実力はプロレスの中でまったく必要ないものなのか? 「格闘技が強くとも、セメントになったらそうはいかない」などと言う者もいるが、「じゃあやろうじゃないか」と言うと、うまい見えと言葉で誰もやらない。
確かに格闘が強くとも街の戦いで勝てるとは言えないし、街でのプロもいる。
私の思想、掣圏真陰流は戦闘に基準を置いている。精神面と技術面、恫喝(どうかつ)も武器も地位も通用しない。恫喝には不動の意思が起こるし、武器には団体という結果となり、義は地位でさえ関係ない。
プロレスに対してセメントをやりましょうと、一切言うつもりは無いし、これまでも言ってきたことはない。プロレスが滅びることがしのびなく、これまで存在してきた確固たる教えと環境が崩れていくことが許せないのだ。
「アッハッハ! プロレスでしょ」。受け狙いのプロレスが陥る世間の結果は、そのレスラーや関係者には見えない。
私の本職は武道である。今回の企画がプロレスであるからいろいろ書いているが、武道のことを書くとこの数千倍の思想が詰まっているつもりだ。
佐山は知っていても、ほとんどの人が私の本当の心の顔を見たことはないだろう。
武道とは科学であるし武士道である。
掣圏真陰流の弟子は、礼儀、精神面、技術、歴史の真実、すべて不動心に構築されるように教育されている。
私の本当の顔は、最も有効な、あるいは危険な現代武道家である。危険とは、良い薬ほどそうであるという意味です。