会の冷たい風に負けないで頑張って生きてほしいと願うのは、筆者ばかりではないと思います。この底なし不況の現状で、このような現象が広まることは、それこそ日本もまだ捨てたものではないと、我々に思わせるに充分な内容でした。 さらには『タイガーマスク』の原作漫画本が1万部以上の売れ行きを示し、思わぬタイガーマスク効果となりました。 この全国規模で登場した、伊達直人の一連の寄付運動が、今後も継続してくれることを筆者は強く望んでいます。児童養護施設の子どもたち−−苦労しすぎた子どもの心は壊れますhttp://npn.co.jp/article/detail/66664679/(白井正雪)
-
社会 2011年01月25日 10時00分
あの映像流出の元海上保安官の転身に「立ちふさがる」田母神俊雄・元空幕長
沖縄・尖閣諸島沖の衝突ビデオ映像流出事件で国家公務員法の守秘義務違反容疑で書類送検され、不起訴処分(起訴猶予)となった神戸海上保安部の元海上保安官・一色正春氏(44=依願退職)だが、気になるのは今後の身の振り方だ。 一番有力なのは、評論家やテレビコメンテーターへの転身。しかし、ここに立ちはだかる格好となっているのが田母神俊雄・元航空幕僚長(62)というのだ。あるジャーナリストが語る。「自身の論文で政府見解と異なる主張をして職を解かれた田母神氏は、いまや軍事評論家として講演活動や執筆、テレビ出演などをこなしています。しかし、一色氏が田母神氏のように活動するにはいかないのでは。何しろ田母神氏は自衛隊では航空幕僚長だった人。集まってきていた情報量が違いすぎます」 田母神氏は航空自衛隊、一色氏は海上保安部…日本を守ることは同じところにいたとはいえ、立場が違いすぎるというのだ。 「今回の騒動は大きなものになりましたが、一色氏は単なる保安官に過ぎない立場。軍事評論家としてやっていっても最初こそもてはやされるが、すぐにネタがなくなる。対して田母神氏は、航空自衛隊のトップだった人物。講演料もどうしても田母神氏の金額がベースになってしまい、それより安く見積もられてしまうことになりそうです。いま講演をやれば、1回100万円の破格ギャラが貰えると太鼓判を押す代理店関係者もいますが、そこまではとてもとても…。一色氏は講演活動に本腰を入れるよりは、企業に再就職などして副業で執筆活動などをする方がいい」(前出のジャーナリスト) 一部の企業トップから「ウチが仕事の面倒を見る」といった声が次々と上がったように、転職に困ることはなさそうな一色氏。不起訴処分を受け、さっそく22日放送のTBS系列の番組インタビューに答え、「(流出映像は)秘密に当たらないという確信があった。裁判で決着をつけるのが法治国家のあり方。その道を避けた」と検察批判を展開したが、一色氏のこれからの動向に目が離せないのも確かだ。
-
-
社会 2011年01月24日 17時45分
ナゾが残る逃亡生活 市橋容疑者 沖縄の離島で生活か?
