>>若手のNO1救世主? フットボールアワー後藤に救われたタレントたち<<
以前の天満国男さん(芸能界引退)とのコンビ「後藤・天満」(後に「エレキグラム」に改名)ではボケを担当し、コント師だったという後藤。漫才をやった経験がないことから、コンビ結成時は相方の岩尾望より、「コントの中に出てくる漫才師をやっているだけや」と精神的にダメージが来るまでダメ出しされ、追い詰められたという。
その後、2人は大阪の賞レースで栄冠を勝ち取っていくのだが、またも挫折が待っていた。それは第一回目の『M-1』である。危なげなく決勝に勝ち進んだものの、6位に沈んだフット。島田紳助さん66点、ダウンタウン松本人志は55点と、現在では考えられない評価を下された。後藤はこの結果が出た後、お笑い界を本気で辞めることも考えたという。しかし、劇場出番をこなしていくうちに、傷も癒え、翌年には新しいスタイルでの漫才を披露。見事2位となり、リベンジを果たした。
「そして、ついに2003年の『M-1』で優勝を果たした彼ら。岩尾の“ブサイクキャラ”のインパクトもあって、全国の仕事も多く舞い込みました。『M-1』バブルに乗って、そのまま東京進出もしましたが、思ったほどテレビの仕事が入らなくなり、営業仕事をこなす日々を過ごします。そんな中、2005年の『M-1』でブラックマヨネーズの漫才を目の当たりにするのです」(芸能ライター)
『M-1』で優勝したブラックマヨネーズの漫才を営業先で見て、衝撃を受けたという後藤。後藤いわく、「面白すぎて、最後まで見ていられなかった」という。そうした衝撃を経て、一念発起。2006年に再び『M-1』に出場し、V2を狙った。結果的に優勝はチュートリアル。フットは準優勝で大会を終えた。
「それから、岩尾を前面に出してテレビ出演を重ねていたものの、後藤の芸人力が次第に評価されていきます。岩尾の陰に隠れがちでしたが、ピンで出演していたお笑い色の強い番組『芸人報道』(日本テレビ系)で、“たとえツッコミ”がピックアップされたり、アイドルの番組で“たとえツッコミ集”が組まれたり、彼の“ツッコミ力”が一気に世間へ知れ渡ることになりました」(同上)
独自の路線で道を切り開いた後藤を尊敬している芸人は多い。今後も若手にとっては教科書のような存在になるだろう。