『スポーツ報知』(報知新聞社)によると、今回の契約更改で中島が受けた約87%のダウン幅は、元巨人・杉内俊哉の90%(5億円→5000万円/2015年オフ)、元ヤクルト・伊藤智仁の約88%(8000万円→1000万円/2002年オフ)に次ぐ史上3番目の下げ幅とのこと。この一件を受け、ネット上のファンからも、「減俸は当然だと思ったけどここまでとは」、「下げ幅えぐいからあんまり文句言えんわ」、「そもそもが高すぎたとはいえガッツリ下がったな」といった反応が寄せられている。
ただ、ダウン幅ではなく減俸額(出来高は勘案せず)で見ると、過去には今回の中島を優に上回るほどの大減俸を受けた日本人選手は複数存在する。
例えば、小笠原道大は巨人時代の2010年オフに1年あたり4億3000万円での2年契約を締結。ところが、2011年は83試合で「.242・5本・20打点・68安打」、2012年は34試合で「.152・0本・4打点・14安打」と2年連続で大不振。この結果、2012年オフの契約更改では、3億6000円万減となる7000万円を提示されることとなってしまった。
中島の契約更改と同じ日に古巣・西武へ14年ぶりに復帰することが決まった松坂大輔は、2007年から2014年にかけ米メジャーでプレーした後、日本球界に復帰。最初の移籍先となったソフトバンクは3年総額12億円、1年あたり4億円という好待遇で松坂を迎え入れた。
しかし、松坂はソフトバンク入団直後から右肩のコンディション不良に悩まされ、在籍3年間での一軍登板はわずか1試合。ほとんど成績を残せなかったことが影響したのか、2017年オフにソフトバンクを退団し中日に移籍した際、松坂の年俸は3億8500万円減となる1500万円まで一気に下落。球団をまたいでいるとは言え、非常に厳しい評価を下されている。
2015年オフに杉内が受けた「5億円→5000万円」という4億5000万円もの大減俸は、ダウン幅と同時に減俸額でも史上1位の数字となっている。2011年オフにソフトバンクから巨人にFA移籍した際、杉内は4年総額20億円、1年あたり5億円という大型契約を締結。翌2012年から3年連続で2ケタ勝利をマークし、2012年5月にはノーヒットノーランも達成した。
しかし、4年契約の最終年である2015年は股関節の故障によりわずか6勝に終わり、シーズン後の10月には「右股関節形成手術」という前例の少ない手術を決断。球団にこれ以上迷惑をかけたくないという思いがあったのか、12月の契約更改で杉内は自ら大減俸を申し出たと言うが、この“男気”も空しく、翌2016年から現役を引退する2018年まで一度も一軍に登板することはできなかった。
成績の良し悪しが如実に反映される選手年俸。プロ野球の世界はやはり、「結果が全て」ということが表れているようだ。
文 / 柴田雅人