その他
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その他 2020年01月05日 06時00分
本好きのリビドー
悦楽の1冊『革命とサブカル―「あの時代」と「いま」をつなぐ議論の旅』安彦良和 言視舎刊 2200円(本体価格)★ガンダムの生みの親が「全共闘時代」を総括 いまさら振り返れば「戦争」とは、「国家」とは何かを考える上で基礎的な語彙が自分にとってどこで蓄積されたか。昭和49年生まれの筆者に近い世代ならほとんど、子供時分に見たTVアニメ『機動戦士ガンダム』からの吸収ないし刷り込みが圧倒的ではなかろうか。少なくとも小学校の図書室に備え付けの『はだしのゲン』より影響力はずっと、な気がする。“捕虜の待遇を定めた南極条約”なんて軍事や政治の専門用語はもちろん、「大気圏」の存在も、敵側として登場するジオン公国の兵が叫ぶ「ジーク・ジオン!」のジークがドイツ語で「勝利」を意味し、どうやらナチスがモデルらしいことも、あるいは魅惑的な響きの宇宙要塞の名「ア・バオア・クー」がボルヘスの著作に出てくるインドの幻獣を指す…などみんな「ガンダム」から教わったもの。その作者である安彦良和氏がバリバリの全共闘世代だとは無論のちに知るわけだが、かつて学生運動に身を投じた仲間、同志、はたまた敵対関係にあった人々との再会と対話を通じて、60年代末から70年代半ばまでの俗に云う“政治の季節”の再検証、ひいては戦後史の総括を模索する試みの本書。さながら思想版『舞踏会の手帖』の趣きとはいえ、史上空前の悪書といまだに誉れ低い『全共闘白書』の類とは厳しく一線を画す緊張感に満ちた読み応えなのは、安彦氏の精神が弛緩とも硬直とも無縁なゆえだろう。 ’72年の浅間山荘を取材した新聞記者の父とその文章に興味を抱いた母が出会った結果この世に生を受けた筆者にとって、連合赤軍事件は単なる歴史年表の一項目、赤の他人事では決してない。全共闘=ガラパゴス左翼などと一括りにして片付けた錯覚に陥る愚を犯さぬためにも、この大冊、熟読が必要だ。(居島一平/芸人)【昇天の1冊】『日本の特別地域特別編集』(マイクロマガジン社/1400円+税)と題された本をご存じだろうか。全国都道府県と各地の主要な市、東京23区まで、各地の魅力を徹底解剖した上で、でも、何だか欠点も不安もあるぞ…と、重箱の隅をつつくように問題提起するシリーズである。 この問題提起が、抜群に面白い。最新刊は「これでいいのか茨城県」。世帯収入は全国でも上位、住宅の敷地面積第1位、水戸黄門を輩出して以来の屈指の教育県と、県が持つポテンシャルの高さは目を見張る。だが、民間調査会社が毎年行う「都道府県魅力ランキング」では、7年連続最下位。「何かがおかしい、もうちょっとしっかりすっぺ」と提起している。 茨城のダメなところを羅列されると、納得するところもある。観光地は知名度が著しく低く、地元グルメは非独創的。水戸偕楽園が梅の名所ということ、袋田の滝が「日本三名瀑」の一つであることくらいしか知らない。グルメに至っては、全く思いつかない。 さらに悪名高き「茨城ダッシュ」。交差点で信号待ちしている車が、赤から青に切り替わる瞬間に急発進して強引に右折するのが慣例といわれる交通マナーだ。そのせいか、ヤンキーが多い県という印象も強い。 シリーズすべてに、こうしたネタが満載。現在まで93巻が発売されている。バックナンバーを調べれば自分が住む地の1冊が見つかり、メリット、デメリットが読め、思わず納得(または反発?)できるかも。(小林明/編集プロダクション『ディラナダチ』代表)【話題の1冊】著者インタビュー 岩井勇気俺の人生には事件が起きない 新潮社 1,200円(本体価格)★しゃべりのリズムは崩さないようにした――本書は『小説新潮』の連載をまとめたものです。初エッセイを依頼された時はどう思いましたか?岩井 今まで文章を書いたことのない俺に、最初は「何で?」と不思議でしたが、同時に「やっぱり来たか!」と思いましたね。客観的に見ても“陰キャラ”ですが、やはり醸し出している雰囲気があったんでしょうね。自分でも「そーだよねー」と変に納得してしまいました。