イギリス人英会話講師リンゼン・アン・ホーカーさんの殺人事件で起訴されている市橋達也容疑者が逃亡中に沖縄の離島で一時潜伏していた可能性が高いことが報道された。 市橋容疑者が潜伏していたと言われる場所は沖縄・久米島近くのオーハ島。この島は2011年現在、人口は一人とされている。「知り合いに行ったという人はいますが、あまり旅行などでは行かない場所でしょう」(旅行雑誌編集者) また、オーハ島は現在、チャーター便のみで、定期便の運行などはない。「おそらく久米島から漁師の船などをチャーターしたのではないでしょうか。1万円くらいで可能だと思います」(旅行雑誌編集者) ただ、ナゾなのは、生活手段。市橋容疑者が生活していたのはコンクリートでできた島内の廃屋。そう簡単に生活を続けることは可能なのだろうか。「相当難しいでしょう。それに、どうやって再び久米島へ戻ったのかもナゾです。正直、この報道を聞いた時に“え、ほんと”と思いました」(旅行雑誌編集者) 2年7か月の逃亡生活を送っていた市橋達也容疑者。彼の足跡がすこしづつ明らかになってきてはいるが、まだまだナゾの部分が多く残されているようだ。
-
社会 2011年01月24日 16時30分
デジタル化する故人達
故人との向き合い方も、デジタルに進化し続けている。 数年前から、お墓に中継カメラを設置するお寺があらわれた。自宅のパソコンからお墓参りをすることができる仕組みだ。ネット参拝なる、お墓自体をweb上に仮設するサービスも存在し始めた。 多くが、サービスを提供するサイトにアクセスし、そこで供物やお線香を選択、自身のパソコン画面で故人と対面するシステムになっている。このお墓はオープンにすることも、家族のみの公開にすることも出来るサイトが多く、故人の動画やメッセージが公開されているサイトもある。 これは「お墓というアカウント」を作る感覚に近い。ネット上に残されたライフログだけでも「お墓」に成り得るという、新時代の提案かと思われた。 しかし実際は、目新しさだけで利用者は広がらなかった。利用者は、サービスを提供するサイトとは別に、遺骨を納めなければならない。記者は数年振りにいくつかのネット仏壇サービスを回ったが、どうしてもグラフィックや機能が古い感が否めなかった。サービスのシステムを更新し続けなければいけないことは、企業にとっても負担なのだろう。 最先端が日々更新されるwebの世界、若者には目新しさがなく、高齢者には使いづらい、どっちつかずなことが、定着しなかった理由の1つかもしれない。 株式会社デザイン計画は「お墓」ではなく、「仏壇」や「位牌」をデジタル化した。(写真) 7インチのモニターには、位牌や遺影、故人を偲ぶ写真やテロップだけでなく、日ごとに著名人の名言も表示される。更に、wifi機能でお寺からの連絡メールも届く。SDカードに画面の設定を保存するので、生前から自分が死んだ時どのようにして欲しいか、遺言のようにタイムカプセルとして残すことも出来るのだという。http://www.youtube.com/watch?v=kQwheIi38bo&feature=player_embeddedペット仏壇は2011年1月から、デジタル仏壇は2,3月から販売される。 「仏壇を介すことに、意味がある情報もあると思うのです」株式会社デザイン計画社長の斎藤氏によれば、既に通信会社とのコラボも決まっており、今後仏壇は双方向になる可能性もあるという。「携帯、電子書籍端末、インターネットテレビでも仏壇を利用出来る様になるかもしれません」 故人を思う気持ちや祈りは、それがデジタルであろうと石であろうと変わりない。現代技術が提案する新しい「故人との向き合い方」は、今後私達の死生観を大きく変える可能性もある。マイミクやフォロワーの参拝をする日も近いかも知れない。あの世の仮想現実も広がっている。(幻想戦隊レモネード隊長檸檬)
-
社会 2011年01月24日 10時30分
秋葉原の“ホコ天”が再開
無差別殺傷事件以来中止されていた秋葉原の歩行者天国が2年7か月ぶりに23日午後1時から再開された。ベルサール秋葉原イベントホールでは再開に先立ち、自治体による式典が行われ、犠牲者に黙祷がささげられた。 無差別殺傷事件が起きた交差点には車止めのバリケードが設けられ、警察、消防、町内会関係者などを動員したパトロールを実施。開放される中央通り付近には防犯カメラが34台増築されるなど、厳戒体制での開始だったが、再開直後には歓声もあがり、通りはホコ天再開を待ちわびた人々で埋め尽くされた。 ただ、再開される直前の12時頃には、ベルサール秋葉原イベントホール付近で長髪にニット帽をかぶった男性が、「鼻水つけるな」「死ねっていった奴だれだ」と20分程度大声で叫び、やがてパトカーで連行される騒動も発生した。 また、今回は改めて、路上での“パフォーマンス”“物品販売”“自転車走行”の禁止の徹底が呼びかけられた。