しかし、阿部の新人時代を知る関係者は、別の見方をしていた。「キャッチャーを全うできるとは思えなかった」と…。
「阿部が新人だった01年、当時ヘッドコーチだった原辰徳監督が長嶋茂雄監督に強く推薦し、開幕マスクを務めたのは有名な話です」(ベテラン記者)
話は中央大・阿部がドラフト1位に指名された2000年11月に遡る。長嶋氏は阿部を指名した直後、東都リーグの要人と会っている。そして、その要人は「捕手・阿部」について“衝撃的な真実”を伝えた。
「阿部はイップスだったんです。プロでは捕手は務まらないだろう、と」(関係者)
大学時代、阿部は投手への返球ミスで大暴投をやらかしてしまった。ボールは外野まで転がり、三塁走者は悠々とホームに帰って来た。その場では“ついうっかりのミス”として許されたが、以後、捕手・阿部は三塁に走者を置くと、この時のミスが脳裏に蘇り、リードも捕球もメチャクチャになっていたそうだ。
要人は「打撃力はバツグンなんだから一塁か、外野にコンバートしてやった方がいい」と進言した。
ルーキーイヤーのキャンプ、オープン戦では、幸いにして、三塁に走者を置いた場面で返球ミスという失態は起きなかった。しかし、当時を知る関係者によれば、阿部はかなり悩み、陰でその克服に努めていたそうだ。
「阿部は失敗した時の映像を何度も見直しています。普通の選手は調子の良い時の映像を見て、不振脱出のヒントにしますが、阿部は違います。悔しいという思いを強く持って、試合に臨むためです」(前出・同)
返球ミスのイップスも、そうして克服したという。考えて、あれこれと理屈を並べるよりも「悔しい」の思いで立ち向かう。それが、捕手・阿部を逞しくさせた。
当時の長嶋監督、原ヘッドコーチがそんな阿部の強い精神力まで見抜いていたかどうかは分からない。しかし、チームの精神的支柱にまで育ったことを思うと、長嶋監督、原ヘッドコーチに「阿部を使ってみたい」と思わせる何かがあったのだろう。
人知れず、イップスに陥っていたこと。それを乗り得た自信が40歳まで現役を続けさせたとも言える。「悔しい」と思う気持ちがイップスの克服法だとすれば、その対照にあるのが阪神・藤浪晋太郎だ。投球フォームを変え、失敗するとまた考える。その繰り返しだ。
優勝決定後の引退表明によって、巨人ナインは「阿部さんのために日本シリーズまで」と口にしている。敵地・甲子園でも阿部に拍手が送られた(24日)。ライバルチームのファンにも好敵手として認められる選手はなかなか現れない。(スポーツライター・飯山満)