そもそもエッセイって、芸能界なら地位のある40〜50代の女優さんが、演技や人生について語るっていうイメージを持っていて、芸人の俺が書いても「売れるわけないだろー」と思いましたよ(笑)。――ありふれた日常が「めちゃくちゃ面白い!」と評判です。なぜ、普段の生活を題材にしようと思ったのですか?岩井 そもそも、俺の人生、そんな面白いことなんて起きてないんですよ。だから、わざわざ文章にするネタがないんです。だったら、むしろ、何もないことを面白おかしく書いたほうが意味あるんじゃないかと考えました。もともと、文章はネタかツイッターくらいしか書いたことがないですし、本だって漫画しか読んでません。今さら変に格好つけるよりも、日常を淡々と切り取って見ようと考えました。ただ、ネタと同じように“しゃべりのリズム”だけは崩さないように気をつけましたね。――実際に作家をやってみて、芸人との違いを感じましたか?岩井 テレビは大勢の人間が関係していますから、自分の好き勝手はできません。よく目立とうとして長くしゃべる芸人がいますが「お前がそんなに時間を使うな!」っていつも思ってます。 でも、本ならどんなに長く書こうが、つまらなかろうが「嫌なら買わなくて結構」ですからね。まぁ、売れなくても出版社が困るだけですし(笑)。あとは、待遇の違いを感じますね。芸人って下手に出て仕事をもらうことも多いですし、テレビでは「所詮、芸人だから」と蔑まされることがありますが、作家は「先生」と呼ばれるんですよ。いつも持ち上げてくれるし、いい気分になれるのはうれしい点です。もっとも、俺自身は自分が書くことで、作家の地位を下げてやろうと考えてますけどね(笑)。――でも、売上は絶好調ですね。アピールする点はありますか?岩井 まだ読んでいない方は前書きと後書きだけでも読んでみてほしいですね。その部分だけでも岩井がどんな人間かがよく分かると思います。読めば絶対に買いたくなるハズです(笑)。(聞き手/程原ケン)岩井勇気(いわい・ゆうき)1986年埼玉県生まれ。幼稚園からの幼馴染だった澤部佑と’05年に「ハライチ」を結成、注目を浴びる。ボケ担当でネタも作っている。アニメと猫が大好き。特技はピアノ。本作が初めての著書になる。
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その他 2020年01月05日 00時00分
天保の飢饉、天明の飢饉で全滅した消えた村巡礼 信州「甘酒村」「大秋山村」ここで村人全員が飢え死にした…
息を切らせながら、ひとり尾根道を登っていた。その道は、江戸時代以前より信州・秋山郷と下界とを結ぶ生活の道であった。今では、時おり山歩きを楽しむ人が足を運ぶだけだ。 聞こえて来るのは、私の足跡と、ヒグラシのような物悲しい音を響かせているエゾハルゼミの鳴き声だけである。 獣が出てこないか不安になり、発作的に「ウオーッ」と声をあげる。熊やイノシシを避けるには、こちらの存在を知らせるしかない。雄叫びの効果があったのか、50メートルほど先でガサゴソと音がしたかと思ったら、暗灰色をした体長1メートルほどのイノシシが背を向けて逃げて行った。 私が向かっていたのは、かつて秋山郷にあった「甘酒村」という名の村である。名前の由来は、字の通り、そこで酒を造っていたことから付いたそうで、なんとも言えぬ生活の匂いが漂ってくる村だ。★本当にあった甘酒村全滅前夜、死の光景 今では廃村となってしまっている甘酒村だが、そうなった理由は情緒ある名前とは対照的に、極めて悲劇的だ。江戸時代には日本全国で飢饉が頻発したが、三大飢饉のひとつである天保の飢饉(1833〜1836)がこの村を襲い、全ての村人が飢え死にしたのだ。 尾根を20分ほど登り、平坦な場所に着いたと思ったら、そこが甘酒村のあった跡だった。ぽっかりと森が開け、水田が広がっている。水田を見下ろすように墓石が置かれていた。もともと墓石は周囲の森の中に放置されていたのだが、他の地区の人々が霊を弔うために1カ所に集めたという。この地で無念の死を遂げた人々は、初夏の爽やかな風に揺られる稲をどんな思いで見つめているのだろうか。 秋山郷で稲作が行われるようになったのは、明治時代に入ってからのことだ。江戸時代はやといった雑穀や蕎麦が主食であり、森林を切り開いた焼畑によって日々の糧を得ていたという。