北川コーチと言うと、真っ先に思い出すのが、2001年9月26日。大阪近鉄バファローズに移籍した最初のシーズンで、9回裏に代打で登場し、サヨナラ満塁ホームラン、その一発で優勝を決めるというマンガみたいなことを本当にやってのけたのだ。
「1994年、ドラフト2位で阪神に指名されました。『強打の捕手』として大きな期待を寄せられましたが、レギュラーに定着できず、2000年オフ、チームがヤクルトからカツノリ(野村克則、現・楽天二軍コーチ)の獲得を決めたので、弾き出されるように近鉄にトレード放出されました」(ベテラン記者)
そのトレード先で優勝に貢献できたのだから、古巣を見返すこともできただろう。
しかし、北川コーチの日本大学時代を知る関係者によると、「当時から兄弟みたいに仲良くしていたのが、カツノリだった」と言う。
カツノリは明治大学。年齢も一学年、下だ。日本大学とは対戦リーグが異なるが、カツノリは北川コーチのことを「お兄ちゃん」と呼び、当時からいっしょに遊んでいたそうだ。その弟分の加入が阪神を退団するきっかけになったのは皮肉な限りだ。
「当時の阪神監督は野村克也氏。野村氏は阪神に関する自著の中で、『論外』と捕手・北川にダメ出しをしています」(前出・同)
カツノリの父、野村氏の低評価が近鉄での発奮材料になったのかもしれない。
「北川コーチは本当に人柄が良く、いつも笑っていました。首脳陣から、マジメにやっていないと誤解されることもあったようです」(在阪記者)
北川氏は古巣帰還となるコーチ就任会見で、「考え方によってはプラスに持って行けると思う。もともと、僕もチャンスに弱い人間だったので、タイガース時代なんか、特に」と、語っていた。今季、勝負どころで「あと1本」が出ず、12球団ワーストの得点に終わった打線の改善策について、答えていたものだ。
北川コーチは阪神から近鉄に移籍し、マスコミ扱いの違いにも驚いたという。人気球団と比較すれば仕方ないことで、閑古鳥の鳴いている観客席にも同様の感想を持った。しかし、ここから先の発想が他の野球選手とは少し違った。「マスコミを味方に変えてしまえば、緊張しないで済んだんだ」と――。
取材陣に媚を売るという意味ではない。ファンに支持される選手になれば、自ずとマスコミも味方に変わってくる。そのためにはどうすればいいのか。選手・北川はファン、マスコミに対し、自然体で接してきた。この考え方ができれば、阪神の若手たちも甲子園球場の熱い応援を「重圧」と感じることはなくなるはずだ。
選手・北川の見せてくれた代打満塁サヨナラ弾を再演してくれたら…。選手を確実にスキルアップさせるメソッドはない。北川コーチは気持ち、考え方を変えることの重要さを教えるのではないだろうか。(スポーツライター・飯山満)