年配の方など、酒が入ると「オレも昔はワルくてさー、ケンカはするし、単車を転がしたりね…」等と、若い頃の自慢を始める人も少なくない。周りの人たちもそれに対して好意的に、笑いながら聞いていたりもする。この事が良いか悪いかは別として、それが文化の一部として受け入れられている一面があるのは事実である。
日本のヒーローには、ねずみ小僧、国定忠治、清水の次郎長といった犯罪者やヤクザである背景を持つ人物が居る。現代でも、ルパン三世は大人も子どもも含めてのヒーローだし、ヤクザ映画やマンガはいつの時代も人気が高い。
アウトローが受ける、というのは海外も同じだが、さすがに子どもも観るアニメや国民的ヒーローとしては少ない用に思える。日本だとファミリー向けのテレビドラマでも『ごくせん』のように親がヤクザであったり、『静かなるドン』のように“普段はさえないサラリーマンだが実はヤクザ”などの作品も、“家族向け”として堂々とゴールデンタイムで放送されているのに、だ。
一方、そういった犯罪者でもないのに、やたらに嫌われたり攻撃の対象になってしまう人たちがいる。
社会に対して積極的じゃない人たち、少し前なら「オタク」、いまなら「ニート」や「ひきこもり」と呼ばれる人々がそうだ。中学生頃でも、学校に行ってゆすりたかりや暴力を奮う人よりも、不登校の人の方が、問題視されてしまうこともある。
しかし、これはよく考えてみなくともおかしな事ではないだろうか。ゆすりたかりは『恐喝事件』、校内暴力は『傷害事件』、つまり立派な犯罪行為である。対して「オタク」「ニート」「ひきこもり」といった人は、少なくとも他人に犯罪行為をやっているわけではない。
よくニートやひきこもりに対する攻撃として「なんでニートやひきこもりのために、オレたちの血税が使われなきゃいけないんだ! おまえらも税金を払え!」という人がいる。だがそういった人たちの中には「なんで暴力団や、シャブの売人や刑務所の受刑者のためにオレたちの血税が使われなきゃいけないんだ!」などと吠える人は少なかったりする。
「オタク」「ニート」「ひきこもり」、彼らが攻撃されるのは、アウトロー以上に一般に理解されにくいからだろう。
法律を守り毎日をつましく生きている一般人が、法の垣根を跳び越えて自由奔放に生きているアウトローに喝采をあびせるという感情は判らなくもない。だが、それ以上にニートやひきこもりを攻撃している人というのは「反撃しない人」を攻撃する「弱いものいじめ」をしている事と大差ないのではないか。今一度、考えてみる必要がありそうだ。
(巨椋修(おぐらおさむ)・山口敏太郎事務所)