私は、村の女性からこんな言い伝えを聞いていた。「ちょうど飢饉のあった年のことだったそうです。秋山郷には雑穀や栃の実を混ぜて作った“あっぽ”という郷土食があるんですけど、甘酒村の人が『もう食べ物がないから、あっぽを分けてもらって来なさい』と子どもに言ったそうです。その間に穴を掘って、子どもがあっぽをもらって戻ると、『半分あげるから穴の中に入りなさい』と言って、そのまま生き埋めにしたそうです」 家族が生き残るため、子どもを殺めても、甘酒村は結局、全滅から逃れることはできなかったのだ。生き埋めにされた子どもは、村のどこかに眠っているのだろう。★墓に刻まれた「10月3日」の命日 秋山郷が世に知られたきっかけは、そもそも江戸時代にまで遡る。『北越雪譜』の著者として知られている鈴木牧之が、1828年にこの地を訪ね、『秋山紀行』を著したことによる。 牧之はその時、甘酒村にも立ち寄り、村にあった2軒の民家を訪れて、ひとりの女性と会話を交わしている。女性は牧之に「天明の飢饉では、大秋山村が全滅してしまったが、私の村は何とか大丈夫だった。食べ物にも困っていない」と言った。しかし、それから10年も経たぬうちに天保の飢饉が起こり、甘酒村の人々はすべて亡くなってしまった。おそらく、牧之と話をした女性も、その時に亡くなったことだろう。 甘酒村が全滅した原因は天保の飢饉にあるが、それより約50年ほど前にあった天明の飢饉(1782〜1788)に際しても、同じ秋山郷にある大秋山村と矢櫃村の2つの村が全滅している。大秋山村は、秋山郷でも最初に人々が集落を形成した場所だったことから「大」の字が付いたところで、飢饉が発生した当時、8軒の家があったという。私はその場所へと向かってみた。 薄暗い林の中の道を30分ほど歩いていくと、かつての大秋山村の集落跡に着く。その目印は、1カ所に集められた墓である。 ひとつの墓には、「十月三日」という命日が刻まれていた。天明の飢饉の際に亡くなった村人のものだという。旧暦の10月といえば、新暦でいう11月下旬ぐらいのことだ。秋にほとんど食べ物を収穫できず、冬を前にこの人物は息絶えたのだろう。私は名も知らぬ故人の墓標に手を合わせた。 ここ秋山郷では、飢饉によって3つの村が全滅したが、それ以外の地区でも、少なからぬ死者が出ていて、かろうじて全滅を免れている。例を挙げれば、天明の飢饉では、小赤沢地区で32軒のうち9軒が全滅し、秋山郷全体で173人が亡くなっている。天保の飢饉の際には和山という地区で、5戸あった家が男女2人を除いて全滅している。常に飢饉による飢え死にと隣り合わせの生活を余儀なくされていたのだった。※ ※ 大秋山村跡の近くに屋敷という地区がある。そこで91歳になるという老婆と出会った。昔の生活はどのようなものだったのか。「昔は畑まで1時間半も歩かなきゃいけなかったから、朝早くから家を出て、それから畑仕事をして、夕方家に帰ってきたら石臼を引いたりして、夜中まで働きどおしだったよ。田んぼはなかったから、お米は食べられなかった。ここで田んぼを掘ったのは、戦争が終わってからだ。昔に比べたら、いい時代になったな」 江戸時代の飢饉で最後に村人が死に絶えた時代から、およそ200年の年月が過ぎた。老婆の話を聞きながら、日々食べられることが当たり前ではないという思いを、私はあらためて噛みしめたのだった。
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その他 2020年01月04日 18時00分
釣れた魚と旨い酒!日本全国釣り行脚 静岡県・沼津沖産マアジ
