同社の女性副社長である、Aさんが語る事故の詳細はこうだ。
「あれはまだ冬の、雨の日でした。その日、小夜ちゃんは他の5〜6人と社に残って残業をしていたのですが、気分転換に私たちの会社の行きつけのスタバに出かけたそうです。そして、考え事をしたまま、ついひと気のない赤信号の交差点の横断歩道に足を踏み入れ、渡り終える間際にやってきたトラックに轢かれて…」
そこまで話すと、Aさんが涙ぐんだ。
「…即死だったそうです。事故当時、交差点周辺の店の方々なども、ドスンという大きな音がした以外声も聞こえず、大きな人身事故だと思わなかったそうです。遺体は、キャラメルマキアートにまみれていたそうです。それからというもの、私たちがスタバで買い物をすると、事故のあった交差点で持ち帰った飲み物類をこぼす出来事が頻発しているんです。原因は色々です、つまずく人もいれば、人とぶつかったり、うちの男性社員の大島君(仮名)が面識のない不良の子とちょっとした口論になり、紙袋を取り上げて捨てられたり、半年の間に10回以上ありました。こんなことありえますか?」(Aさん)
筆者は何気なくこんなことを聞いてみた。
−−あなたは事故当時、どこにいたんですか。
「はい。私は、ちょっと急ぎの用があって、小夜ちゃんが外に出てしばらくした後、小夜ちゃんが亡くなった交差点に自転車に乗って出かけました」
そう聞いて、ある想定が浮かんだ。
−−あなたは、その事故のあった横断歩道で信号は守りましたか。
「いえ、赤信号で渡ってしまったんです。坂の上のホテルで高名な作家と打ち合わせをする予定に遅れそうだったために急いでいました。それに、周辺は真っ暗で、横断歩道の向こうに傘を上げて顔を見せてくれない歩行者が佇んでいました。私は、その人がこっちへ歩いてくるのが気味が悪かったので、赤信号のまま自転車で突っ込んでしまったんです。横断歩道をその人をやり過ごして渡り終えた私は、左折して直ぐ先の上り坂の裏路地を自転車で全速力で上がっていきました」
私は恐る恐る聞いてみた。
−−その傘を差した女性…は、横断歩道の向こう側から、自転車が渡り終えて自分の脇をさっと通り過ぎたので、もう信号が青だと思って、下を向いたまま横断歩道に進入して…。そんな可能性はありませんかね。
Aさんは、筆者が何を言いたいのか察知したようだが、黙り込んでしまった。何も知らないのだから、無理もなかろう。質問を変えた。
−−その時のAさんの行動を当時事故の捜査関係者には話しましたか。
「…いえ、誰にも言えませんでした。誰かに話したら、小夜ちゃんが…」
−−小夜ちゃんが?
「誰かに話したら、小夜ちゃんが、あたしだと気付いちゃうかもしれないから」
思わず出たAさんの一言に、特に深い意味もなかったに違いないが、なぜだか身震いさせられたのであった。