「貴乃花親方は、貴花田を名乗っていた1992年の11月に、女優の宮沢りえとの婚約を発表しました。貴乃花は20歳、宮沢は18歳でした。大物カップルの誕生に世間はわきましたが、わずか2か月で婚約解消しました。理由としては、宮沢の実母でマネージャーでもあった“りえママ”こと光子さんが、結婚後も芸能活動を続けることを希望する一方、芸能界を引退し“おかみさん”への専念を求める貴乃花の実母、花田憲子さんとの間でトラブルが起きたともいわれていますね」(芸能ライター)
婚約を解消した1993年1月に、貴花田から貴ノ花に改名し大関に昇進した。そして、貴乃花に改名した翌1994年11月に、横綱に昇進した。現在の妻である景子夫人との結婚は1995年5月。貴乃花は22歳だった。
「相手の景子さん(旧姓:河野)は、フジテレビの看板アナウンサーの一人でした。1994年3月末で同社を退社し、フリーアナウンサーとして活動をはじめた矢先の結婚となりました。フジテレビの番組で共演したことが2人の出会いだったようです。婚約発表時はすでに妊娠6か月であり、長男の優一さんがお腹の中にいたことになりますね。景子夫人は、貴乃花より8歳年上の姉さん女房であり、3人の子どもを持ち、力士の妻として夫を支えてきました」(前出・同)
期せずして花田優一は、父親と近い年齢で結婚することとなった。相手の一般人女性も父親に同じく姉さん女房である。やはり親子は“似る”のかもしれない。