嗚呼、早いもので令和元年も年の瀬でございます。早いものでと言えば、ワタクシのへなちょこな釣り連載も、開始からすでに5年以上が経過しました。読者の皆様、来年もよろしくお願いいたします。 さて、年の瀬が近づいた初冬のタイミングで「何かやり残したことはないか?」と考えました。まあ、そんなのはたくさんあるのですが、ふと「船釣りってしばらく行ってないな…」ということに気がつきました。 振り返れば最後に船釣りに出かけたのは、もう20年以上も昔のこと…。もはや初めてに等しい状態です。スポーツに例えて言うなら、柔道選手が野球にチャレンジするようなものでしょうか…。う〜む、これって、例えになっているのかしら? 当日は仕立船(仲間数人で船を貸切にするスタイル。個人客が1隻に乗り合わせる船は“乗合船”と呼ぶ)いうことで、9時出船とかなりのんびり。早起きが苦手なワタクシには、実にありがたいスケジュールです。 向かった先は、静岡県の沼津港。ワタクシが到着する頃には、すでに仲間が荷物を積み込んでおり、準備は万端。薄紫色のカラーリングがイカした『大翔丸』という船の船頭さんに挨拶をして乗り込みます。 すでに竿やエサなどは船頭さんによって準備済みで、ほどなく出船となりました。 普段は前日にエサを手配し、当日も重たい荷物を背負ってエッチラオッチラ出掛けるわけですから、この至れり尽くせり感はもはや極楽。竿やリールもレンタルなので、手ぶらで出かけられちゃうんですもの。 日本最大級となる沼津港名物の展望水門『びゅうお』をくぐって沖に出ると、風は弱く波もない絶好の海況。唯一気になるのは、前夜のまとまった降雨によるものと思われる白っぽい濁り。経験上、こういう濁り方はあまりよくないような…。 とはいえ、「あれだけ沖に出たらさぞかし釣れるんだろうなぁ」と、指をくわえて見ていた遊漁船に乗り込んでいるワケですから、何かしら釣れるでしょう。 いつも陸から竿を出している身としては、とりあえず沖に出ていること自体が爽快! 海上から見知った釣り場を眺めているだけで、だいぶ満足です★予想外に厳しいしかし夕方に… 港を出てからおよそ20分、船頭さんからの合図で釣り開始です。まずはアジやサバの群れを集めようと、寄せエサを入れたカゴを速いテンポで繰り返し落とし込んでいきますが、なかなかアタリはありません。「ハイ、上げて〜」 船頭さんから合図がかかり、ポイントを移動することに。竿を出しては移動を繰り返していき、タチウオや小ダイ、珍客のヤガラなどがポツポツと釣れ上がります。 ただ、いかんせん低調で船中の雰囲気もイマイチ盛り上がりません…。 夕方を迎え、熱心に移動を繰り返す誠実な船頭さんの焦りをヒシヒシと感じるようになった頃、竿が絞り込まれました。巻き上げに入ると、左右に走り回る躍動感溢れる手応えでサバが釣れ上がりました。 寒の時期を迎えて丸々と肥えた魚体は旨そうで、すぐに血抜きを施してバケツへ。と、仲間がすぐに三枚に下ろして持参した粗塩へイン。『極鮮船上〆さば』を作るとのこと。さすがは用意周到です。 一方、船の後部からは大きな歓声が上がり、40センチ近い旨そうなアジが上がりました。ここから夕方の時合に突入したようで、各所でアジやサバがポツポツと上がり始めました。 釣れ始めると現金なもので、「あんなデカいアジならゼッタイに釣りたい!」と竿先を見つめます。しかし、初心者に掛かるほど今日の海は甘くないようで、ワタクシにはサバしか釣れません。 日没ギリギリまで粘ってくれた船頭さんから「撤収」の合図がかかり、無念の沖揚がり…。まあ「まだやりたい…」という未練も、釣りの醍醐味ではあるのですが…。★釣魚で深酒不味いワケなし! 帰港後は、市内にある寿司店『すし処京丸』さんに釣果を持ち込み、宴会を開始。このお店が有り難いのは、持ち込んだ釣果を料理して食べさせてくれるんですね。さらに、お酒も豊富に取りそろえており、釣行後の宴会には最適なのです。 釣れたての鮮度バリバリなアジは、見事なお造りになって我々の前に登場。歯応えもよく、適度な脂乗りが感じられて非常に美味です。沼津といえば、アジの名産地でもあります。 伊豆で唯一の蔵元が醸す『あらばしり』の端麗辛口な飲み口が、アジの甘さを引き立てます。旨い肴と酒で釣り談義も大盛り上がり♪ 非常に楽しい1日となりました。***************************************三橋雅彦(みつはしまさひこ)子供の頃から釣り好きで“釣り一筋”の青春時代をすごす。当然の如く魚関係の仕事に就き、海釣り専門誌の常連筆者も務めたほどの釣りisマイライフな人。好色。
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その他 2020年01月04日 17時00分
江戸川橋「新雅」界隈切っての美味しい中華、「ニラソバ」最高!
