ゼウスは「自分が大阪プロレスを経営する事は、2014年に大阪プロレスが全員フリー契約になってからの夢でした。大阪プロレスは、1999年3月4日にスペル・デルフィンさんが設立し、2007年8月6日より、乃が美創業者の阪上雄司会長が経営していたのですが、この度、自分が大阪プロレスを受け継ぐ事になったのは、運命を感じております」と大阪プロレスの歴史を説明。
「自分は、元々大阪プロレスの生え抜きのレスラー、天王山も制覇し大阪プロレスのチャンピオンにもなりました。大阪プロレスの楽しかった時期、苦しかった時期を知り、2014年の選手全員フリー契約への変更、それから全日本プロレスへの参戦、全日本プロレスへの所属、三冠王者になり、史上3人目のチャンピオンカーニバル全勝優勝を成し遂げたわけですが、全日本プロレスを全力で盛り上げるという心の奥には、ずっと大阪プロレスへの愛、大阪プロレスの再生への想いがありました。いつか大阪プロレスをやってやると!実は全日本プロレスと契約になった時、当時の秋山準社長にお話しさせて頂いたのですね。自分は数年後、大阪プロレスをやろうと思ってますと。その時、秋山社長は自分に、今のままのゼウスなら、まだ早いよ!全日本プロレスの頂点を取ってからやれ!と言ったのを覚えております」とこれまで秘めていたアツい思いとともに、秋山準とのエピソードも披露。
「そして、大阪プロレスをやる為にも、30代は全力で全日本プロレスを頑張り、三冠王者、チャンピオンカーニバル優勝を成し遂げ、40才になる2022年から大阪プロレスをやろうと心に決めて参りました。そして、今年の春、来年からの目標である大阪プロレスの準備に取り掛かかろうと思い、全日本プロレスの社長、十枝さん、諏訪魔さん、石川さんに相談させて頂き、阪上雄司会長に相談させて頂きました。阪上会長も、今、乃が美の経営でとても忙しい中、14年間、守り続けて来た大阪プロレスを託せるのはゼウスしかいないと、自分に託して下さりました。今年の7月30日に大阪プロレスの代表取締役に就任して8月6日に登記を終え、株式譲渡も8月26日に行い晴れて大阪プロレスのオーナーになり社長に就任できた事をここに報告致します」と今回の経緯を話した。
「全日本プロレスには感謝の気持ちしかありません。この様な大変な時期に自分の想いを理解して気持ちよく出させて頂ける事に心より感謝致します。自分は、全日本プロレスの最高の時代に戦えたと思っております。宮原健斗、諏訪魔、石川修司、ジェイク・リー、秋山準、大森隆男、ジョー・ドーリング、ディラン・ジェームス、崔領二、芦野祥太郎、青柳優馬、野村直矢、ヨシタツ、数々のライバルが居た中で戦えた事が、本当に自分の最高のキャリアとなりました。これから大阪プロレスを経営しながらも、団体として、全日本プロレスとは友好関係を築き活動していくという話になっておりますので、引き続き機会がある時は、全日本プロレスのリングに立たせて頂きます。大阪プロレスについては、オンリーワン、必ず日本一の団体を作り上げます。日本中の子ども達に夢を与えたい!!家族が仲良く楽しめるエンターテイメントを大阪で提供したいと考えております」と最後は決意表明。
ゼウスが再び、なにわの街から全国に大阪プロレスを広めていってくれることを期待したい。
(どら増田)