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今月17日、故・石原裕次郎さんが1963年に設立した石原プロモーションは、来年1月16日をもって社名を廃止して、俳優のマネジメント業務から撤退することを発表していた。裕次郎さんが生前、「自分が死んだら会社をたため」と、妻で同社会長のまき子夫人に遺言を残しており、まき子夫人が裕次郎さんの34回目の命日にこれを実行した。今月20日には、石原プロ所属の俳優・神田穣が移籍第一号として、「エヴァーグリーン・エンタテイメント」への移籍を発表しているが、渡哲也、神田正輝ら他の所属タレント、所属俳優らの今後にも注目が集まる。
舘は裕次郎さんが生前残したという遺言について質問を受け、「きっと石原さんはちゃんとみんなでやっていけるか心配だったんじゃないですか、石原プロは映画製作を理想としてやっていましたから、それができないならと思ったのではと思っています」とコメント。裕次郎さんの死後、遺言がすぐに実行されなかったことについても、「まき子夫人が我々の不甲斐なさを見て、少しでも長くとやってきたんだと思います」とまき子夫人の決断に理解を示す。
自身の今後については「僕自身は渡に全てを預けて石原プロに入ったので、渡がどうするか、渡さん次第です」と笑顔でコメント。「ゆっくり考えたいと思います。渡とそういう話はまだしていないです。神田(正輝)はまき子夫人のことをすごく気遣っていました」と周囲の動きについても紹介した。
舘はこの日、お笑いコンビずんの飯尾和樹、元・乃木坂46で女優の深川麻衣とともに、総務省の「マイナポイント事業」をアピール。同事業のCMでは、人生初という着ぐるみを着ての演技を披露しているが、感想を問われると、「着ぐるみが暑くて。テーマパークで着ぐるみを着て働いている方は本当に大変だなって痛感しました」と苦笑い。「この話が来た時に、渡さんにも『着ぐるみ着るの恥ずかしい』って言ったんですけど、『お国の仕事なんだから誇りを持ってやれ』って言われました」と渡とのエピソードも紹介。
イベント終盤には、新型コロナウィルスによる自粛期間中の過ごし方についても聞かれ、「ほとんどうちにいました」とコメント。「本を読んだりテレビを見たり。そう言えば、散歩をしている時に生まれて初めて渋谷のスクランブル交差点を歩きました。広くて、嬉しい気分でした」と述べ、飯尾や深川を驚かせていた。
(取材・文:名鹿祥史)