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【幻の兵器】完成度が低く安定性を欠き小回りも効かず…投入自体が失敗だった小型潜水艇「甲標的」

 巡洋艦以下の補助艦艇についても保有制限を課したロンドン軍縮会議の翌年の1931年、日本海軍の艦艇建造を司る艦政本部一部二課長の岸本鹿子治大佐は「魚雷による肉攻案」と題して、高速の豆潜水艇による隠密攻撃計画を上奏した。岸本大佐のアイディアは当時軍令部総長だった伏見宮元帥にも注目され、翌年にはある程度の素案も固まって設計に着手した。こうして生み出されたのが、甲標的と呼ばれる豆潜水艇である。

 軍縮条約で戦力的には劣勢となった日本海軍は、新型兵器の開発に異常なほどの熱意を注いでいたのだ。岸本大佐は魚雷の権威でもあったことから、この兵器は魚雷を基本としており、いわゆる潜水艦の縮小型としての豆潜水艇とは発想の根本から異なっている。実際、外見的には潜水艇の様に見えるが、推進用のスクリューに二重反転プロペラを採用したことや舵が非常に小さいことなど、構造的には魚雷に近い兵器であった。また、甲標的は水中で19ノットもの高速力を発揮することが可能で、驚くべきことに当時は世界最高の水中速力を誇っていたのだ(第二次世界大戦末期まで、甲標的を上回る水中速力を発揮する潜水艦は現れなかった)。

 甲標的は洋上で母艦より発進し、高速を活かして敵艦隊へ肉薄、攻撃することとされたものの、攻撃終了後の収容が極めて困難との指摘もあった。そのため、潜水艦から隠密発進し、敵艦隊が集結する軍港や泊地を奇襲する作戦も検討されていたようだ。ともあれ、水上機母艦の千歳と千代田、日進が甲標的の母艦として改造され、それぞれ12隻、計36隻を搭載することとなった。来るべき艦隊決戦においては、連合艦隊が直率する第十二航空戦隊を編成し、主力艦隊の接触前に敵艦隊への奇襲攻撃を敢行する予定だった。

 しかし、開発の過程で外部視察能力が低くて敵艦の発見が困難かつ、水上、水中のいずれにおいても安定性を欠いていること、そのため自艦と標的の相互位置を把握することさえ困難であることなどの欠点が明らかとなった。さらに、うねりが大きいと司令塔が海面上に露出して発見されやすくなり、舵の位置から運動性も悪くて小回りは効かない。試験では模擬魚雷の発射に失敗し、正常に発射しても重量バランスが激変して前方が跳ね上がり、発射した魚雷の進路が変わってしまうなど実用化にはほど遠い有様といえ、兵器としての能力に疑問を感じるほどだった。

 結局、日本海軍はフィリピンなどを占領した後、米艦隊の進攻を迎え撃つ作戦を根本から転換し、開戦と同時にハワイのアメリカ艦隊を航空機で攻撃する作戦に決したため、甲標的の出番はなくなってしまった。

 ところが、それまで血のにじむような訓練を積んでいた甲標的乗組員は、この決定を全く受け入れようとしなかったとされる。活躍の機会を得ようとした乗組員は、上官へ意見具申して真珠湾軍港内への隠密攻撃という形で甲標的の実戦参加を認めさせたと言われている。しかし、そもそも生還の見込みが無い決死作戦であり、出撃した甲標的は戦果不明で全滅、戦死した9名の乗組員は軍神とされたが、捕虜となった1名は海軍から存在を抹殺されるなど、あまりにも苦い結果となった。

 甲標的の失敗については、訓練不足の乗組員を投入したことをその原因とする文献が多い。だが、それ以前の問題として兵器としての完成度が低く、外部視察能力と安定性を欠き、小回りも効かない小型潜水艇を隠密侵入作戦に投入したことそのものが間違いだったと言える。

 それにもかかわらず、現場サイドは甲標的による隠密奇襲作戦を繰り返す。太平洋戦争中にはオーストラリアやマダガスカルに投入されたが、いずれも特筆すべき戦果を上げることなく全滅している。そこで、今度はガダルカナル沖合の米軍停泊地に対する使い捨て攻撃に投入され、そこで初めて小さいながらも戦果を挙げた(乗組員は脱出して島の守備隊と合流している)。これは比較的本来の開発目的に沿った作戦でもあり、乗員の生還率も高かったが、米軍の警戒が厳しくなってからはほとんど戦果が挙がらなかった。

 結局、半ば持て余し物となってしまった甲標的は、その後は敵輸送船団に対する迎撃兵器として南洋の島々に配備されていった。フィリピン方面においては基地をはじめとする支援体制を整備し、十分に運用経験を積んだ指揮官の適切な作戦指導を得られたこともあり、それなりに活動も安定していた。だが、観るべき戦果がなかった点に変わりはなく、戦局に寄与することはなかった。

 甲標的そのものは失敗に終わったが、沿岸防衛用兵器としての性能に着目した日本海軍は、甲標的をさらに発展させた豆潜水艇の開発に着手する。「蛟龍」と名付けられた改良型甲標的は敗戦直前に生産が始まったが、実戦に参加することはなかった。また、蛟龍とは別に「海龍」と呼ばれる沿岸防御用の豆潜水艇の開発も進められていたが、こちらも実戦に参加することはなかった。

 ひとことで言うと、甲標的の問題は兵器としての完成度が低すぎたことにつきる。もう少しじっくりと開発していれば、実用に耐える兵器として完成していたかもしれないし、あるいは失敗作として放棄されたかもしれない。しかし、現実には一応の完成とされつつも、運用には前途多難という、全く中途半端な状態で実戦投入されてしまい、いたずらに人命と資源を浪費するのみであった。

 太平洋戦争の日本海軍は、損切りが出来ずに傷口を広げることも多々あったが、甲標的もその一例なのかもしれない。

(隔週日曜日に掲載)

■甲標的
排水量:46トン(潜航時)
全長:23.9m
全幅:1.8m
全高:3.0m
浮上時速力:23ノット(時速43km)
潜航時速力:19ノット(時速35km)
最大航続距離:100海里(190km)
最小航続距離:18海里(33km)
潜航深度:30m
乗員:2名
主兵装:45cm魚雷発射管2門
その他:自爆装置1基

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