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林家三平だけじゃない、『笑点』降板した芸人はその後波乱万丈?

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林家三平

 昨年末、林家三平が『笑点』(日本テレビ系)を卒業した。5年半の間、一度も座布団10枚を達成できなかったことを理由に挙げ、自ら決めた“降板”であることを強調していた。
 
 歴代「大喜利」メンバーの中には、三平と同じく、必ずしも喜ぶべきものではない卒業組が存在する。例えば1960~80年代、5代目司会者・桂歌丸がまだ回答者だった時代に激しい罵倒合戦で話題を集めた、4代目三遊亭小円遊。「ハゲ!」「お化け!」など互いの悪口を言い合うなど熾烈なバトルで『笑点』の黎明期を盛り上げた。

 >>「勉強して参ります」林家三平が『笑点』卒業、“視聴者からのいじめ”問題視する声も<<
 
 ただし小円遊は、歌丸との言い合いは単なるネタではなく、歌丸が先に真打ちに昇進した対抗心もあったと言われている。このライバル心を利用したのが、3代目司会者であった初代・三波伸介。2人を巧みにあおってエキサイトさせたのだ。番組では関係を修復する「手打ち式」を開くも、再び仲違いするという険悪ムードが続いたとか。

 だがこの後、小円遊は酒に逃げ込むようになり、1980年10月、公演先の山形で43歳で他界。大喜利メンバーとして籍を置いたまま、降板した。死因は食道静脈瘤破裂だったという。ちなみに死去後の『笑点』では、彼の“空席”の座布団が置かれたまま、追悼大喜利が行われたという。

 また60年代、先の小円遊とともに『笑点』で人気を博したのが、初代柳亭小痴楽。初代司会者だった7代目立川談志から番組に大抜擢され、謎かけの天才と称された。69年、真打ち昇進を機に2代目春風亭梅橋と改名するも、同年『笑点』のブラックユーモア路線を巡って談志とレギュラーメンバーが対立。梅橋を含む当時の回答者5人全員が番組を降板した。

 だがこの後、他のレギュラー全員が番組に復帰したのに対し、梅橋は5人の中で唯一番組に復帰できなかった。これは、『笑点』降板直後に始まったテレビ東京(当時の東京12チャンネル)の演芸番組にレギュラー加入したため、『笑点』に復帰するキッカケを失ったからだとされている。彼も小円遊と同じく酒をやめられず、84年に49歳の若さで亡くなっている。

 さて、談志も波乱の結末を迎えている。先のように番組の方向性をめぐりメンバーがボイコットする形で全員降板。だが、暫定的に置いた新メンバーと談志との相性が悪く、視聴率が降下。7カ月後、談志もテコ入れのために番組を降りることに。しかし談志自身はその後も演芸コーナーに出演しては放送禁止用語を連発。編集しなければならないスタッフをとにかく苦労させたという。

 今年5月で57年目を迎える『笑点』。その裏には多くの先人たちの知られざる人生があることを忘れてはならない。

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