search
とじる
トップ > スポーツ > 球界地獄耳・関本四十四の巨人軍、ダッグアウト秘話(24) 巨人一筋

球界地獄耳・関本四十四の巨人軍、ダッグアウト秘話(24) 巨人一筋

 V9時代の後半からプレッシャーのかかるONの後の5番を打ったスエさん(末次民夫氏、74年以降は利光氏に改名)の存在は大きかった。V9当初はONの刺激剤になれる5番打者を求めて、他球団の主力打者を毎年のように獲得していた。が、スエさんが5番を打つようになって、生え抜きのV9ナインが揃ったことになる。

 勝負強い広角打法はすごかった。V7の71年の日本シリーズでMVPになっていることで勝負強さは証明されている。荒川道場といえば、イコール王さんになっているが、スエさんも荒川さんがお師匠さんだった。
 ペナントレースでも、ONのような華々しさはないが、阪神のエース江夏に5割のシーズンがあったり、広島のエース・外木場に強かったりと、スエさんは「巨人キラー殺し」とも言えた。相手チームにとっては嫌なONの後の5番バッターだっただろうね。
 江夏をお得意にしていたのは、癖を見抜き、球種がわかったという企業秘密もあった。ところが、ある時、巨人の球団関係者がそれを漏らしてしまい、江夏が癖を矯正するなんてこともあったね。

 スエさんは熊本県人吉出身で高校は熊本の鎮西高。監督の川上さんと同郷だが、川上さんは農家の出身。末次家は名家で地元では知らない人はいないほどだったらしい。そういう出自と関係があるのかどうかわからないが、寡黙な人だから目立たずに『昼行灯』とか言われたかと思うと、春先に強いことから『末次春夫』とか呼ばれたこともあった。が、実際のスエさんはそんなことはない。
 明るくて冗談もよく言う人だし、本当にすごいバッターだった。77年に練習中の打球を左目に受け、現役を辞めるという不運があったが、指導者としての手腕も光っていた。二軍監督、二軍コーチ、一軍コーチとして根気強い指導で、伸びた選手は数知れないね。一例をあげれば、二軍では緒方(現一軍コーチ)、一軍では中畑、篠塚、松本らだ。

 スカウト部長も長く務め、中央大の後輩の阿部、亀井などを獲得している。スエさんの奥さんが、早実監督時代にエースの王さんを擁してセンバツで優勝した中大の宮井総監督の娘さんであることは知る人ぞ知る話だね。だからこそ、今、主将で大活躍している阿部をスンナリ獲得できたわけだ。今は原監督が東海大出身だから、巨人は東海大が主流になっているけどね。
 スカウト部長の後はスカウト部の顧問、さらには、ジャイアンツアカデミーの校長なども務めている。選手として入団以来、まさに巨人一筋だ。V9ナインの中で一度もネット裏での評論家生活を経験せずに、定年延長。つい最近辞めるまで球団に残っていたのは本当に珍しいケースだろう。

 長嶋さんでも一度は巨人から離れているし、王さんもダイエー、ソフトバンクの監督を経験、今もソフトバンクの球団会長だ。OB会会長という巨人とのつながりもあるけどね。そう考えると、一度も巨人から離れることがなかったスエさんは、巨人に対する貢献度はONと遜色なく、大だと思うよ。

<関本四十四氏の略歴>
 1949年5月1日生まれ。右投、両打。糸魚川商工から1967年ドラフト10位で巨人入り。4年目の71年に新人王獲得で話題に。74年にセ・リーグの最優秀防御率投手のタイトルを獲得する。76年に太平洋クラブ(現西武)に移籍、77年から78年まで大洋(現横浜)でプレー。
 引退後は文化放送解説者、テレビ朝日のベンチレポーター。86年から91年まで巨人二軍投手コーチ。92年ラジオ日本解説者。2004 年から05年まで巨人二軍投手コーチ。06年からラジオ日本解説者。球界地獄耳で知られる情報通、歯に着せぬ評論が好評だ。

関連記事


スポーツ→

 

特集

関連ニュース

ピックアップ

新着ニュース→

もっと見る→

スポーツ→

もっと見る→

注目タグ