現役時代は広島(1981-1994)、巨人(1995-1998)でプレーし、通算139勝を挙げた61歳の川口氏。今回の動画では、プロ1勝目を挙げた1982年7月15日大洋(現DeNA)戦にまつわる裏話を披露した。
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プロ2年目・23歳の同年、7月8日にシーズン初の一軍昇格を果たした川口氏。ただ、当時の広島は先発ローテに空きがなかったため、先発ではなくリリーフとしての昇格だったという。
そんな中迎えた同年7月10日の巨人戦(後楽園球場)。川口氏はリリーフとして待機しつつ戦況を見守っていたが、この日先発していた福士敬章さんがバントを捕球した瞬間に突然硬直。異常を察知しトレーナーが向かうと、福士さんは「ぎっくり腰になって動けなくなっちゃった(状態)」だったという。
当時の後楽園球場のマウンドはスパイクの刃が刺さらないほど硬かったため、その影響でぎっくり腰を発症したのではないかと川口氏は推測していたという。ただ、福士さんがそのまま負傷交代・戦線離脱したことでローテが1枠空いたため、首脳陣から「川口、お前次の福士のとこ(先発予定試合に)行け」と先発のチャンスをもらったという。
首脳陣の命を受けた川口氏は、福士さんが登板予定だった同月15日の大洋戦(横浜スタジアム)でプロ初先発。「6回1失点・被安打5・6奪三振」で見事プロ初勝利をマークし、試合後当時の古葉竹識監督から「よし川口、今日からお前は先発の仲間入りだ!」と先発ローテへの昇格を告げられたという。
同年、川口氏は「15登板(11先発)・4勝5敗・防御率1.94」と黒星こそ先行したものの、「ほとんど点は取られなかった(感覚だった)」と手ごたえをつかんだという。首脳陣も川口氏の投球を評価し、「来年もこのまま先発で」と先発ローテでの起用を継続してくれたと語っていた。
川口氏はこの他に同年の一軍昇格当日の話や広島の給料事情についても話している。
今回の動画を受け、ネット上には「139勝が同僚のぎっくり腰から始まったとは知らなかった」、「棚ぼたとしか言いようがないチャンスをよくモノにできたな」、「この年はそんなに強くなかった大洋(同年は5位)が相手だったのも運が良かったのかもしれない」、「急な先発命令で試合作るのは並大抵のことじゃない、古葉監督はその点も高く評価したのかな」といった反応が多数寄せられている。
川口氏は広島で「350登板・131勝122敗・防御率3.30」、巨人では「85登板・8勝13敗・4セーブ・防御率4.32」といった数字を残した左腕投手。巨人ではほとんど結果は出せなかったが、広島では先発の中心選手としてリーグ優勝3回、日本一1回に大きく貢献している。
先発に抜てきされた同年から引退までに139勝をマークし、最多奪三振も3回(1987,1989,1991)獲得した川口氏。ぎっくり腰がきっかけでキャリアが始まっていたという話に驚いたファンは多かったようだ。
文 / 柴田雅人
記事内の引用について
石毛宏典氏の公式ユーチューブチャンネルより
https://www.youtube.com/channel/UC9uwO3E7TohCjf1X3zU_kOw