江戸川橋と飯田橋の中ほどのエリアは、取次と呼ばれる出版物の問屋、印刷屋、製本屋がひしめいている。ボクが版元の営業マンだった頃、この界隈の担当だった。 この「新雅」には当時からお世話になっていた店で、中華屋ではこの当たりではピカイチ、何を食っても満足させられる。昼時は行列必至で。 「お待たせするのが申し訳ないので、つねに作る時間を縮めるように心がけています」 と腰の低いご主人。昔取材させてもらったときこんな台詞を言っていたのを思い出す。ちょっと前に移転してリニューアルオープン。昔はコの字のカウンターだったが、現在はL字のカウンター、若干広くなったね。 老夫婦と息子と奥さんの4人で切り盛り、料理を作る親子の呼吸はピッタリで、注文を受けてから客に提供される時間が早い。 一番人気は「ニラソバ」750円。たっぷりのニラとモヤシはシャキシャキ、肉もほどよく入り、これが旨い。サッパリとしながら旨みの深いスープ、麺の歯触りも丁度よく、ズルズルと頬張れば、至福! また餃子はしっかりと下味が入っているので、酢とラー油だけでも大丈夫だね。 この手の中華屋は消滅の一途をたどっている、いつまでもこの場所で息づいていてもらいたい。〈店舗データ〉【住所】東京都文京区水道2-9-12【営業】11時〜14時 17時〜21時 土11時〜13時30分17時〜20時【休日】日・祝【アクセス】地下鉄有楽町線「江戸川橋駅」3番出口から徒歩4分
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その他 2020年01月04日 15時00分
虎ノ門「HILO」なにをいただいても文句なしの美味しさ。サラリーマン、OLでいつも賑わう洋食屋。
この日は友人と新橋に野暮用がありプラプラ。目的の和食屋が改装中で西新橋まで徘徊。「仕方ない、洋食にしようか」 日立愛宕別館ビルの地下一階に洋食屋「HILO」がある。この地下街ちょい寂しくて、飲食店は僅か3店舗。「新富鮨」は入ったことがないけど、中華屋「パオ」は旨いよ。 店内はL字のカウンター7席に4人席テーブルが2卓、5人席が1卓、2人席が1卓というスペース。気の優しいおばちゃんと旦那さんの二人で切り盛りしている。ここはなにを食っても間違いなし。この日は「ハンバーグカレー」1000円と「ポークソテーの大デミソース」1200円を注文。 カレーはほどよい旨味と微かな甘味、軽やかな口当たりで実に美味。ハンバーグもしっとりと、肉とつなぎのバランスが優れた美味しいハンバーグだ。 ポークソテーは焼きが香ばしく、いたずらに柔らかくない適度な噛みごたえで心地よい。特筆はデミグラスソースのこの上なく美味しいことだ。軽やかな酸味とほどよい旨味、サラサラの口当たりで、豚肉のどこかヘビーな欠点を柔らかく包み込んでいる。「やっぱここはいつ来ても美味しいね」「近所にこんな洋食屋があったらいいな」 昼時はいつも大繁盛。近隣のサラリーマンとOLで賑わっている。〈店舗データ〉【住所】東京都港区西新橋2-15-12日立愛宕別館ビルの地下1階 電話03-3502-0988【営業】11時〜21時【休日】土・日・祝【アクセス】地下鉄銀座線「虎ノ門駅」1番で口から徒歩6分。
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その他 2020年01月04日 06時00分
「心霊番組」番組内で怪奇現象続出!?恐怖の心霊番組
