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ブラック企業に続いて現れるのは“ブラック大学”!?

 書籍、並びに映画『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』によって有名になった、「ブラック企業」なる呼称であるが、この不景気の時勢によって、「ブラック大学」もまた生まれつつあるという。

 大学のジャンルや分野によって、その内容も様々であるが、いくつかの例を紹介しよう。

<もはや教育機関としてのスタイルから逸脱>
 TVやワイドショーにおいて教授等がコメンテーターとして使われる機会は多い。また、教授として文化人として番組にレギュラーを持っている方も存在する。

 そして、メディアに露出する機会が多くなれば多くなるほど大学にとっては大きな宣伝となるのは至極であり、大学側は教授のマスコミでの仕事を後押しする形になるのは自然な流れであろう。

 ところが、これがエスカレートすることによって、教授は最早名ばかりの広告塔となり、全く授業には出て来れない。大学側もまるで芸能事務の如くテレビ業界や出版関係を奔走し、生徒の教育よりも大学関係者のプロモートに力を入れるばかりで肝心の教育がスカスカになっているといったブラック大学が少なからず存在する。

 「あの有名な人が教えてくれる大学」「あの人が居る大学だから」という観点で大学を選んでしまうのは非常に危険だ。

<講師&生徒の落ちこぼれの吐きだめ状態のブラック大学>
 芸能や芸術に関係した大学に多いパターンであるが、試験等のハードルを徹底的に低く、間口を広くする事で、生徒集めに力を入れている大学は多い。

 そして、特にそうした大学において教鞭を振るっているのはクリエイターの落ちこぼればかりといった大学は既に数多く存在しているという。

 つまり、本業で食べていけなくなってしまった為に、とりあえず大学での教育にシフトして、アルバイト感覚で食いつないでいるといった講師が溢れているケースは珍しくないのだそうだ。

 そして、そうした講師たちの中には学歴や自身のキャリアにおけるコンプレックスによってか、人間的に驚く程に屈折したタイプもおり、パワハラ等の嫌がらせは当たり前といった状態が往々にしてあるのだという。こうなってくると大学は、本業で挫折した人間=講師と、学歴社会からドロップアウトした人間=生徒によるダメ人間のサラダボウル状態となってしまい、そうした環境が影響して、結果的に教える側も教わる側も社会の落ちこぼれの集まりの様な状態へと変貌していくのだという。

 大学全入時代と言われる今日。「ブラック企業」と同様に“入りやすい大学”には裏がある。学生諸子は受験に際して、大学の広告やイメージ戦略の裏を探る鋭い視点を持って臨まなければ後々想像もしなかった痛い目を見る事になるだろう。

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