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世の中おかしな事だらけ 三橋貴明の『マスコミに騙されるな!』第315回 MMTという黒船の上陸(前編)

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提供:週刊実話

 信じがたい話だが、人類は「経済学者」を含め、「おカネ」に関する認識を間違え続けてきた。おカネとは、本来は「債務と債権の記録」であり、貸借関係が成立した瞬間に「ゼロ」からこの世に誕生する。おカネはモノではなく“記録”なのだ。

 例えば、読者が銀行から3000万円のおカネを借りたとき、銀行側は差し入れられた借用証書と引き換えに、ゼロから3000万円のおカネを発行する。すなわち、銀行預金だ。読者が借りた3000万円の銀行預金は、別に銀行が「どこかから資金を調達し、読者に貸しつけた」わけではない。ただ単に、読者の銀行口座の通帳に「3000万円」という数字を記載することで、銀行預金というおカネが発行される。

 「銀行は書くだけでおカネを発行できるのか!」
 と、反発された読者も多いだろうが、事実であるわけだから仕方がない。

 ちなみに、読者という一個人にしても、ゼロからおカネを発行することが可能だ。具体的に書くと、小切手がそうである。

 読者が当座預金を担保に100万円の小切手を振り出したとしよう。振り出された小切手を受け取った(つまりは「支払い」を受けた)人は、普通に小切手を自らの債務の弁済に使うことができる。小切手は「価値の単位(円、ドルなど)」「債務と債権の記録であること」「譲渡性」「担保の存在」と、おカネの4条件をすべて満たしている。

 小切手を振り出した瞬間に、「読者の債務であり、受け手の債権」であるおカネが「ゼロ」からこの世に誕生した。別に、読者はいずこから100万円を“調達”し、おカネを発行したわけではないのだ。ただ、小切手帳に「100万円」と書き込み、支払いの際に振り出したにすぎない。

 おカネとは、貸借関係が成立した瞬間に、書かれる(=記録される)ことで発行される。この現実を、経済学者をはじめとする「人類」は無視し、おカネについて「それ自体が価値を持つモノ」であるとの認識で歴史を積み重ねてきた。結果、様々な混乱が生じた。

 より分かりやすく書くと、人類は世界に「おカネのプールがある」という理解を持ってしまっているのだ。つまりは、おカネの量が一定であるという話である。だからこそ、
「銀行はどこかからおカネを調達し、我々に貸している」
「政府が国債発行で(プールの)おカネを借りると、金利が急騰する」
「国の借金(政府の負債)は、将来的な税金で返すしかない」
「(プールの)おカネの量を増やすと、ハイパーインフレーションになる」
「中央銀行がおカネの発行を増やせばデフレ脱却できる」
 といった、筆者から言わせれば奇妙奇天烈な認識が広まってしまい、政策が歪められてきた。経済学の貨幣観、すなわち「貨幣ヴェール論」にしても、モノとしてのおカネが実体経済を薄いヴェールのように覆っている、という考え方になっているため、まさにおカネのプール論なのである。

 大変、残念なことに、おカネのプールは存在し得ない。というよりも、プールを造ることができない。おカネは実体があるモノではないのだ。ただの、債務と債権の記録であり、つまりは「データ」だ。データのプールを物理的に造ることは不可能である。

 しかも、おカネは「誰かが貸し出す」ことで、ゼロからこの世に誕生する。例えば、「銀行はどこかからおカネを調達し、我々に貸している」と理解している人は、銀行預金を何だと思っているのだろうか。銀行預金は、銀行の債務である。自分(銀行)の負債としてのおカネを、どう「調達」するというのだろうか。謎である。

 これが、現金紙幣ならば、まだ話は分かる。銀行が日銀当座預金を「引き出す」形で現金紙幣を調達し、我々に貸す。とはいえ、今どき数千万円、数億円のおカネを現金紙幣で借りる人はいない(念のため、現金紙幣は日銀の負債だ)。

 貸し出しの際、銀行は借り手の借用証書と引き換えに、自らの「負債」となるように銀行預金を発行する。預金金利と、差し入れられた借用証書との金利差が、銀行の所得になる。

 貸し借りの関係が成立すれば、おカネが発行される。逆に、返済が行われれば、おカネが消滅する。これが真実だ。「貸借関係」や「データ」のプールは、建設できない。

 この現実を踏まえた「経済学」が、ついに誕生した。最近、日本の新聞でも話題になっているMMT(現代貨幣理論)だ。

 現在、アメリカではMMTを巡る大論争が起きており、日本にも飛び火した形になった。MMTの肝は、
(1)自国通貨を持つ政府は、財政的な予算制約に直面することはない
(2)すべての経済は、生産と需要について実物的あるいは環境的な限界がある
(3)政府の赤字は、その他の経済主体の黒字
 の3つになる。

 (1)は「日本円建ての国債しか発行しておらず、自国通貨を持つ日本政府が財政破綻することはない」という話で、(2)は「政府におカネ的な制約がなかったとしても、供給能力の不足によるインフレ率が限界になる」と、言い換えることができる。

 ちなみに、筆者は今の日本政府が20兆円の国債を発行し、財政支出することには賛成するが、これが「100兆円の新規財政支出」となると、反対せざるを得ない。さすがに供給能力が追い付くはずがなく、インフレ率が適正水準を超えて上昇してしまう。

 100兆円をいきなり追加支出するのではなく、10兆円ずつ「増やす」ことをコミットする方が望ましい。10兆円ずつ確実に予算=需要が増えることが明らかならば、民間は技術投資、人材投資、そして設備投資という生産性向上の投資を拡大し、供給能力が拡大していく。

 モノやサービスの生産能力、供給能力こそが「経済力」なのである。(2)については、経済力が強化されれば、限界値は上昇していく。

 そして、(3)。誰かの資産は、誰かの負債。誰かの黒字は、誰かの赤字。地球上に住んでいる限り、逃れられない法則だ。この手の「現実」を踏まえた「経済学」であるMMTが、ようやく人類社会に登場したのである。

 次回は、日本にとって(あるいは「世界」にとっての)黒船であるMMTについて、より詳しく解説しよう。

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みつはし たかあき(経済評論家・作家)
1969年、熊本県生まれ。外資系企業を経て、中小企業診断士として独立。現在、気鋭の経済評論家として、分かりやすい経済評論が人気を集めている。

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