1973年の『あなたの知らない世界』をさきがけとして、お茶の間の視聴者の背筋を凍らせ続けてきた心霊番組。幽霊や呪いなどを扱う心霊番組はオカルトというジャンルの中でも、恐怖とストレートに結びつく。扱っているテーマがテーマなだけに、常識では説明できないエピソードが番組スタッフに起きることもあった。 例えば当時の週刊誌は、丹波哲郎の心霊特番のスタッフの親族が相次いで急死した事件をレポートしている。『あなたの知らない世界』の生みの親の放送作家・新倉イワオも最近のインタビューで、首吊り自殺の現場でのロケの後に、自身が謎の高熱に見舞われたという恐怖エピソードを披露している。 番組の周辺でも番組内容と同じぐらい恐ろしいことが起きていると考えると、番組がよりいっそう恐ろしいものに思えてくる!◉あなたのワイドショー心霊を扱ったコーナー内で本当に心霊現象が起きて、いまだに語り草となっている『あなたのワイドショー』(日本テレビ)のかけ軸事件。人間の本物の血を使って生首を描いたという不気味なかけ軸をスタジオに持ってきて紹介していたところ、なんと生放送中に閉じていたはずの生首の目が開くという怪奇現象が起きたのだ…。◉あなたの知らない世界視聴者の心霊体験の投稿をもとにした再現ドラマなどが話題となり、高視聴率を獲得した日テレの伝説の心霊番組。放送作家で心霊研究家の新倉イワオのアイデアから始まった番組で、関連する新倉の番組単行本は20冊以上も刊行されている。◉恐怖の百物語怪談の語り手として高い人気を誇るタレント稲川淳二だが、その稲川がレギュラー出演していた関西のローカル番組。一般視聴者が心霊体験を披露し、霊能者がお祓いをするという内容だった。関西テレビで91年に放送されて好評を博した。◉これが宜保愛湖の霊能力だ1990年代にテレビで大活躍した霊能力者・宜保愛子。この1992年の日本テレビの特番ではイギリスのいわくつきの屋敷を訪問した宜保が得意の霊視を行い、そこにどういう霊が存在するか、過去に何が起きたのかを明らかにしていった。
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その他 2020年01月04日 00時00分
軍艦島の住民を弔う「墓地の島」長崎県中ノ島
東京から直線にして300キロ弱の距離にある、伊豆諸島・新島。シーズンになれば陽光あふれるこの島には、『1月24日、海に出たものには災いが降りかかる』という不気味な言い伝えが残されている。今なお色濃く残された島の禁忌とは何なのか、1月24日の新島へ上陸した。「父や祖父から聞いた話ですが、伝説を馬鹿にして、24日の夜に海へ漁に出た人がいたそうです。しかし、その人は翌日から頭がおかしくなってしまい、精神病院へ送られたといいます」 島の住民はこう語り、海難法師のほこらに案内してくれた。海難法師とは、八丈島を除く伊豆七島に残っている言い伝えで、毎年1月24日、溺死した悪代官の亡霊が海から新島に上陸し、人々に災いをもたらすという。そのため当日、新島の人々は家にこもり、家の戸にはトベラという魔除けの木の枝を差すのだ。 24日の夜、ごうごうと吹きすさぶ風の音と押し寄せる波の音は、暗闇の中で激しく入り混じり、謀殺された悪代官の無念の叫びを思わせた。すべての生者に恨みをぶつける、異界からの呼び声のようだった…。 瞬間、島の人々が今なお儀式を続けている理由が、理解できたような気がした。
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その他 2020年01月03日 06時00分
テレビが生んだ最強の都市伝説__『ゴキブリ少年』は死んだのか?
