歌手・中村あゆみの「風になれ」生演奏に乗って入場してきた、みのる。2003年9月に新日本プロレス相模原大会でNWFヘビー王座を懸けて戦って以来、4年9カ月ぶりとなる盟友との一騎打ちに臨んだ。
高山からローキック4連発、さらにスライディングキックで場外に落とされたが、リングに復帰するや逆に張り手、エルボー合戦を展開。みのるがレッグロッグを仕掛ければ、高山もアキレス腱固めで返す。2人はとにかく意地を張り合った。
だが、ニーリフトを連続で被弾し、エベレストジャーマンで畳みかけられピンチに陥った。それでも、起き上がると突進してきた高山をスリーパーで捕獲。そのまま必殺の逆落としに移行し、さらにグラウンドのスリーパーで締め上げタップを奪った。
試合後、22分の死闘を制したみのるは「高山、この試合受けてくれて本当によかったと、本当にありがとう」と感謝の弁。さらに「共通の敵が現れたら一緒にぶっ飛ばしにいこうぜ、高山」と一騎討ち決定と同時に封印していたタッグ復活を呼び掛けた。
超満員2300人の観客を熱狂させ、大成功の内に幕を閉じたデビュー20周年記念興行。しかし、みのるのプロレス人生は順風満帆というわけにはいかなかった。「いろんな人と別れて、金丸、長谷川(悟史)っていう仲間の死もあって」と明かした。
また、自身も選手生命の危機に瀕したことがある。パンクラスの尾崎允実社長が語る。「彼には引退勧告を2回している。頚椎(ヘルニア)をやった時と、腰をやった時です。医者からは『車いす生活になってもいいのか』と止められてた。でも『絶対引退しない』って言いました」
そんな過去を乗り越え、20年という節目の舞台に上り「次、アイツとやるときはもっとたくさんの人間の前で」と語った。尾崎社長も「あと20年後、赤いちゃんちゃんこを着ている鈴木を見てみたい。デビューした当時から知っているので。場所は(デビュー戦が行われた)横浜文体か日本武道館でやれたらいいですね」とバックアップを約束した。
新たな歴史の1ページを刻むべく性悪男は、21年目に向けて走り始めた。