現役時代、広島(1981-1994)、巨人(1995-1998)でプレーし、通算139勝を挙げた川口氏。今回の動画では社会人時代(1978-1980)にあったという、プロへの扉を開いた意外なきっかけについて語った。
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川口氏は鳥取城北高時代の1977年にロッテからドラフト6位指名を受けたが「プロでやっていく自信がまだない」と断り、卒業後は社会人野球のデュブロに進んだ。しかし、デュブロは自社グラウンドがなく満足な練習ができず、試合でも目立った結果は残せなかったため自信を失っていたという。
そんな中、川口氏は1979年のお盆休みに鳥取に帰省し、高校時代からなじみのスポーツ用品店に顔を出した。その店を個人で経営していた“スポーツ屋のおっちゃん”に、「社会人(野球)やめて、(実家の)旅館でも手伝おうかな」、「プロには行きたいんだけどそんなつながりもないし…」と弱音を吐いたという。
すると、「そのスポーツ屋のおっちゃんが『あっ先輩ですか? 今ここに川口って投手がいるんですけど知ってます?』って(誰かに電話した)」という川口氏。電話の相手は広島に現役・コーチとして所属経験があり、“おっちゃん”の大学時代の先輩だった小林正之氏だったという。
「(川口氏が)野球やめたいって言ってて。(肩・肘が)壊れてるわけじゃないんですけど」という“おっちゃん”の相談を受けた小林氏は、「分かった。じゃあ明日監督(当時広島は古葉竹識監督)と話してまた連絡するよ」と返答。翌日、小林氏から連絡を受けた川口氏は「(来年)ドラフト外で獲ってやる(って球団が言ってる)からもう1年我慢してやれ」と、翌1980年に広島にドラフト外入団する手はずを整えたと伝えられたという。
この一件により社会人野球でのプレーを続行した川口氏だが、不思議なことにこれ以降は投げる試合で次々に勝利するなど結果が伴うようになったという。ただ、この活躍の影響で、南海(現ソフトバンク)のスカウトが川口氏に目をつけ始めたとのこと。そのため、小林氏から「川口、もう投げるのやめてくれ」、「どこか痛いって言ってもう投げないようにしてくれ」と、あまり目立ち過ぎないように頼まれたことも何度かあったという。
こうして一年を過ごし、1980年ドラフト当日を迎えた。川口氏は「今日ドラフトだけど俺関係ねえや」と普段通りデュプロの会社内で総務の仕事をしていたというが、その途中に会社の先輩から「おい川口!お前ドラフト1位だぞ!」と広島からドラフト1位指名されたと伝えられたとのこと。その直後に報道陣が会社に大挙して押しかけ社内は大騒ぎとなり、急きょ指名会見を開くことになったという。
あまりにも急な出来事だったため、自分で会社に会見場を作って会見を行った。なぜ広島が自身を1位指名したのかは触れなかったが、「僕はドラフト後で(広島に)入れると思って、密かに静かにしてたら(1位指名で)うるさくなっちゃった」と1位指名は自身も周囲も全く予想していなかったと振り返っていた。
川口氏は動画で入団後に古葉監督から言われた言葉や当時の主力である山本浩二氏(元広島監督)からの指摘についても話している。
今回の動画を受け、ネット上には「ドラフト外で獲られる予定だったというのは知ってたけど、町のスポーツ用品店の人がきっかけなのは初めて聞いた」、「野球辞めかけてた選手がスポーツ店主のおかげでプロ入りって物凄くドラマチックな話だ」、「その後の1年結果残したからただの口約束で終わらなかったんだと思う」、「指名選手が自分で会見場用意して会見するなんて今では絶対あり得ないだろうな」、「ドラフト外の予定を1位指名に変えた理由が気になるな、他球団が川口さんを上位指名するって情報があったんだろうか」といった反応が多数寄せられている。
現在の球界では裏金や囲い込みにつながりかねないとして、ドラフト外入団は固く禁じられている。川口氏のような経緯でプロ入りを実現させる選手がもうこの先現れることはないのかもしれない。
文 / 柴田雅人
記事内の引用について
石毛宏典氏の公式ユーチューブチャンネルより
https://www.youtube.com/channel/UC9uwO3E7TohCjf1X3zU_kOw