その昔、今では考えられないような過激な映像を生放送していたテレビ番組があった。その番組の名は『TVジョッキー日曜大行進』。毎週、悪趣味な映像をこれでもかと垂れ流し、常にPTAから俗悪番組のレッテルを貼られ続けていた日曜お昼の怪物番組である。問題は、番組中の「奇人変人」コーナー。1976年5月9日、これに出演した少年が“生でゴキブリを食う”という荒技をテレビ1億人の前でやってのけ、昼飯時のお茶の間を大パニックに陥れたのだ。その後、「胃の中でゴキブリが繁殖して、少年は内蔵を食い破られて死んだ」という噂話が全国で語られはじめ、その噂は数十年を経ても、新鮮な都市伝説として伝えられ続けてきたのである。あの少年は本当に死んだのか!? 生きているのなら、いまどこに? 当時の番組は生放送であったため、テレビ局にはVTRが残されておらず、ましてビデオがまだ普及していない時代の出来事である。1971年3月21日の放送開始から、番組終了までの奇人変人出演者の総数は総勢1100人以上を数え、この中からたった1人の人間を探すのは困難を極めた。だが、新聞縮刷版のラテ覧を丹念に調べると、番組でゴキブリ食虫芸を披露した素人は「過去に3人いた」ことが判明。そのうち2人は同一人物であったことがわかったのだ。1973年11月18日にゴキブリを唐揚げで食べた少年と、1976年5月9日に登場した件の少年である。実は、1973年に中学3年生でゴキブリを唐揚げにして食べた少年が、その3年後、高校3年生になって、そのキワモノ芸をよりパワーアップさせてブラウン管に帰ってきていたのであった。それまでに蓄積していた資料から、その少年は、青森県八戸市からやってきたN・H君であることをようやくつきとめる。あとは変わった名字から、少年の自宅を住宅地図から捜し出すのは、そう時間はかからなかった。★少年の家に行ってきた! 住宅地図を頼りにN・H君の家の前に立ち、玄関の呼び鈴を鳴らしてみた。応対に出てくれたのは少年の母親。母親は当時あんなキワモノ食虫芸で学校に行ったらイジメられるのではないかと心配したが、そんなことはなく、むしろ彼はテレビのおかげでヒーローになることができたという。いい気になって、その後も友人にせがまれるたびにゴキブリを食べてみせていたというが、ついぞ死ぬことはなかった。そして、ゴキブリ少年は地元工業高校を卒業後、東京の国士舘大学へ進学。車好きだった彼は将来は車の整備士になる予定だったが、大学卒業後はスーパーマーケット業界紙の記者になったという。 だが、本人に会いたいと申し出ると、母親の顔が曇った。息子は何年も連絡が取れず、行方がわからないのだという。せっかく行方を訪ねて青森まで来たというのに、逆にこちらが行方を尋ね返されるという始末であった。10代でゴキブリを食べて母親をハラハラさせた少年は、壮年になって、またしても母親をハラハラさせていたのである。ゴキブリ少年は、今どこに…!?
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その他 2020年01月03日 00時00分
悪代官の亡霊から人々を守る「海難法師の儀式」東京都新島
東京から直線にして300キロ弱の距離にある、伊豆諸島・新島。シーズンになれば陽光あふれるこの島には、『1月24日、海に出たものには災いが降りかかる』という不気味な言い伝えが残されている。今なお色濃く残された島の禁忌とは何なのか、1月24日の新島へ上陸した。「父や祖父から聞いた話ですが、伝説を馬鹿にして、24日の夜に海へ漁に出た人がいたそうです。しかし、その人は翌日から頭がおかしくなってしまい、精神病院へ送られたといいます」 島の住民はこう語り、海難法師のほこらに案内してくれた。海難法師とは、八丈島を除く伊豆七島に残っている言い伝えで、毎年1月24日、溺死した悪代官の亡霊が海から新島に上陸し、人々に災いをもたらすという。そのため当日、新島の人々は家にこもり、家の戸にはトベラという魔除けの木の枝を差すのだ。 24日の夜、ごうごうと吹きすさぶ風の音と押し寄せる波の音は、暗闇の中で激しく入り混じり、謀殺された悪代官の無念の叫びを思わせた。すべての生者に恨みをぶつける、異界からの呼び声のようだった…。 瞬間、島の人々が今なお儀式を続けている理由が、理解できたような気がした。
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その他 2020年01月02日 06時00分
「UFO」信じる信じないの論争勃発!宇宙の神秘に夢中になった!!
