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田中角栄「名勝負物語」 第四番 三木武夫(2)

 常に少数政党を率い、決して埋没することなくしぶとく生き残る三木武夫に対し、戦後になると「バルカン政治家」の異名が出た。「バルカン政治家」とは第一次大戦当時、バルカン半島の小国群が右に左に揺れながらも、したたかに国の保全を図ってきたことから、生き残りに長けるこうした政治家を指すものである。

 なるほど三木は、戦後まもなく国民協同党で書記長ポストに就き、社会党の片山哲と民主党とともに連立内閣を成立させたうえで、自らは逓信大臣になっている。また、その後も政党再編の中で常に保守主義と社会主義に組みすることなく、「第3勢力」を保ちつつ存在感を示すのであった。そうした中で、日本民主党結成に参加、吉田茂政権を倒しての鳩山一郎内閣の成立に協力、ここでもしっかり運輸大臣のポストを手にしたといった具合だった。

 さらに、昭和30(1955)年11月15日に結成された日本民主党と自由党との保守合同、現在の自由民主党結成に参画したあとも、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄のすべての内閣で、少数派閥の領袖ながら大臣ポストを確実に手にしていることから、したたかさが知れるのである。

 その一方で、それぞれの政権がピークを越えたと見定めると、例えば、岸内閣では「警職法」改正案に反対を表明して経済企画庁長官兼科学技術庁長官を辞任、第2次佐藤内閣でも外務大臣に任命されたものの「沖縄返還」方針をめぐって佐藤首相と対立し、サッサと辞任してしまうなど、このあたりでは「バルカン政治家」に加えて「飛び乗り、飛び降りの名人」との声ももらっている。じつはなかなかの「権力政治家」の横顔が顔を出すということである。

★田中VS三木、初の激突

 そのうえで、田中角栄との対峙、激突は、佐藤首相「3選」時に初めて顕在化した。それまで三木の存在を軽く見ていた田中だったが、三木が“親分”佐藤への「3選」阻止に立ち上がったことで、目が覚めたようであった。時に、田中は大蔵大臣、自民党幹事長などを歴任、佐藤派の幹部として一人、派閥の“台所”を背負っていた。一方で、佐藤の政策運営に反対の声を挙げる野党を裏で懐柔するなど、「金権」批判が出始めていた頃である。三木は佐藤の「沖縄返還」方針への対立とともに、この田中が「金権」で佐藤内閣を支えていたことも不満とし、この総裁選出馬に踏み切ったようであった。時に、三木いわく「男は一回勝負する」であった。しかし、少数派の三木派領袖に援軍はなく、ここでは敗北した。

 さらに、佐藤「4選」の総裁選にも出馬した。ここでは、「男は勝つまで何度でも勝負する」と口にしたのだった。勝ち目のない勝負だったが、全国を遊説して「信念の政治家」をアピール、佐藤長期政権への批判も出ていたことから世に「三木あり」を印象付けることに成功した。

 しかし、ここでも敗北する。そして、昭和47年7月の田中角栄、福田赳夫の佐藤退陣表明を受けての「角福総裁選」でも、勝ち目のない3度目の出馬に打って出たのだった。このときの総裁選では、田中、三木の二人の勝負師のこんな腹の探り合いがあったとされる。元田中派担当記者の言葉が残っている。

「三木は、田中が勝つと読んでいたようだ。田中に(勝ったら)日中国交回復をやることを条件に持ち出し、第1回投票では自分は出馬はするが、上位2者による決選投票になった場合は、田中の支援に回ると約束した。一方の田中は、三木の“下心”が、新内閣での入閣にあることを見抜いていた。結局、決選投票は田中が福田を制したが、田中は新内閣で福田派を軽視する一方で、三木を重要ポストからは外したものの国務大臣として処遇、“うるさ型”をなだめた格好だった」

 しかし、首相になった田中が金脈・女性問題の追及を受け、進退が取り沙汰されるようになると、三木は改めて“本領”を発揮した。得意の「飛び降り」である。時に、田中内閣の副総理であったが、田中の「金権体質」批判なども含め、「自民党の体質改善を求める」としての辞任である。大蔵大臣だった福田赳夫もこれに続き、中曽根派ともども三木派、福田派の3派が離党の動きをちらつかせる中で、万策尽きた田中は退陣に追い込まれることになる。

 結果、田中後継は、その選出を委ねられた時の副総裁・椎名悦三郎が、あえて「クリーン三木」を標榜し続けた三木を指名した。椎名とすれば、党の存亡を前にした中では、国民の支持を取り付ける“便法”として、少数派の領袖ながら三木を指名する以外になかったと思われた。この椎名の「三木選出」は、じつはその前日にはすでに三木に漏れていた。しかし、「三木選出」が発表されたあと、三木はいみじくもこう言い放ったのだった。

「まさに青天の霹靂だ。予想だにしなかった。非常に光栄に存じます。一身を投げ打つ覚悟であります」

 3度の総裁選出馬で敗北し、苦節を重ねた「権力政治家」の側面を持った田中がいみじくも看破した「三木はプロ。『芸』がある」の面目躍如であった。

 その田中は退陣後、しばし沈黙を守っていたものの、三木の“仮面”はがしに動き出すのである。田中角栄の真の権力闘争の相手は、じつは福田赳夫ではなく、三木武夫であったことが明らかになっていく。
(文中敬称略/この項つづく)

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小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材49年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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