東城さんはフリー時代の05年8月、元所属団体JDスターの本拠地でプロレス専用会場である東京・新木場1st RINGで、「負けたら即AVデビュー」という企画で試合を行い、敗れた直後にリング上で本番シーンありのAV撮影を行う前代未聞の暴挙に出た。
この行為に、JDスターと会場を管理するウエストコーポレーション社が激怒。「AV撮影は許可していない」とする会場側と、制作会社のナチュラルハイとの間ですったもんだした末、AVシーンを撮り直すことで、このAVは同年12月に発売された。その後、東城さんは数本のAVに出演した。
その際に東城さんの対戦相手を務めたのが、ドレイク森松さん(40=本名・森松由紀)。森松さんは89年に大仁田厚率いるFMWに入門。Jd'を経て、フリーとなり、プロレスと総合格闘技で活躍した選手。
神聖なリングでAVを撮影した東城さんもさることながら、それに加担する形になった森松さんはプロレス業界、ファンから大バッシングを受け、業界から干されることになった。その結果、森松さんは廃業を決断。翌06年4月16日に、東京・ディファ有明で自らのプロデュースで引退興行を行い、追われるように業界を去った。
いわば、東城さんのAVデビューの影で犠牲となった森松さんは、その後どうなったのか? 森松さんは引退した後、06年6月に沖縄県那覇市に移住。BAR「D-panic」を開店した。4年間の沖縄での生活の末、昨年6月に閉店し、同年7月に故郷である大阪府門真市に戻った。現在は介護士として普通の生活を営んでいる。
東城さんのAVデビュー企画に絡んだばかりに、人生を狂わされてしまった森松さんだが、今では一般人として元気に暮らしているようで、ホッと胸をなで下ろされる。
(坂本太郎)