米ソ冷戦時代の1947年、最初のUFO目撃例となった「ケネス・アーノルド事件」は、米政府が敵国の秘密兵器の可能性を疑うほど衝撃的なものだった。米空軍はUFOの調査資料を作成し、コロラド大学に分析を依頼。国民の不安を払拭するために1969年、その結果を「コンドン報告」として公表した。日本に本格的なUFOブームが到来するのは1979年のこと。コンドン報告以後の陰謀論こそが、昭和オカルトブームとシンクロした。 以後、宇宙人との交渉を秘密裏に行っていたとされるアメリカ政府の委員会「マジェスティック12」、墜落したUFOが運び込まれたと噂された「エリア51」、宇宙人が牛の内臓をくり抜いたと推測された怪現象「キャトルミューティレーション」、田園地帯に突如現れた「ミステリーサークル」などなど、UFOと宇宙人にまつわるさまざまな謎と不思議がテレビで続々と紹介され、私たちは誰もがその真偽に思いをめぐらせたのだった。
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その他
「UFO」信じる信じないの論争勃発!宇宙の神秘に夢中になった!!
2020年01月02日 06時00分
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食人事件の舞台となった「ペキンノ鼻」は_今北海道羅臼町
2020年01月02日 00時00分
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「超能力」誰にでもある潜在能力!?奇跡を見たものは誰もが信じた
2020年01月01日 17時00分
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血の涙を流すマリア像が建つ「キリシタン塚」新潟県佐渡島
2020年01月01日 00時00分
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今も佐渡の人々が怯える「オカシクニ伝説」新潟県佐渡島
2019年12月31日 21時05分
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原宿「ヨゴロウ(YOGORO)」凄旨のスパイスカレーに脱帽。病みつきの美味しさだよ。
2019年12月31日 15時00分
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日韓の猟奇犯罪者がそれぞれ見た風景「都井睦雄と禹範坤(ウ・ポムゴン)」
2019年12月31日 11時00分
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女たちの哀しい記憶が秘められた「板橋宿跡地」
2019年12月31日 07時00分
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絞首刑に処された軍人の魂がさまよう地「巣鴨プリズン」
2019年12月30日 23時00分
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みひろのほろ酔い晩酌グルメ ★いかしゅうまい 大まる
2019年12月30日 17時00分
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茅場町「ナワブビリヤニハウス」手軽に「ビリヤニ」が食べたくなったらこの店、穏やかに美味しいね。
2019年12月30日 15時00分
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東京屈指の自殺スポット「高島平団地」
2019年12月29日 23時00分
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蝶野正洋の黒の履歴書 ★違法薬物より重罪の“脱税”問題
2019年12月29日 18時00分
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蒲田「丸一」傑作のトンカツ、ロースもヒレも驚きの美味しさ。
2019年12月29日 15時00分
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痛み悩みの相談室 寝違えの首の痛み、対処法
2019年12月29日 12時00分
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その他
東西をつなぐ漆黒の地下道「びっくりガード」
2019年12月29日 07時44分
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やくみつるの「シネマ小言主義」 イケメン殺人鬼の再現ドラマ『テッド・バンディ』
2019年12月29日 07時00分
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本好きのリビドー
2019年12月29日 06時00分
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その他
釣れた魚と旨い酒!日本全国釣り行脚 東京都伊豆大島・元町桟橋産ハマフエフキ
2019年12月28日 18時00分
特集
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マリエの告発で評判ダダ下がりの出川哲朗 オードリー春日が呆れ、たかじんさんを激怒させた過去も
芸能ニュース
2021年04月10日 12時20分
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マリエの衝撃告白は暴露本出版のため? 意外な人物が紳助さんの現状明かしていた
芸能ニュース
2021年04月13日 22時00分
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マリエの大暴露、裏に“黒幕”がいる? 出川哲朗は経済産業省がPR動画非公開など実害も
芸能ニュース
2021年04月12日 12時00分
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爆問太田が「マセキ終わった」発言? 妻・光代は「マリエって誰?」 出川の後輩・かが屋が暴露報道に言及か
芸能ニュース
2021年04月09日 12時30分
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マリエの“爆弾告発”で所属事務所の過去の騒動が蒸し返される? ネット上の根強い噂とは
芸能ニュース
2021年04月10日 20時00分