東京タワーに近い麻布台という場所から、麻布十番という町へ向かっていると、道が勾配していて、「行合坂」という案内板があった。
案内板は柱の形をしていた。「行合坂」という名称を記した面の横を見ると、坂の名前の由来が記されていた。
「ゆきあいざか・双方から行合う道の坂であるため行合坂と呼んだと推定されるが、市兵衛町と飯倉町の間であるためか、さだかでない」
案内板には「港区」なり、「教育委員会」なりの表示が見受けられなかったが、区役所に確認したら、やはりこの案内板は、港区が建てたものであった。
が、「行合坂」の案内板がある道はただでさえ狭い。しかも案内板が道の上にある。雨で傘をさしている場合などは、この案内板が邪魔で双方から人が行き合うことができないのだが、それはさておくとして、おもしろい名前の坂だなと思った。
問題はここから。
引き続き麻布十番へ向かっていると、今度は、「永坂」という案内板があった。同じく、横の面に、由来が記されている。
「ながさか・麻布台上から十番へ下る長い坂であったためにいう。長坂氏が付近に住んでいたともいうが、その確証はえられていない」
東京には坂道が多く、区によって様々な形の案内板が建てられている。
例えば、杉並区や文京区には、プレートの形をした案内板が多い。千代田区では、港区と同じような、柱の形をした坂の案内板を見かけたことがある。
しかし、港区で発見した「永坂」の案内板では、案内文を読み、思わず、笑ってしまった。
案内文の前半はわかりやすい。「長い坂であったためにいう。」と断言している以上は、長い坂であったために「永坂」というのだろう。
ほほがゆるんだのは、「長坂氏が付近に住んでいたともいうが、その確証はえられていない」と記された後半。
長坂氏が付近に住んでいたという伝承(?)なり、都市伝説(?)なりがあると思われるが、「長い坂であったためにいう」ことが断定でき、同時に、長坂氏の件で確証が得られていないのであれば、後半の文章を省いて、前半の文章だけで終わらせてもよいような気がした。あるいは、“長坂氏が付近に住んでいたという説もあるが定かではない。なお、この長坂氏とは…”というような書き方をして「長坂氏」を紹介するひと言が添えられるような気がする。記者が散策した範囲での主観的な推論だが、杉並区や、文京区や、千代田区であれば、そうするだろう。
しかし、港区は違う。
もちろん、周囲がすべて私有地で狭い道の上に建てるしか選択肢がなかったなどの事情があるのだろうが、人が行き合うことを妨げる「行合坂」の案内板といい、ツッコミを入れたくなる「永坂」の案内文といい、おちゃめである。
港区が、好きになった。(竹内みちまろ)