しかし、当時の大学生が愛好するスポーツといえば、スキーやテニス、サーフィンと格好のつくスポーツで、泥臭いイメージの相撲は敬遠されがち。本作で、本木雅弘演じる、主人公の山本秋平もそういった大学生のひとりだったが、卒業に必要な穴山教授担当の講義の単位を取るために、廃部寸前の教立大学相撲部に入ることになったところから物語は始まる。
主役以外の出演者としては、本番になると必ず下痢を起こしてしまう、唯一の相撲部員の青木富夫役に竹中直人、秋平が大学でスカウトした肥満体の大学生・田中豊作役に、田口浩正、穴山教授の研究室に属する大学院生で相撲部をなにかと気にかける川村夏子を清水美砂が演じている。また、宝井誠明は今作が映画デビュー作で、秋平の弟役、山本春雄で出演している。
作風としては、廃部寸前の弱小の部活を、各メンバーの奮起で、もう一度強くするという、よくある王道スポ根路線だ。相撲に対する、主人公の意識が変わるきっかけも非常に単純。練習もほぼしないで挑んだ大会で予想どおりボロ負けとなり、大学相撲部OBや、同じく3部リーグに所属しているライバル校の部員に、真剣に相撲をしている、他の仲間や顧問までバカにされ「見返してやるよ馬鹿野郎!」と主人公がたんかを切ることが、相撲にのめり込む大きな理由となっている。そこに角界の伝統やタブーなどの、相撲ネタを上手くからめて、コメディータッチにしているのが特徴だ。
演者としては特に竹中の存在が重要で、各シーンでピリピリしがちになると、必ずと言っていいほど、竹中を中心としたコメディーシーンが挿入され、一瞬で笑いに変える。これは後に同作の監督である、周防正行氏が監督・脚本を手掛けた『Shall we ダンス?』に通じるものがある。この作品でも、竹中を効果的に使ってコメディー空間を作り出し、趣味にしないと馴染みの薄い社交ダンスを、わかりやすいものとしていた。
相撲という題材を使った映像作品というのは、当時も今でも、それほど多いものではない。日本の伝統的な競技・神事のひとつなので、もう少しあってもおかしくなさそうだが、やはり裸でまわしを締めてやるという点と、劇中でも語っていたが「太っている人がやる」という相撲に対する偏見により、なかなか作品にならないのだろう。
本作では、日本人でも持っている、その辺りの偏見を上手く利用して描いている。最初は主人公たちの目を通して、徹底的に相撲をダサいものとして描くのだ。序盤の臨時入部部員のまわしを締めるシーンや、ラグビー部から、下宿先の家賃を肩代わりするかわりに、助っ人として入部してきたイギリス人、ジョージ・スマイリーの、まわしの下にスパッツを履く姿や言動がそれで、とても格好のつくものではないと、観る側に思わせる。しかし、後半に進むにつれ、相撲の“スポーツ”としての奥深さを演出する部分が多くなる。しかも、コメディーをからめて、さり気なくという感じで、自然と作中の人物同様に相撲に強い興味を抱かせるような作りとなっている。
スポ根モノで重要な点は、なんといってもキャラの成長だが、この作品では相撲という題材らしく、立ち会いの際の表情でそれを表現している。決して派手なシーンではないのだが、本格的な練習を経た後のリーグ戦の表情はそれまでとは大きく違ったものになっており、練習や合宿で、心身共に劇的な成長をしたのだろうという、妙な説得力がある。また、前記したスマイリーが、それまでの恥の気持ちを捨て去って、仲間たちのために、決心の表情を浮かべて、スパッツを破り捨て土俵にあがるシーンなども印象的だ。
またこの作品、それまでのスポ根モノと大きく違う点がある。ただがむしゃらに練習するという描写が控えめなのだ。柄本明演じる、相撲部顧問の穴山教授が、それぞれの部員の身体的特徴を見極め、その部分を重点的に伸ばす方向で話が進む。そのせいか練習後の勝ち方も、各部員の特徴を伸ばしたことによるギリギリの勝利が多く、変に嘘っぽさがない。これはただ練習すればいいという、根性論の影響で怪我人が出ることが明らかとなり、練習方法が変わり始めた当時のスポーツ界をよく表しているとも言えるだろう。
ストーリー展開のテンポも非常に良く、メインの教立大学相撲部員たちには、それぞれ、重要な場面での活躍シーンが必ず用意されている。変に感動的なシーンの押しつけがないのも、この作品の特徴で、肩の力を抜いて観ることのできる、エンタメ性の非常に高い作品だ。
(斎藤雅道=毎週土曜日に掲載)