一部報道によれば、山本氏は小沢一郎氏らとの間では話を取りまとめていたが、それが枝野幸男代表まではっきり伝わっていなかったとされる。当然、現場にも声は届いておらず、唐突な立候補発表となり混乱を招いた形だ。
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有田氏は山本氏の撤退が報じられた後、「山本太郎さんの東京8区問題で苦い記憶が蘇る。新党日本で参議院選挙(07年比例区16万票)に敗北。衆院選をめざし民主党の選対委員長から『君は野党共闘の象徴だ』と言われ、東京9区(練馬)に事務所を構えて1年間活動。ところが09年、総選挙前に小沢一郎さんから東京11区(板橋)へと指示が出た」と振り返った。
さらに、「板橋に事務所を構えて09年総選挙を新党日本公認、民主党推薦で闘いましたが、約3000票差で敗北。民主党公認なら当選していたでしょう」とツイート。この年の選挙では、民主党が躍進し政権交代が起こったが、有田氏は当選できなかった。続けて、「翌10年夏の参議院選挙で僕は当選します。ここで山本太郎さんにお伝えしたいことになります。練馬で『野党共闘の象徴に』という幹部の話は僕の場合はまったくウソでした」と裏事情を暴露している。
この書き込みに、ネット上では「今回の案件も、小沢一郎氏の指示だったのだろうか?それを平野博文選挙対策委員長が了承し、山本太郎氏も、党としても了承されたと思い込んだということなのだろうか?」といった声や、「やはり小沢一郎への遺恨を山本太郎で返したわけですね。ただの私怨じゃないですかそれ」といった枝野氏を評する声などが聞かれた。さらに、「思い出話とか醜悪、野党共闘ぶっ潰してんだぜ」といった声も聞かれ、解散と告示を直前にしての党内のゴタゴタを批判する声も聞かれた。
今回の山本氏擁立の動きにも小沢氏は関係していると見られ、同様の経験をした有田氏としては思う所があるようだった。
記事内の引用について
有田芳生氏のツイッターより https://twitter.com/aritayoshifu/