半年間の放送が終了すると、本格的にアイドル活動がスタートすることになった。セーラー服を衣装にした『少女人形』で81年9月にレコードデビューすることになった。14歳でレコードデビューというのは、この当時は珍しかった。しかも童顔で衣装はセーラー服。伊藤は今で言うロリ系アイドルの走りと言えるかもしれない。
当時は歌番組の全盛期だったこともあり、伊藤は多くの歌番組に出演していたのだが、ここで大きな問題が発生した。『少女人形』の発売した時の年齢は14歳。当時の労働基準法は、20時以降に15歳未満は労働禁止だったのだ。生放送が多かった時代なので、伊藤が生で出演できる番組は限られていた。当時『ザ・ベストテン』(TBS系)に毎週のようにランクインしていた伊藤だが、番組が生放送だったため当日の20時前に収録を行った映像を流し、生放送中には伊藤の等身大ポップを置かれていた。『ザ・ベストテン』の伊藤の扱いを見て、未成年の労働基準法を覚えた人も多かったことだろう。
ある意味ではデビュー曲からインパクトを残したので、伊藤の人気はグングンと伸びていった。確実に人気も上がったところで、3枚目のシングル『夢見るSeason』が15歳の誕生日に発売された。ファンにとってはこの15歳の誕生日は待ちに待った日でもある。当時の20時以降の生放送に出演できる年齢になったこともあり、これまで出てなかった歌番組にも出れるようになった。しかし労働基準法を教えてくれた『ザ・ベストテン』にはランクインすることが出来ず、ファンも夢見ていた『ザ・ベストテン』の生放送で歌う姿を見ることができなかった。
ワタシ的にはこれまで伊藤に対しては、テレビの中の人という感じだったが、83年頃に『アップルシティ500』(TBS系)という夕方5時から毎日放送していた生番組に、伊藤がゲスト出演する機会が多くあり、この番組が公開生放送だったことで、学校が終わるといつも観に行っていた。伊藤と初めて会ったのは、青山CIプラザというところで生放送をしていた時である。この時の主目的としては、ゲスト出演していた早見優を観ることだったが、これまで一度も観たことのなかった伊藤もゲストだったことで、ようやく生伊藤つかさ体験をすることができた。この時の伊藤は『横浜メルヘン』という曲を歌い、私の心を麗しくしてくれた。
ようやく出会えたのだが、次第にアイドル活動も減少してしまい、舞台や時代劇がメインの仕事になってしまい、アイドルとは掛け離れた世界へと行ってしまった。これでもう伊藤を観れる日は来ないだろうと思い、月日が流れていった。初めて出会った83年から15年経った98年に再び会える機会ができたのだ。コマ劇場で行われた吉幾三特別公演『通天閣/日本一?お父ちゃん』という舞台に友人が出演していたので観に行った時に、伊藤が出演していたのである。30歳を超えたばかりで、もう当時のロリ系というイメージは無かったが、目の前に伊藤つかさがいるというだけで満足だった。
良い思い出として自分の引き出しに閉まっておいたのだが、2002年に衝撃的なニュースが流れてきた。何とヘアヌード写真集が発売されることになったのだ。正直言ってショックだった。大きなショックを受けたが、見たいという気持ちと見たくないという気持ちが揺れ動いていた。最終的には見ましたけど。
ヌードになったのはこの一度だけで、今でもこれまで通り舞台を中心に女優を続けているので、まだ伊藤に会える機会もあるので、近いうちに舞台鑑賞でも行こうかと考えています。今月末から始まる舞台の出演も決まっているので、まずはその舞台鑑賞からスタートですかね。
(ブレーメン大島=毎週土曜日に掲載)
【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。