僕は直接、レースを見ていないので、彼女の“走り”についてはコメントする立場にはない。が、結果を所属事務所社長から聞いた時は思わず「速い!」と唸ってしまった。それほど、インパクトのある時計であった訳だ。
以前、当コーナーで綴ったが、今の女子で世界に通用する選手は福士加代子ぐらいだと思っている。だが、それは「女王・野口がいない事を前提とした話」で、野口が復活すると、これは一転、世界と日本の距離が縮まる事を意味する。福士&野口の2枚看板が世界を席巻する事も十分、考えられるのだ。
勿論、近年の野口は怪我に悩まされ「復活したかな、と思ったら故障発生」の繰り返し。まともに1年戦えていない実情だ。故障個所が筋肉なのか、それとも関節なのかは分からないが、全盛期の04年から07年くらいの力は衰えてはいるものの、故障さえクリアできれば、まだまだ戦える事は間違いないだろう−−。女王のこれからに期待大だ。
そんな中、笑い話を一つ−−。僕の中で「野口みずき」といえば「後藤宣広」を思い出す。
というのも、僕が選手兼コーチだったJALグランドサービス時代、後藤は「ある大会(すみません、大会名は忘れました)」で野口みずきと“対峙”したのだ。
当然、男子の後藤より女子の野口の方が強く、後藤は野口の後塵を拝し必死の形相で彼女に追走。何とか、彼女に置いて行かれず付いて行っていたのだ。
実はそれが後藤にとって大いなるアピールとなったのだ。野口は言うまでもなく女子のトップを走っている。カメラは当たり前のように、女子のトップを追いかける。野口がテレビに大写しとなる…までは良いのだが、それにもれなく写ってしまうのが、野口にくらい付いている後藤なのだ。女王・野口がテレビ写る度に後藤ももれなく写るというマヌケさ。
普通、これは実業団選手として大変、恥ずかしい話なのだが、そこはJAL。レース当日、僕は部屋でくつろいでいたのだが、JALの同僚が「西田さん、大変です。後藤さんがテレビに写っています」と、狂喜乱舞。
何事かと思い、選手とコーチが集まっている部屋に行ったら、前述の光景がテレビで大写しに。僕は唖然とした訳だが、皆は本気で「後藤さん、テレビに写っているよ」−−。田舎者なのか、単なるアホなのか…と、一瞬悩んだのだが、一緒になって喜んでいるメンツの中にコーチが混じっているのを見て「まあ、ここはこれでいいのだ」と自分を納得させたのを思い出す。
その後藤も今では「駿河台大学」のコーチ。いやはや…いや、やめよう。後藤だけの話では無くなるので…。
大学といえば、僕は11月6日、伊勢で開催される『全日本大学駅伝』のゲスト解説をラジオ・文化放送で実況する。
僕にとって『全日本大学駅伝』は『箱根駅伝』同様、駒澤大学時代は4年間連続で走った大会なのだが、いい思い出はあまりない。理由として、11月は一度、体調が落ちる時期で最悪の状態の中、駅伝を迎える事になるからだ。
大学4年の時は「表エース区間」の2区にエントリーされたのだが、1区を走っていた布施知進が6番ぐらいで僕にリレー。不調の僕は布施が作った流れのまま6番くらいで3区の選手に襷を渡した(尚、結果は後続の選手が活躍し、優勝した)。ちなみに1区を走った布施は当時、駒大生の間で「(布施は)流れを断ち切る男」として一世を風靡していた。僕も布施の一世風靡に乗ってしまった一人という訳か−−。
本音では『全日本〜』の「裏エース区間」であるアンカーを走りたかった気持ちは今でもあるが…。
さて、今週のトピックスは日本体育協会指導員の依頼で島根・奥出雲町立三沢小学校にランニング指導に行った事だ。
10月13日、現地に赴いた僕は、同小学校の長距離イベントにゲスト参加。低学年(1〜3年生)は800mメートル走で高学年(4〜6年生)は1500メートル走を走った。僕は低学年の最後尾で走る事が苦手な子を励ましながら指導した。
この日のイベントは、これで終わりであったが、練習後は全児童のざっくばらんに話をし(ほぼ、プライベートの話だが)、皆で盛り上がった訳だが、今回のイベントはかなり収穫があった。
実は、普段はなかなか、言う事を聞いてくれない気難しい子がいるそうなのだ。何と、その子は僕に心を開いてくれて、イベント終了後には「お願いだから、帰らないで!」と何度も哀願されたのだ。正直、嬉しさ半分、胸が詰まる思い半分…こんな僕でも、喜んでくれる子供が存在している、と思うと、一生懸命指導しなければ−−。
僕が、真面目にそう考えている時、前述の後藤から連絡があった。
「先輩、たまにはキャバクラいきませんか」
…。
<プロフィール>
西田隆維【にしだ りゅうい】1977年4月26日生 180センチ 60.5キロ
陸上長距離選手として駒澤大→エスビー食品→JALグランドサービスで活躍。駒大時代は4年連続「箱根駅伝」に出場、4年時の00年には9区で区間新を樹立。駒大初優勝に大きく貢献する。01年、別府大分毎日マラソンで優勝、同年開催された『エドモントン世界陸上』日本代表に選出される(結果は9位)。09年2月、現役を引退、俳優に転向する。9月3日スタートのラジオ番組「週刊 西田隆維(りゅうい)」(FMたちかわ)のメーンパーソナリティ。