華原は、1995年に音楽プロデューサーの小室哲哉氏に才能を見いだされ歌手デビュー。一気にスターダムに駆け上がると“平成の歌姫”の一人となった。だが、公私をともにしていた小室氏との破局を経て一時は引退状態になるなど、波乱万丈な人生をたどった。2019年8月、45歳にして未婚で長男を出産した。
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2007年からおよそ5年間、芸能活動を休止した華原は2012年に活動を再開。2013年11月、復帰後初となる熱愛が『女性自身』(光文社)に報じられた。お相手は、明治天皇の玄孫にあたる竹田恒泰氏。同月、都内のイベントに登場した華原は「竹田さんには(交際の返事を)待ってもらっています」と“熱愛”の経緯を説明。後に竹田氏との交際は2014年以降としていたが、このとき華原は竹田氏とおそろいのスニーカーを購入したことを明かすなど、すでに恋人同士の仲をうかがわせていた。
「2013年11月、華原は『女性自身』のインタビュー で竹田氏とは2013年7月の番組収録で知り合い、デートを重ね、猛アプローチを受けたと告白。記事では『熱愛』と報じられていましたが、交際はスタートしていません。これに、2013年12月発売の『女性セブン』(小学館)は、華原がわざわざ告白を公表した理由が小室氏への当てつけだとも報じていました」(芸能ライター)
ところが2014年3月、竹田氏との関係が切れたことを『東スポ』が報じ、同紙はこのことを「破局」と伝えた。同月、都内で行われたラジオ『華原朋美の寝てる場合じゃないのっ』(TOKYO FМ)の公開録音に登場した華原は報道について言及。“破局”を認めたのだ。
その中で、多忙で竹田氏と会う機会が減ったことを理由としていたが、2014年2月にロシア・ソチで開催された冬季五輪で活躍する日本人選手に竹田氏が“注文”をつけ物議となっていたことも原因のひとつとした。
「2014年2月、竹田氏は自身のツイッターにメダルを取る可能性がある日本選手へ呼び掛ける形で、選手に向けてメダルをかまないよう求め、さらに国歌が流れる際には聴くのではなく歌うよう要求。さらに、敗戦した選手が『思い出になったとか、楽しかった』とコメントするのを批判、『日本は国費を使って選手を送り出してます。選手個人の思い出づくりのために選手を出しているわけではありません』と厳しい言葉を吐いたのです」(前出・同)。
かつて乗馬選手として国体での入賞経験もある華原は、元アスリートとして竹田氏の発言は聞き捨てならなかったのだろうか。2014年3月発売の『日刊スポーツ』に華原がコメントを寄せる形で、竹田氏との破局理由を明かしている。2人は2年後の結婚をめざしていたが、前述のツイッター投稿に対して華原が竹田氏に助言をしても聞いてもらえなかったことで、交際は「無理かな」という結論に至ったようだ。華原は、2014年2月のバレンタインデー前日に、手作りチョコレートを渡した上で、思いを断ち切ったとしている。
その後、実業家らと結婚を視野に入れた交際が何度も報じられたが一筋縄ではいかなかったのだろう。47歳を迎え、晴れて妻となり新たな家庭を手に入れた。紆余曲折の末につかんだ幸せはこれ以上ない喜びだろう。
記事内引用について
竹田恒泰氏の公式ツイッターより https://twitter.com/takenoma