東映のヤクザ映画には教わるところ多かった。教科書に書かれていない人生の真実が、速射砲のように繰り出されるのに、まず仰天した。
次に、映画前半の15分くらいまでには主題が提示され、引き起こされた問題の経緯が語られ、エンドマークの20分前ころになると、思ってもみなかったような、もしくは思っていたそのとおりのことではあるけれどより悲劇性が強調されて、主人公の本音が口から搾り出される。つくづく勉強になった。のちに所属することになる会社という組織で、映画で学んだことを有効に活用できなかったのは、一方的に非はこちらの側にある。
どうしてこんなに話の組み立てや語り口が巧みなのだろうと、かねがね不思議に思っていたので、映画脚本家である笠原和夫氏の600ページを超える大部な鼎談集「昭和の劇」(太田出版)を読んで、そのあまりの面白さに熱くなったことがある。面白い映画を作るためには、惜しまず骨身を削る人が、人々がそこにはいた。
ヤクザ映画全盛のころ、新進の惹句師(コピーライター)として活躍された関根忠郎氏にはこんな失敗談がある。高倉健氏(俳優)のポスター撮りのさい、映画本編の中で足袋を履いていたかどうかを未確認のまま撮ってしまった。これはたしかに不注意というもので、撮影現場には「つながり」をチェックする記録という職能がいるほどなのだ。
健さんは言った。「まずいな、関根」。これが関根氏のキャッチコピーとなった。なにかちょっとしたミスでも、みんなは容赦なく責めた。「まずいな、関根。まずいな、関根」と。
のちに東映の宣伝広告部の第一人者となる惹句師関根忠郎氏も、新作映画のポスターや新聞広告を作る際、締め切りまぎわになってもうまい言葉が浮かばないで呻吟(しんぎん)することもあった。そんなときにはみずからに呟(つぶや)いたという。「まずいな、関根」。
これも教科書と百科事典に載っていないことであるが、十五代将軍徳川慶喜の妾(そばめ)は新門辰五郎の娘である。辰五郎のことは百科事典に載っていて、江戸末期の侠客(きょうかく)で町火消し「を組」の頭であったこと、出世して「とちりぬるを」全組をたばねる十番組の頭取になり、金龍山浅草寺の新しい門の警護にあたったので新門を名乗ったこと、最後の将軍を最後まで守り抜いたことなどが書かれている。
時計が逆回転して百年前に遡(さかのぼ)る。女将(おかみ)さんが、お姉さんが、急に辰巳芸者の口跡でものを言いはじめた。その歯切れのよさ気風のよさで、羽織の着用を許された辰巳芸者。映画で演じた藤純子(女優)さんからは、芸妓と芸者の別、そして押せば転ぶのをダルマ芸者と教わった。映画はほんとに勉強になったなあ。
そういえば女将さんも、お姉さんも奇麗だなあ。すこし酔ったようなので帰ります。以上、店の小壁に新門一家の小ぶりな羽子板セットが掛けられていたので想いが走ってしまった。楽しかったので、また伺います。
予算2600円
東京都台東区浅草3-4-2