事件が発生したのは午後9時頃。突然、1機の航空機が夜空に向かって発進した。緊急発進でもなく、夜間訓練の予定も入っていなかったことから、航空機の発進する音に駐屯地は騒然となったという。当時の北宇都宮駐屯地は、主力部隊がパイロット教育を主任務とする教育部隊で編制されていた。そのため、航空機の夜間運用は非常時以外行われておらず、管制塔も日中以外は無人の状態だった。また、当時は有事対応のために格納庫の鍵はかけられていなかったという。
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すぐさま隊員達によって格納庫の点検が行われ、収容されていたLM-1連絡機が消えていることが判明した。また、隊員の点呼を取ったところ、整備士の三等陸曹Aが行方不明であることも分かった。北宇都宮駐屯地および、航空自衛隊北部・中部航空警戒管制団がレーダーにより乗り逃げされた航空機の追跡を行ったが、同機の姿を捕捉することはできなかった。これは航空機がかなりの低空を飛行していることを意味する。その後、自衛隊、警察、海上保安庁による合同捜索が行われたが、同機の痕跡はどこにも見つからなかったという。
自衛隊当局は、何者かによる共犯の線も視野に入れて調査を行ったが、裏付けとなる証拠を見つけることはできなかった。結局、事件直前にAがビールを飲んでいたという目撃証言があがったことから、当局はAが酒に酔った末に起こした単独事件であると判断。生死不明のままAを懲戒免職として事件は幕を閉じた。
Aの動機は何だったのだろうか。事件前、Aは操縦士になるための試験に落ちていたというが、それも事件に関係しているのかもしれない。Aと同じ北宇都宮駐屯地に配属されていた元同僚は、事件の少し前に不審な様子を目撃したという。駐屯地内の隅で見かけない男2人とAがひっそりと話していたというのだ。この男2人が事件に関係していたのかは分からないが、元同僚は「酔った上での突発的な犯行ではないと思う」と自身の著書の中で語っている。実際、格納庫の扉の開閉や航空機の出し入れはとても1人で出来る作業ではなく、事前に準備しなければ不可能に近いそうだ。
わざわざ駐屯地から航空機で飛び立つという大胆不敵な行動は、本当に酔いのせいだったのか。そもそも、Aが搭乗していなかった可能性もあるが、果たして真相は。