この禁止事項の徹底化には人々の反応も様々なようで、秋葉原のメイド喫茶で働いている22歳女性は事件の起きた交差点に献花を済ました後に、「ルールは守らなくてはいけないんですけど、やっぱりパフォーマンスが無いのは寂しい気もします。でもホコ天再開は嬉しいです」と、答えた。 都内在住で、月2回程度秋葉原を訪れるという28歳男性からは、「事件が起きたとはいえ、急にここまで徹底して禁止とされると不満もある。パフォーマンスがあったから事件が起きたといわれているような気がする。さっきも大きなバックを持っていただけで職務質問受けていた人が居ました。皆で安心と安全を守るというなら、利用者も少しは信じてもらいたい」と不満を漏らした。 秋葉原の“ホコ天”は当面の開催予定期間を6月26日までとしており、開催時間は3月までが13時〜17時、4月以降は13時〜18時を予定している。(斎藤雅道)
-
社会 2011年01月22日 15時00分
戦場より日本の方が死亡率高い? 自殺について考える
警察の発表によりますと、日本で殺人事件に巻き込まれて殺される人は09年で474人でした。 そして09年の自殺者数は3万2845人!! これを単純に計算すると、他者に殺されるよりも、自分で自分を殺してしまう確率が69倍も多いということになります。 年間の自殺者が3万人を越えるようになってから13年だといいます。つまりはこの13年間で39万人以上の人が自殺で亡くなっているのです。 もっとリアルに感じたければ、読者の皆様がいまお住みになっている町が、すべて自殺者ばかりだったと仮定すると、何年くらいで壊滅してしまうかと想像してみると、よくわかるかも知れません。 人口10万人の市区町村なら、わずか3〜4年で死に絶えることになるのです。 また他に、イラク戦争は約7年間続いたとされていますが、アメリカ兵の戦死者は、全部で4千433人といわれています。 日本では一年の自殺者が3万人以上。 もしかしたら、わたしたちは決して平和な日常を送っているのではなく、戦争状態のような日常を送っているのかも知れません。 警察の調査によると、原因・動機別状況は「健康問題」「経済・生活問題」「家庭問題」「勤務問題」の順となっており、どれも身近なものだったりします。 また、わたしたちが自殺問題について語るときに忘れてはいけないのが、自殺者本人だけではなく、その家族や周囲の人の影響です。 1人が自殺をすると、家族や周囲の人5名以上に深刻な心理的負担をかけてしまい、中には自責の念からPTSD(心的外傷ストレス障害)になったり、うつ病になったり、最悪の場合、周囲の人も自殺してしまうことさえ起こったりしています。 もしわたしたちが、この国を真の平和な国にしたいと思っているのなら、もっと自殺予防に関心を持つべきでありましょう。(巨椋修(おぐらおさむ) 山口敏太郎事務所)参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou/
-
-
社会 2011年01月22日 12時30分
奈良の神社話その十二 日本初の学問の神様はここ!?──磯城郡田原本町・小杜(こもり)神社
現在最古とされる歴史書『古事記』。読んだことはなくても、書名くらいは一度は耳にしたことがあるだろう。実は来年2012年は「古事記編纂1300年」。大事業の記念すべき年だという。 『古事記』は天武天皇の勅命により稗田阿礼が『帝紀』『先代旧事』を誦習、元明天皇の御代に太安万侶が文章に記録し、献上した。一度見たものは忘れないという舎人・稗田阿礼と駢麗体(べんれいたい・随〜唐時代に流行した文体)などを自在に使いこなした文官・太安万侶。この二人の才能なくして完成しえなかった事業である。 安万侶を輩出した多氏(多氏は安万侶の代に姓を「多」から「太」に改めたという)が拠点としたのが、多坐彌志理都比古(おおにいますみしりつひこ)神社こと多神社が鎮座する大和盆地のほぼ中央。多神社は大和屈指の大社で、かつては広大な社域を誇っていた。社伝によれば祭神は多氏の遠祖・神八井耳尊(かむやいみみのみこと)、その弟の神武天皇他二座。 この多神社の100m程南に太安万侶その人を祀る小杜神社がある。小さな社だが、学問の神としてはつとに有名。何しろ菅原道真公が台頭するはるか以前から尊崇を集める元祖・学問の神とでもいうべき存在、そのご利益はいわずもがなだろう。 神社東方には小さな円墳があるそうで、地元では安万侶の墓だと信じられていた。ところが1979年1月、奈良市此瀬町の茶畑から安万侶の名が記された墓誌などが発見され、墓だと認定されることに。場所こそ違っていたが、伝説に近かった天才の実在が証明され大きな話題となった。 さて、受験シーズンまっ只中。『古事記』全三巻を完成させた大いなる才能にあやかってみてはいかが。(写真「『延喜式』にもある古社の境内」) 神社ライター 宮家美樹