杉村は2005年に行われた衆議院議員選挙で初当選を果たす。この選挙は、小泉純一郎総理大臣(肩書は当時、以下同)が、郵政民営化を巡って国民に信を問う選挙であり“郵政解散”とも呼ばれた。結果は自民党が圧勝する。
杉村は、比例代表の南関東ブロック35位で出馬。通常ならば当選は望めない位置だが、自民党が圧勝したため当選する。この選挙で、自民党は南関東ブロックの比例代表に38人の候補者を立てたが、小選挙区当選組を含めて、36人が議員となった。
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それまで杉村は、証券会社の会社員をしており、給料日前に手持ちのお金を数えるような暮らしを送っていた。しかし、調べたところ年収2500万円、グリーン車乗り放題、議員宿舎は3KDKといった待遇に舞い上がってしまったと『痛快!明石家電視台』(MBS)で語っている。これが「料亭へ行ってみたい」といった発言につながったのだろう。この発言はマスコミのハンディカメラが捉えていたもので、杉村本人としてはここまで大々的に報じられると思っていなかったようだ。
これが話題になると武部勤幹事長から電話がかかってきて「今すぐ党本部へ来い」と呼び出された。向かうと「貴様コラァ!」と激怒されたという。このエピソードについて杉村は『ヨソで言わんとい亭』(テレビ東京系)で「殺されるかと思った」と振り返っている。この番組では当選した瞬間に扱いが「太蔵」から「先生」へ変わった様子も語っている。
ちなみに「明石家電視台」では半年後に、怒られた武部氏に再び呼び出され料亭へ連れて行ってもらったエピソードも語っている。とはいえ、調子に乗りすぎるのは良くないのは確かだろう。