広瀬といえば、1990年代に『ロマンスの神様』や『ゲレンデがとけるほど恋したい』など大ヒット曲を連発。「冬の女王」の異名を持ち、他の歌手への提供曲も多数ある。
>>事務所移籍時のゴタゴタを乗り越えて再ブレイクを果たした広瀬香美<<
最近ではYouTube活動にも注力。若い世代を中心に再ブレイクの兆しもある。順風満帆と思われてきた広瀬にどんなしくじりがあったのか、注目する視聴者は多かった。
広瀬は自身を「歌手になりたくないのに歌手になっちゃった先生」と称し、彼女の幼少時代から振り返った。広瀬は幼い頃から絶対音感を持ち、天才少女と呼ばれていたが、家族からは音楽のスパルタ教育を受け、友達から気味悪がられるという孤独な毎日を送っていた。高校卒業後は作曲家になるべく名門の国立音楽学校へ入学。だがレベルが高くすぐに落ちこぼれ、暴飲暴食の末に激太りしたという。
その後、ロサンゼルスへ留学した際に改めて作曲家を目指すため、マイケル・ジャクソンの関係者と接触しようと奮闘。そこでマイケルのボイストレーナーと知り合い、ボイトレの訓練を受けるうちに歌唱力が向上した。しかしアメリカのボイトレは料金が高額。ボイトレ代を稼ごうと、手掛けた曲のデモテープを日本のレコード会社に売り込んだ。見事採用されたが担当者から「あなたは声がいいから、あなたが歌ってデビューしなさい」と言われ、しぶしぶシンガーソングライターとしてデビューした経緯があったという。
以来、ヒット曲を飛ばしても「自分は歌手ではない」と思い続け、ミリオンヒットを飛ばしても他人事で、デビューからの10年間は一切ライブ活動を行わなかったという。
当初は、歌声や歌詞をほめられても「自分は作曲家である」という思いが強く、歌手活動に誇りを持てなかった広瀬は「歌手を恨むようになった」とも回顧。ただ最近ではようやく歌手としての自覚が芽生え、堂々と「歌手である」と言えるようになったという。
ネットでは、この広瀬のしくじりエピソードについて「才能があるが故に勘違いされるしくじりなのか…」「得意なものって案外わからないものだよね」と共感する声が続出した。
一方、一部ではあまりに順風満帆すぎる音楽活動に「自慢話にしか聞こえない」「大学時代に激太りといっても65キロだし、少々オーバーに話しているのでは」「ただ自分の栄光を話してるだけで、しくじりでも何でもないじゃん」といった厳しい意見も相次いでいた。
確かに音楽の才能に恵まれていたからこその挫折もあっただろうが、『しくじり先生』で披露された多くのエピソードは、絶対音感を持ち、音楽に理解のある両親がいたことや、歌唱力に恵まれていたからこその挫折ともいえる。やはり天才ゆえの独特の悩みと言えそうである。