つば九郎は記事の冒頭で「あかまっちゃん。ながいやきゅうじんせい、ほんとうにおつかれさまでした」とねぎらいの言葉を述べた後、赤松との出会いや球場での思い出について回顧。赤松が胃がんに襲われた後は、二軍の試合結果を新聞で逐一確認するほど近況が気になっていたという。
「いんたいじあいはてれびで、しあいかいしから、せれもにーまでみました」というつば九郎は、「あかまっちゃんのすがたに、たくさんのひとたちが、ゆうき、じしんをもらったとおもいます」と病気に負けず一軍復帰を目指した赤松の歩みを称賛。最後は赤松の応援歌を交えつつ、「げんえきせいかつおつかれさまでした。たくさんからんでくれてありがとう」と改めて感謝の言葉を送った。
ユニフォームを脱ぐ赤松へ、約1600字にわたる惜別の情を述べたつば九郎。これを受けた広島ファンからは、「引退発表、セレモニーでも泣いたのに、このブログ見てまた号泣しちゃった」、「赤松さんのことを書いてくれてありがとう」、「つば九郎の思いはきっと届いてるよ、だから赤松選手にも元気になってほしい」、「引退は寂しいけど、赤松さんが別の形で球界に戻ってきてくれるのを私も待ちます!」といった感動の声が殺到。
一方、他球団ファンからは「他球団の選手なのに、なんでつば九郎は赤松の引退を惜しんでくれるんだろう」、「つば九郎と赤松ってそんなに仲良かったの?そもそもどうやって出会ったの?」、「なにがきっかけでこういう関係性になったんだろうか」といった、つば九郎と赤松の交流を不思議に思うコメントも少なからず寄せられている。
つば九郎が2015年12月24日に更新した記事には、「こうこうのときは、ぴっちゃーもやっていたひがしでくん。ひょっとしたら、つばくろうが、かーぷのせんしゅで1ばんさいしょの、おとももちなのかな???」という記述がある。このことを考慮すると、つば九郎と赤松が出会ったのは、現役時代から広島一筋の東出輝裕現打撃コーチをきっかけに、交流の輪が広がった結果であると推測される。
こうして赤松と知り合ったつば九郎は、これまでに20回程度は赤松をブログ内で取り上げ、ツーショット写真や試合前の会話の光景を明かし、仲睦まじい交流をしていることを報告している。
また、2016年12月29日には、その前日に胃がんを公表した赤松へ「つばくろうは、まってるから」、「ずむすた、じんぐう、みんなまってるから!!!」とメッセージを送り、その翌日の記事でも「とにかく、しんじましょ。あかまっちゃんの、きりょくを!」と激励。こうした経緯が惜別の思いにつながっているようだ。
今回の記事内では、「またこんど、じんぐう、ずむすたでいっしょにおはなしできるのを、つばくろうは、まっています」とも記しているつば九郎。ヤクルト、広島ファンをはじめ、球界全体が両者の再会を願っているだろう。
文 / 柴田雅人
記事内の引用について
つば九郎の公式ブログより
https://ameblo.jp/2896-blog/