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“世界の獣神”ライガーが築いてきたスーパーJr.の歴史。ライガーの優勝回数は?

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獣神サンダーライガー

 先日、今年の新日本プロレス『ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア25』(BOSJ、5月18日開幕)の展望記事を書いたところ、昨年で同リーグ戦からの卒業を宣言した獣神サンダー・ライガーに対して「寂しい」「ずっと出てもらいたかった」など、今年の不出場を惜しむ声が多く寄せられた。

 私がスーパーJr.を会場で見るようになったのは、BOSJの前身となる『第2回トップ・オブ・ザ・スーパージュニア』(TOSJ)の決勝戦(1991年4月30日、両国国技館)から。3年ぶりのTOSJで出場メンバーがほぼ一新された中、第1回大会にも出場した保永昇男が、第1回大会後にリバプールの風になり生まれ変わった獣神サンダー・ライガーと好勝負を展開した。開幕前はダークホースと見られていた保永が第2回大会を制し、新日本ジュニア内の勢力図を一変させた。

 TOSJは第4回まで続いた。1994年にはジュニアヘビー級のオールスター戦『スーパーJカップ』(1994年)が成功。他団体から選手を招聘しようとBOSJに名称変更し、現在まで継続開催されている。

 当初はライガーをジュニアの盟主とするために考えられたスーパーJr.。ライガーはTOSJ第3回大会で、凱旋帰国したばかりのエル・サムライを決勝で破り初優勝。Jカップ優勝を逃した直後に開催された第1回BOSJでは決勝に進出。大阪府立体育会館(当時、現エディオンアリーナ大阪)で開催された決勝戦で、みちのくプロレスで大阪出身のスペル・デルフィンと対戦した。デルフィンはライガーとのハーフマスク、デルイガーとして登場し、ライガーをアウェーな雰囲気に持ち込んだが、ホスト役としての意地を見せて好勝負を制した。その後は第8回大会(2001年)に同じ大阪で、田中稔を破り3度目(TOSJ時代を含む)の優勝を飾っているが、意外なことにライガーの優勝はこれが最後だった。

 BOSJに名称を変更してからは、エル・サムライやケンドー・カシンとともに、金本浩二、大谷晋二郎、高岩竜一らとジュニア世代闘争を繰り広げた。この時期は新日本ジュニアの若い選手が台頭し、ワイルド・ペガサス、2代目ブラック・タイガー、ディーン・マレンコら好敵手たちがアメリカマットに主戦場を移した。ライガーの存在は当初描いていたのとは違う形で、ジュニアの盟主になっていった。それでもライガーは向上心を保ち続けた。他団体や海外マットへ積極的に乗り込んだり、鈴木みのるがプロレス復帰を決断するきっかけとなったパンクラスに参戦するなど、ジュニアの盟主から世界の獣神にまで上り詰めたのだから大したものだ。

 スーパーJr.ではライガーと闘うために参戦した選手も数多くいる。飯伏幸太、KUSHIDA、アメリカン・ドラゴン(ダニエル・ブライアン)、初代えべっさん、カレーマン(クリストファー・ダニエルズ)、最近ではPAC、リコシェ、ウィル・オスプレイもライガーと同じブロックに入り、レジェンドに触れた。今でもスーパーJr.に出場したい選手が世界中から絶えないのは、スーパーJr.からWWEにステージアップした選手が多いのも理由のひとつかもしれないが、やはり“世界の獣神”ライガーが20年以上に渡って築いたリーグ戦というのも大きいのだろう。

 ライガーがいないスーパーJr.ではあるが、ライガーはきっと実況席で大はしゃぎしながら、スーパーJr.をファンと一緒に楽しむことだろう。

【どら増田のプロレス・格闘技aID vol.9】

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