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それでも私は江戸川区に生きる…グッとくる後藤真希の“ファミリー主義”

 全国のアイドルファンに衝撃を与えた、後藤真希の母・時子さん(享年55歳)の転落死。23日夜、酒に酔って帰宅した時子さんは、江戸川区東瑞江2丁目の自宅3階窓から転落、24日未明に搬送先の病院で死亡した。母の転落の第一発見者は、他ならぬ真希自身だった。時子さんは帰宅した直後、後藤に「死にたくなった。息子のこと、お店のこと、体のこと…、いろいろあるのよ」という発言を残していて、転落した自宅3階窓は腰より高い位置にあることからも、自殺とみられている。時子さんの遺体は25日に病院から自宅に戻ったが、真希は遺体にぴったりと付き添い、訪れた関係者に「心配しないでください」と気丈に振る舞った。しかしショックで食事が喉を通らない状態であり、依然真希の心身両面での健康が心配される。

 弟・ユウキ(元EE JUMP)の07年逮捕に伴う「ハロー!プロジェクト」脱退以降、エイベックスに移籍するも鳴かず飛ばずの状態が続いていた「ゴマキ」の名が、ふたたび芸能トップニュースに躍り出たのは、とてつもない悲報とはいえ久々の出来事であった。そのニュースの悲痛度もさることながら、ゴマキが少女時代の面影を捨て、サイボーグ然としたディーバと化した現在も、律儀に江戸川区瑞江の実家で親子仲良く過ごしていたことを、久々のニュースで知って驚いたファンも少なくなかろう。

 何しろ後藤家は、真希の小学校5年次に、父親を茨城県内での事故で亡くしている。その後開いた家業の居酒屋「袋田の滝」は、父が命を落とした場所の名称なのだ。夫の思い出を自らの胸の内に永遠に刻み続けること意味する名前の店で、時子さんは父に代わって一家の大黒柱となり、真希が「スーパーアイドル・ゴマキ」に変身し続けるまでの間、後藤家を一身に支え続けた。

 片親の環境で育った子は、得てして普通の家庭の子よりも、残された親を思い慕う気持ちが強くなるものである。ましてや江戸川区瑞江という下町に、昭和末期に生まれ、そのまま同じ町で育った真希は、東東京の土着的ヤンキー文化に愛着を抱く最後の世代ともいわれている。

 モーニング娘。黄金時代にセンターを務め、かつては正真正銘、芸能界のトップアイドルだった真希。あれだけ売れに売れて稼ぎまくったのだから、自らのサクセスの“ご褒美”として、自身一人で恵比寿なり麻布十番なりの高級マンションに引っ越すことぐらいは簡単にできたであろう。しかし彼女が選んだ道は、地元瑞江に豪邸を建て、今まで通りに家族とともに過ごすことであった。モー娘。時代に某誌のインタビューで真希は、「家族が好き。結婚するまで家を出るつもりはない。一人暮らしに興味を持ったこともない」と公言していたが、売れてからもその思いに一点のブレもなかったのだから恐れ入る。

 しかしながら、自ら稼いだ金で建てた豪邸に家族を迎え入れ、家族揃っての幸せを望んだ真希の思いは、弟の逮捕・服役、母の転落死という、まったく望みもしない形で返ってきてしまった。主を失った“ゴマキ御殿”の中で、残された真希は何を思うのだろうか…。

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