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浅田美代子、吉田拓郎と森下愛子の不倫騒動に余裕の発言? 離婚原因ではないと主張 【芸能界“ドロ沼”不倫ファイル】

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浅田美代子

 歌手の吉田拓郎が25日、7月21日放送の音楽バラエティー『LOVE LOVE あいしてる 最終回・吉田拓郎卒業SP』(フジテレビ系)に出演すると同局が発表。同局は、同番組が吉田にとって最後のテレビ出演になるとした。同日、『日刊スポーツ』(日刊スポーツ新聞社)では、吉田が年内で芸能活動を終了する意向を報じ、「これ(同番組)以降はコンサートなどは行わず、レギュラーのラジオ番組は年内で終了」とも伝えている。また6月29日には、「ラスト」と位置付けるアルバム「ah―面白かった」が発売された。

 吉田は、1970年にデビュー。当時、マイナーであったフォークとロックを日本ポップス界のメジャーに引き上げ「結婚しようよ」「旅の宿」など数多くの名曲を世に出し、シンガーソングライターの草分け的な存在となった。

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 私生活では1972年6月に元「六文銭」のメンバー・四角佳子と結婚し、1女をもうけるも1975年9月、ラジオ放送の番組中に「(共に)暮らしていくのは耐えられない」と言い放ち、離婚を公にした。当時、女優・浅田美代子との“三角関係”がささやかれていたが、きっぱり否定しつつも1977年7月に浅田と再婚に至った。しかし、1984年8月に離婚が成立。理由は、再び吉田の不倫といわれた。

 浅田と婚姻中の1983年6月、吉田は女優・森下愛子との深夜デートを一部週刊誌にスッパ抜かれた。報道を受けた吉田は、「愛子ちゃんは好きだよ。でも、スキがないんだよな。先のことは分からないねぇ」と、否定どころか“交際”をほのめかしたのだ。一方、当時の浅田は結婚を機に芸能界を引退していたが、マスコミの取材に対して「拓郎は昔から愛子さんのファン」と吉田の疑惑を一蹴した。

 今年5月、ニュースサイト『アサ芸プラス』では、当時、吉田に直撃取材を試みたという記者がその詳細を語っている。記者によると1983年6月、浅田と結婚6年目を迎えた吉田邸を直撃し、応対した吉田に森下との不貞について取材したという。すると吉田は、「お互い、いい大人だからさ、いいんじゃないの」と開き直り、「口説いてるんだけど、彼女(森下)、スキがないんだよ」とアプローチをかけていたことは認めたとしている。

 また、浅田への説明に関しては「(森下と)飲みに行っていることは知ってる」としつつも、「誰とどこへ飲みに行ったなんて話、いちいちしない」とし、最後に「離婚なんかしない」と断言し、取材を終えたという。

 浅田は同年10月、ドラマ『もういちど結婚』(TBS系)で復帰。だが、同時に吉田と森下との関係や自身の離婚についても取りざたされた。これに浅田は、「全然心配していません」と吉田の不倫を否定し、「(浮気性は)あの人(吉田)のクセですから直んないんです。悪いことしてても憎めない」と余裕を見せたのだ。

 だが1984年7月、吉田は離婚発表の記者会見に臨み「離婚しないで済む方法はないかと、真剣に話し合った。いい家もあるし、いい女房もいる。不満はないはずなのに、結局わがままなんですよ」と自身の非を認めるも、「でも、森下さんは関係ない」とくぎを刺した。翌8月、浅田とは正式に離婚。同サイトによれば、記者の来訪時、すでに浅田とは別居生活を送っていたと報じている。

 一方の浅田は、離婚後に「(離婚は)お互い『やめようか』って感じになった」と語り、“性格の不一致”を強調していたと、2012年10月のニュースサイト『日刊ゲンダイDIGITAL』で報じられている。

 1986年12月、吉田は森下と再々婚。以降、吉田が女性問題で世間を騒がせることはない。吉田は2003年に肺がんを患うのだが、その後も何度も病魔に侵され、その闘病を森下が支え続けてきた。吉田にとって、森下は最良の伴侶であったようだ。

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